42話 黄金の一撃
冬休みに入ってからずっと怠けてます。
戦場を支配していた喧騒が、一瞬、奇妙な静寂に包まれた。
それは嵐の前の静けさというにはあまりに重く、空間そのものが熱を帯びて歪んでいるかのような錯覚を抱かせるものだった。
その中心にいるのは、金鋼の輝きを纏ったカイルである。
彼は大剣を正眼に構えたまま、微動だにしない。だが、その肉体には限界を超えた力の代償が刻銘に現れていた。
「……ゴフッ……ッ!」
カイルの口から、鮮血が滴り落ちる。
意識がないはずの彼の肉体が、内側から膨れ上がる膨大な魔力に耐えきれず、悲鳴を上げていた。
肥大化した筋肉は皮膚を割り、浮き出た血管が次々と破裂して、黄金のオーラの中に赤い霧を混ぜていく。
それは、自らの命そのものを燃料として燃やし尽くす、究極の「一撃」への準備だった。
その黄金の光柱は、数キロメートル先で女王を追っていたシルヴィアたちの目にも届いた。
「あの光……カイルなの!? まさか、真正面から堂々と決着をつけるつもり?」
シルヴィアは驚愕に目を見開く。
Sランク冒険者である彼女でさえ、その光に込められた「密度」に戦慄を覚えた。それはもはや、人の身が扱って良い領域の力ではない。
一方、女王の支配を目論んでいたルガス・グリードもまた、その光を忌々しげに睨みつけていた。
「馬鹿な……。あのような出鱈目な出力を、ただの冒険者が発揮できるはずがない! あの輝き、まさか覚醒領域にまで……!?」
ルガスの予感は正しかった。
カイルの意識は、自らの死を代償にしてでも、目の前の災厄を止めることだけを選択していた。
女王もまた、本能で理解していた。
次に放たれる攻撃は、自身に致命傷を負わせ命にも届くかもしれない「一撃」であることを。
全長百キロメートルの巨体が、波打つようにうねり始める。体中の触手と魔力が自身の体を包み込み一本の太い光束へと収束され、ドロドロとした赤黒い光を帯びて一点に凝縮される。
お互いの力が臨界点に達する。
言葉は交わされない。ただ、互いの存在を抹消せんとする純粋な殺意だけが、空間を軋ませた。
「……オオオオオオオオオッ!!」
カイルの喉から、獣と人の声が混じったような咆哮 じみた叫びが漏れる。
黄金の魔力が、彼の手にする大剣を巨大な光の刃へと変貌させた。
同時に、女王がその巨体で突進する。
【絶望の行進】
その巨体を弾丸のように加速させ、全てを押し潰す突撃。古代の災厄が放つ、全てを捻り潰す衝撃波。
対するカイルも、その命を賭した奥義を解き放つ。
【金鋼一閃・不壊の暁】
黄金の閃光と、黒紫の虚無。
二つの巨大な力が正面から衝突した。
「させん……!それは私が手に入れるはずの女王だ。これ以上傷つけさせるわけにはいかん!」
その激突の最中、ルガスが動いた。
狂気に満ちた叫びと共に懐から古びた杖を取り出し、カイルの背後からその命を刈り取るべく、黒魔法を紡ごうとする。
カイルが全神経を前方へ集中させている今、背後からの干渉を防ぐ術はない。
だが、その魔法が放たれる直前。
「……いいところなんだ。邪魔をするなよ」
冷徹な声が、ルガスの耳元で響いた。
ルガスが驚愕に目を見開く間もなく、視界に「指先」が入り込む。
それは空だった。
彼はいつの間にかルガスの懐に立ち、まるで羽虫を払うかのような無造作な動作で、ルガスの胸元を指で弾いた。
「なにっ………ぐはああああっ!?」
ルガスの身体が、見えない大槌に打たれたかのように吹き飛ぶ。
ルガスの体は、木の葉のように吹き飛ばされ、数百メートル先まで転がっていったルガスを、空はもはや視界にも入れない。彼の視線は、中心でぶつかり合う二つの力だけを見据えていた。
衝撃。
光。
そして、地形そのものを消し飛ばす圧倒的な余波。
爆風が収まり、もうもうと立ち込める砂塵が風に流されたとき、そこには無惨な光景が広がっていた。
「……は、ぁ……」
カイルは、数十メートル後方に吹き飛ばされ、ボロボロになった地表に転がっていた。
剣の形をなしていた魔力は消え、元の砕かれた状態に戻り、金鋼の鎧は砕け散り、黄金の輝きは霧散している。
