43話 遊戯の始まり
投稿遅れて申しわけないです。
正月早々風邪を引いてしまい寝込んでいました。インフルやコロナではなくだいぶ風邪も治まったのでまた投稿していきます。
戦場に満ちていた黄金の残響を塗り替えるように、そこには「絶対的な虚」が降臨していた。
空は、再生を終えてなお戦慄に身を震わせる女王を冷ややかに見据える。
「……さて、少しばかり派手にやりすぎたか。これ以上、素顔で立ち回るのも後の面倒が増えるな」
これ以上、自分の力が衆目に晒され、平穏な滞在が脅かされるのは本意ではない。
彼は思考の速度で異空間へと手を伸ばし、そこから一枚の仮面を取り出した。
白磁の地にしなやかな曲線が描かれた、感情を読み取らせない無機質な仮面。それを顔に当てた瞬間、空の気配は完全に遮断され、そこには「ただそこに在るだけの空虚」が立ち現れた。
生存本能の極致に達した女王は、勝負を諦め、その巨躯を必死にくねらせて大地へと潜り込もうとする。全長100kmに及ぶ岩盤の蛇が、地表を割り、土煙を上げながら深淵へと逃げ延びようとする足掻き。
だが、空はただ静かに右手を天に掲げた。
「……逃がすと思ったか?」
仮面の奥から響く声は、物理的な振動を伴わずに女王の脳裏へ直接叩きつけられた。
《執り成す巨腕》
刹那、天を覆うほどの巨大な魔力の「手」が虚空に出現した。
それは実体を持った光の塊であり、逃げようとする女王の尾部を鷲掴みにすると、凄まじい力で地中から引きずり出した。
「ガ、アアアアアアアアアアッ!?」
重力と質量を無視した、あまりにも理不尽な光景。
空はそのまま、100kmの巨躯を軽々と振り回し、遥か彼方――かつて自分たちのいた《ロッキド鉱山》の跡地へと向けて投げ飛ばした。
ズズズ、と大気が悲鳴を上げ、音の壁を幾重にも突破しながら女王の巨体が空を飛ぶ。
その巨大な影は、後方で戦況を見ていたシルヴィアたちや、避難誘導を終えた冒険者たちの頭上を通り過ぎていった。
「な、何なの……あれ……!?」
シルヴィアが呆然と空を見上げる。
さきほどのカイルと女王の激突から、まだ数分も経っていない。にもかかわらず、あの巨大な怪物が、まるで子供の放り投げた玩具のように空を舞っているのだ。
エドガーだけは、空の気配を感じ取り、薄く微笑を浮かべた。
「……どうやら、空様がこの物語を終わりに近づけようとしているようですな」
成層圏まで届こうかという高度。上空へと放り出された女王は、死に物狂いの反撃を試みる。
その巨体各所から、凝縮された高エネルギーの魔弾が、空へ向けて一斉に掃射される。一つ一つが都市を消滅させかねない威力の光条。
だが、仮面の男――空は迫りくる光の雨に対し、仮面の下で冷たく微笑むと、指先を一度鳴らした。
「《事象消去》」
衝突の瞬間に爆発が起きるはずだった魔法は、空が指を鳴らした瞬間に、霧が晴れるように「消失」した。熱も、衝撃も、音すらない。
「ここじゃ街からかなり近い。元いた場所へ帰れ」
空は女王の懐、その眉間にあたる装甲へと肉薄し、何の変哲もない「蹴り」を叩き込んだ。
ドォォォォンッ!!
衝撃波が雲を散らし、女王は弾丸のような速度でロッキド鉱山の中心部へと叩き落とされた。
その頃、女王が潜り込もうとしていた巨大な陥没地点に、シルヴィアたちが辿り着いていた。
そこにあったのは、もはや地形という概念が崩壊した更地だった。
「ひどい……」
ラフィーナが呟く。
シルヴィアは焦燥に駆られ、大声を張り上げた。
「カイルを探して! 早く見つけなければ、彼はこの爆発のど真ん中にいたのよ!」
冒険者たちが必死に瓦礫を退かし、周辺の捜索を開始する。
やがて、クレーターの端で倒れている一人の男を発見した。
「いたぞ! カイルさんだ!」
シルヴィアは即座に駆け寄り、カイルの体を抱きかかえる。
先ほど見えた彼の姿は、全身の血管が浮き出し、死人のような形相をしていた。助からないかもしれない――そんな最悪の予感が彼女の胸を締め付けていたが。
「……え?」
シルヴィアは自身の目を疑った。
カイルの呼吸は深く、穏やかだった。
あれほどの無茶をしたはずの肉体には、数箇所の掠り傷と、魔力枯渇による疲労が見られる程度で、致命的な損傷は一つも残っていない。
まるで、誰かが彼の時間を巻き戻し、最高の状態で「眠らせた」かのようだった。
(これなら、数日休めば元通りになる……。一体、誰が?)
