44話 力の差
学校再開してかなり憂鬱です。バイトもあるし最後のテストもすぐあるしでかなりキツイっす。
戦場を分かつ境界線が、静かに引かれた。
シルヴィアは、カイルを背負った冒険者たちと、逃走した女王を追う本隊の二手に分かれるべく、迅速に指示を飛ばした。
「……エドガー、ここは任せるわ。相手はあの《赤犬》の首領。無理はしないで。けれど、あの男にこれ以上、誰の未来も奪わせないで」
「承知いたしました。シルヴィア様。どうぞ、ご自身の責務を全うされますよう。掃除は済ませておきますから」
エドガーの声は、日常の予定を確認するかのように淡々としていた。
シルヴィアはその背中に一抹の神聖さと、それ以上に深い「未知の恐怖」を感じながらも、信頼を預けて駆け出した。
だが、敗北の淵に立たされたルガス・グリードにとって、その離脱は耐え難い屈辱だった。
「させるかぁっ! カイル……貴様だけは……貴様のせいで、その命だけは我が手で摘み取らねば気が済まん!」
ルガスが、血の混じった魔力を右手に集束させる。
放たれたのは、凝縮された黒い衝撃。それは無防備に運ばれていくカイルの背中を、容赦なく貫こうと飛来した。
パシッ――。
乾いた音が響く。
ルガスの放った衝撃波は、わずか数センチの距離で、目に見えない半透明の膜に遮られ、霧散した。
「……見苦しいですな、ルガス殿」
エドガーの手が、ルガスの右腕を掴んでいた。
その握力は、普通の人間の筋力を遥かに凌駕する力によって、ルガスの骨を軋ませ、悲鳴を上げさせる。
「なっ、貴様、いつの間に……!」
「主が『いいところだから邪魔するな』と仰ったのです。忠実な下僕として、その言葉を違えさせるわけには参りません。貴方の相手は、この老いぼれが務めましょう」
エドガーの言葉遣いは丁寧だったが、その瞳には一欠片の情愛も、憐憫もなかった。
あるのは、ただ「不快な塵を排除する」という、無機質な事務処理の意志だけだ。
「……ク……クソォォォ……ッ!!」
ルガスが咆哮を上げる。
彼がこれまでに摂取してきた戦闘麻薬、そして過剰に注ぎ込まれた魔力が、ついに彼の肉体の限界を超えた。
メリメリと不快な音を立てて、ルガスの皮膚が裂け、内側から赤黒い筋繊維が盛り上がる。指は鋭い鉤爪へと変わり、瞳は理性の光を失い、血走った複眼のように変異していく。
「ガアアアァァ……殺す……全て、壊す……ッ!!」
「……嘆かわしい。もはや、鉱山の魔物の方がまだ愛嬌がある。貴方のそれは、醜悪な欲望が形を成した『汚物』に過ぎませんな」
エドガーは冷徹に言い放つと、掴んでいた腕をゴミのように放り投げた。
狂乱したルガスが、手当たり次第に魔法を掃射する。
黒炎、雷撃、真空の刃。
禁忌の道具から溢れ出す無秩序な暴力がエドガーを包み込む。
だが、爆煙が晴れた後に現れたのは、傷一つついていない黒服を纏った老紳士だった。
エドガーの周囲には、幾何学模様が浮かぶ多層結界が展開されていた。
《クラヴィス・アルカナ》の杖形態から発せられるその守護は、ルガスの執念の一撃を受けても、傷一つ、揺らぎ一つ見せない。
「信じ……られん……。なぜ、ただの人間が、これほどの魔法を、無傷で……!」
「ただの人間、ですか。……ええ、左様でございますな。私はただの執事。そして、主の影に過ぎません。影は光に逆らえず、光は影を消し去ることはできない。……ただそれだけのことです」
エドガーは落ち着いた所作で、手袋の皺を直した。
その余裕が、ルガスの残った自尊心を完全に粉砕した。
「ならば……コレナラ……ドウダァァァッ!!」
ルガスが懐から取り出したのは、先ほどまで女王を縛ろうとしていた禁忌級魔道具――《永縛の印章》だった。
本来、他者を支配するためのその刻印を、ルガスは躊躇なく己の胸へと突き立てた。
「ゴ、アガ、ガガガガガッ!!」
それは禁じ手中の禁じ手。
「己自身を支配し、強制的に肉体のリミッターを解除する」自滅の術式。
ルガスの姿は完全に人型を捨てた。
体長は三メートルを超え、背中からは骨の翼が突き出す。腕は4本に増え、言語中枢は崩壊し、溢れ出る言葉はカタコト混じりの不快なノイズへと変貌した。
「コロス……。カイル……。キサマラ全員……消シ去ッテ、ヤル……ッ!」
異形へと成り果てたルガスが、音速を超えてエドガーへ接近する。
繰り出された一撃は、先ほどまでの攻撃とは次元が違った。空間を物理的に引き裂く爪が、エドガーの結界を直撃する。
キィィィィィィィィンッ!