身体中の皮膚は裂け、全身の至る所から血を流している。もはや生きているのが不思議なほどの瀕死の状態だ。彼は薄れゆく意識の中で、前方の標的を捉えた。
女王の巨体は、その三分の一が完全に消失していた。
カイルの放った黄金の一撃は、女王の核に近い部分までを抉り取り、巨大な断面を晒させている。
……やったのか。
カイルの脳裏に、確かな手応えが残る。
彼は安堵したように、今度こそ本当に、深い闇の中へと意識を沈めていった。
だが。
絶望は、まだ終わっていなかった。
「ギ、チ……ギギ、ギチチチチチッ!!」
不気味な音が、静寂を切り裂く。
三分の一を失ったはずの女王の断面が、ドロリとした肉塊のように波打ち始めたのだ。
細胞が、魔力が、物理法則を無視した速度で増殖していく。
一秒。二秒。
わずか数秒で元通りに復元されていくどころか、再生した部位は以前よりも禍々しく、より強固な装甲を纏っていた。
それは、古代石喰らいの女王が持つ、無尽蔵の魔力を根源とした自己修復能力。
数万年の眠りを経ても失われなかった、不死にも等しい生命力だった。
「……グ、ル、ルァァァァァァッ!!」
絶叫。
女王は、自分をここまで追い詰めた「小さな獲物」を見下ろした。
女王の瞳に、激しい怒りと、そして「矮小な生き物」への侮蔑が宿る。
初めて自分に致命傷を負わせたその力に一瞬だけ圧倒されたが、結局は無駄だったのだ。
再生を終えた女王は、動かぬカイルを見下ろした。
もはや、この羽虫に反撃の力はない。
女王は、とどめを刺すべく、最も太い触手を高く振り上げた。
もはや指一本動かせないカイルを、文字通り塵へと変えるための一撃。
ひゅん、と空気を切り裂く音が響き、巨大な質量がカイルの頭上に降り注ぐ。
――終わった。
誰もがそう確信した、その瞬間。
「…………悪いな。こいつ、まだ死なせるわけにはいかないんだ」
冷静で、しかしどこか穏やかな声が、戦場に響いた。
ドォォォォォン……!!
地響きを立てて停止したのは、カイルを圧殺するはずだった女王の巨大な触手。
それを、一人の青年が片手で受け止めていた。
空である。
女王の一撃を、彼は眉一つ動かさず、ただそこに立っているだけで完全に静止させていた。
その光景は、先ほどのカイルの激闘よりも、ある意味で異常で、非現実的なものだった。
「……よく頑張ったな、カイル。とても楽しませてもらったよ。あとは俺が引き受けよう」
彼は女王の攻撃を支えたまま、まるで眠っている子供に語りかけるような、穏やかな声でカイルに言葉をかけた。
すると、空の足元から淡い光が広がり、カイルのボロボロだった肉体がみるみるうちに修復されていく。
破裂した血管は繋がり、失われた血液が戻り、荒かった呼吸が静かな寝息へと変わった。
「…………ッ!!?」
女王は驚愕した。
自分の一撃を、人間ごときが、それも片手で防ぐなどあり得ない。
未知の恐怖に駆られた女王は、周囲にある数万本の触手を一斉に動かし、空を全方位から圧殺しようと襲いかからせた。
空気を切り裂く無数の触手。それは逃げ場のない死の檻。
だが、空は動じない。
彼はカイルを片手で抱え上げたまま、もう片方の手を無造作に、払うように振った。
――パァンッ、という乾いた音が一度だけ響く。
それだけで、女王が放った数万の触手は、まるで障子紙でも破れるかのように一斉に弾け飛んだ。
風圧。ただの「手振りの風圧」だけで、女王の全力の攻撃が、その根本から霧散したのだ。
空は、唖然とする女王を見上げ、薄く笑った。
女王は、自らの全力の踏みつけを「片手」で止めている存在を前に、その巨大な瞳を恐怖で歪ませた。
それは、先ほどの黄金の騎士への恐怖とは異なっていた。
目の前にいるのは、戦うべき相手ではない。
生物として、あるいは存在として、決して逆らってはならない「何か」だと、本能が叫び始めたのだ。
空は静かに顔を上げ、女王を見つめた。
その瞳には、黄金の輝きも、激しい殺意もない。
ただ、すべてを呑み込む深淵のような、静かな闇だけが宿っていた。
「さてと。俺の連れをここまでボコボコにしてくれたんだ。……少し、俺のことを楽しませてくれよ」
年明けまでにもう一話ぐらい更新できたらいいなと思っています。