シルヴィアが背後に気配を感じて振り返る。
そこには、乱れぬ姿勢で立つ老執事、エドガー・ロウエルがいた。
彼は空がこの場を整え、カイルを救ったことを確信していたが、それを口にすることはない。
「シルヴィア様。カイル殿の安全は確保されたようです。速やかに後方へ搬送すべきでしょう」
「え、ええ……。そうね。……でも、あの女王は!?」
「空高く上空へと飛んでいきました。おそらく、あの方……仮面の人物が、終止符を打ちに向かったのでしょう」
エドガーは明言を避けつつも、その視線は空が消えた鉱山の方角を向いている。
シルヴィアは状況を飲み込もうと必死に思考を巡らせる。
彼女は即座に指示を出した。
「カイルを安全な場所まで。回復魔法が使える者、彼を頼むわ! 残りの動ける者は私と共に、あの怪物を追うわよ! まだ終わって――」
その時だった。
「――終わらせるものか。貴様ら全員、ここで死ねぇぇぇぇ……ッ!」
凄まじい殺気と共に、一条の黒い稲妻がシルヴィアたちを襲った。
「っ!」
シルヴィアは咄嗟に槍を構え、その雷光を弾き飛ばす。
土煙の中から現れたのは、半身を血に染め、身体の形相を大きく変えたルガスだった。
先ほど空に吹き飛ばされ、岩壁に埋まっていたはずの彼は、《赤犬》の所有する薬物と禁忌の魔道具を無理やり起動させ、理性をかなぐり捨てた化け物と化していた。
「私の計画を、この『赤犬』を、ゴミのように扱いおって……! 女王がどうなろうと知ったことか! せめて、あの忌々しいあの男と貴様らだけでも、この地獄に連れて行く!」
ルガスの手にある《永縛の印章》が、どす黒い光を放ち、周囲の空間を侵食し始める。
Sランク冒険者であるシルヴィアでさえ、その禍々しさに一歩後退りするほどの圧力。
シルヴィアが槍を構え、前に出ようとした。Sランクとしての義務感が、彼女を突き動かす。
だが、その前に。
スッ、と一人の男が彼女の横を通り抜けた。
「……下がってください、シルヴィア殿」
静かに、しかし抗い難い重みを持った声が響いた。
エドガーが、ゆっくりと歩を進め、ルガスの前に立つ。
「……シルヴィア様。失礼ながら、そのような『鼠』の相手、高貴な貴女がなさるには及びません」
彼は杖――《クラヴィス・アルカナ》を軽く一振りし、地面を叩いた。
カチン、と硬質な音が響くと同時に、エドガーの周囲の空気が絶対零度のような冷徹さを帯びる。
「エドガー!? 相手はあの《赤犬》の首領なのよ、危険すぎるわ!」
「お気遣い、痛み入ります。ですが――」
エドガーは変形したルガスを冷たく見据えた。
その瞳には、慈悲も同情も、そして恐怖さえも存在しない。
「執事の役目は、主の遊び場を清掃することにあります。……不快な害虫を掃き出すのは、私の仕事ですので」
エドガーは一歩、また一歩と、狂気に染まったルガスに向かって歩き出す。
その背中は、かつて貴族に仕えていた頃の誇りと、空によって再構築された人外の冷徹さが同居していた。
「貴様ぁ! 執事ごときが、この私を、ルガス・グリードを愚弄するかぁ!」
ルガスが叫び、黒い稲妻を連射する。
しかし、エドガーは避けない。
彼は《クラヴィス・アルカナ》を剣の形態へと変化させると、飛来する稲妻のすべてを、一分の狂いもなく、最小限の動きで切り伏せていく。
ルガスが叫び、黒い魔力の奔流を放つ。
対するエドガーは、ただ一歩、その影のように鋭い踏み込みを見せた。
「不作法な鼠には、相応の処刑が必要ですので」
荒野に、老執事の冷徹な宣告が響き渡った。
風のときに見る夢ってなんかおかしいの多くない?