初めて、エドガーの結界が不快な不協和音を奏でた。
ルガスの暴力は、もはや「理屈」を超え始めていた。
「……なるほど。己の魂を燃料に、出力を底上げしましたか。無意味な努力ですが、その『執念』に免じて、少しだけ相手をして差し上げましょう」
エドガーは、自身の周囲を覆っていた鉄壁の結界を、自らの意志で解除した。
その無謀とも取れる行動に、異形のルガスが歓喜の咆哮を上げる。
「死ネェェェッ!!」
ルガスの爪が、無防備なエドガーの喉元に迫る。
だが。
カチリ、と。
杖が形を変える音が、静かに響いた。
《クラヴィス・アルカナ》――剣形態。
白銀の刀身が、夕闇に光る月の光を反射して冷たく輝く。
エドガーは一歩も引かず、むしろ前へと踏み込んだ。
腰を落とし、剣を鞘に納めるような動作から、一閃。
「執事の剣は、主を仇なす者を断つためにあります。……覚悟はよろしいですかな?」
黄金の魔力を纏っていたカイルとは対照的な、静かな、あまりに静かな「銀の閃光」が、狂った戦場を切り裂いた。
四本の腕を振りかざして襲いかかる。一振りごとに空気が爆ぜ、地形が削れるほどの剛力。
だが、エドガーの動きはもはや物理法則の範疇を逸脱していた。
「――遅いですね」
エドガーの体が、揺らめく影のようにルガスの懐へと滑り込む。
直後、白銀の閃光が幾重にも重なり、ルガスの肉体を無慈悲に切り刻んだ。
シュ、シュシュンッ!
小気味よい音と共に、ルガスの肥大化した4本の腕が肩から先、賽の目に斬られて宙に舞う。
だが、ルガスは《永縛の印章》による強制再生によって、断面からおぞましい肉糸を噴き出させ、瞬時に腕を繋ぎ止めた。
「ムダ、ダ!イマノ、 ワタシ、ハ、不死…身……!」
「不死身、ですか。それは……存外、不便なものですね」
ルガスの言葉に意味はない。
彼はルガスの再生を待つまでもなく、次の一撃を繰り出す。
右腕、左脚、首筋、胸部。
エドガーが振るう剣は、もはや剣筋が見えないほどの速度に達していた。
斬っては再生し、再生してはまた斬られる。
ルガスは反撃に転じようとするが、その思考が肉体に伝わる前に、次の関節が、次の神経が断たれていく。
「ア、ガ……ガガッ、ナゼ……ナンダ……ソノ……強サッ!?」
ルガスは焦燥に駆られ、残る腕でエドガーを掴もうと闇雲に手を伸ばす。しかし、エドガーは最小限の足運びだけでそれをかわし、踊るような所作でルガスの肉を削ぎ落とし続けた。
エドガーにとって、これはもはや「戦闘」ではない。物語の異物を処理するための、機械的な「作業」に過ぎなかった。
「貴殿の再生は、魂を削り取って行われるもの。……そろそろ、底が見えてきましたね」
エドガーは、ルガスの動きがわずかに鈍った瞬間を見逃さなかった。
彼は剣杖を正眼に構え、その刀身に自身の魔力を「圧縮」して注ぎ込む。白銀の刃が、見る者の目を焼くほどの高密度な純白へと変じ、周囲の空間を熱で歪ませた。
「早々に片付けましょう。これ以上時間をかけるのはお互いよくありません。」
ルガスは、目前に迫る「死」の予感に絶叫した。
「ヤメロ……来ルナ、来ルナァァァッ!!」
残るすべての魔力を爆発させ、ルガスは肉壁を突き出すようにしてエドガーへと突進する。質量と魔力の、自爆に近い最後の一撃。
だが、エドガーの刃は、それよりも遥かに速く、鋭く、正確だった。
「――《白銀剣技・鎮魂の晩鐘》」
一点。
純白の閃光が、ルガスの突進を真正面から突き抜けた。
衝撃波すら置き去りにしたその一撃は、ルガスの異形化した肉体を貫通し、その中心部で脈打つ、印章と融合した「心臓」を正確に射抜いた。
「…………ッ」
ルガスの咆哮が止まる。
心臓を、魂の核を直接「情報の破壊」によって貫かれた彼は、全身を襲う激痛と喪失感に目を見開いた。
エドガーは剣を引き抜き、冷徹に一歩身を引く。
「……チェックメイトです」
「ア、ア……ガ……」
ルガスはヨロヨロと、崩れかける身体を必死に支えながら、エドガーへと手を伸ばした。
印章の呪いが無理やり肉体を繋ぎ止めようとしているが、もはや再生は追いつかず、指先からボロボロと灰になって崩れていく。
彼は、自分が何を間違えたのかさえ理解できぬまま、目の前の「死神」に縋り付こうとした。
エドガーはその汚らわしい手が自分に触れることを、断じて許さない。
「貴殿には、塵一つ残る権利もございません」
エドガーの瞳に、深い昏い光が宿る。
彼は剣を水平に一閃させた。
それは一振りであったが、放たれた斬撃は空中で数千、数万の細かな刃へと分裂し、ルガスの身体を包み込んだ。
「《千塵の礼節》」
「……ガ……ギ……ッ」
声にならない悲鳴。
次の瞬間、ルガスの異形化した巨体は、分子レベルで「小間切れ」にされ、それすらも瞬時に超高密度の魔力によって焼き尽くされた。
肉、骨、血、そして彼を縛っていた印章の破片さえも。
そこに存在した証を、世界から完全に消去するかのような徹底的な始末。
数秒後。
戦場には、風に舞う微かな灰さえ残っていなかった。
エドガーは、自身の衣服に汚れがないかを確認し、乱れたネクタイを静かに直した。
そして、《クラヴィス・アルカナ》を元の杖の形へと戻し、深く一礼する。
「掃除完了でございます。……空様」
ルガス・グリードいう名が、歴史から完全に消滅した瞬間であった。
エドガーは、主が待つであろうロッキド鉱山方面へと、何事もなかったかのように歩き出した。その足取りは、どこまでも軽やかで、どこまでも残酷なほどに洗練されていた。




