2話 圧倒的
森は静かだった。
だが、その静けさは安らぎではなく、重苦しい恐怖に満ちている。
「……ここが、この世界で最も古き森か」
空は歩を進めながら、ふと微笑んだ。
木々は天を覆うほどにそびえ立ち、根は地を割り、大気は濃厚な魔力に満ちている。
鳥のさえずりはなく、虫の羽音すらしない。
ただ重苦しい沈黙だけが、彼を包んでいた。
この森は「最古の樹海」と呼ばれている。
人々は決して近づかない。
いや、近づけないのだ。
そこに棲む存在は、どれも街を滅ぼしうる脅威。
人の軍勢をもってしても太刀打ちできない怪物たちが、ここには息づいている。
──だからこそ、空はここを選んだ。
「やはり……心地良い」
退屈を破るにふさわしい場所。
世界が忌避する恐怖の森。
そのただ中を、彼は悠然と歩いていた。
* * *
やがて、森の空気が揺らいだ。
「……来るな」
空は足を止めた。
森を切り裂くような重い気配が、彼の前に立ち塞がる。
木々をなぎ倒し、土を踏み砕き、姿を現したのは──巨大な熊だった。
体高は数十メートルを超える。
その毛並みは黒曜石のように硬質で、目は血のように赤く輝いていた。
口を開けば牙が閃き、吐息だけで大気が震える。
存在そのものが「災厄」だ。
普通の人間であれば、視認した瞬間に心臓が止まっていただろう。
だが──空は、楽しげに微笑んだ。
「ほう……俺に牙を剥くか。これは久方ぶりだ」
彼はゆっくりと右手を掲げる。
その掌に淡い光が灯り、視線が熊を貫いた。
──鑑定。
目の前に、空の視界にだけ数値が浮かび上がる。
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《鑑定結果》
名 称:魔獣グラディア・ベア
種 族:古代魔獣(熊型)
危険度:S級(単独で大都市を壊滅可能)
体力:85,000
魔力:72,300
攻撃力:110,000
防御力:99,000
敏捷:35,000
特殊能力:
《咆哮》:周囲数キロの生命に恐怖を与える。
《剛撃》:一撃で山を砕く腕力。
《魔獣の皮膚》:通常の武器では傷を負わせること不可能。
備考:最古の樹海にて数千年を生き抜いた魔獣の王。
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空は愉快そうに頷いた。
「……なるほど。この世界の『強者』か。確かに、一都市を滅ぼすには十分だな」
熊は咆哮をあげた。
その声は森を震わせ、周囲の木々を倒し、鳥も虫もいないはずの森をさらに沈黙させる。
だが、空は涼しい顔で受け止めた。
恐怖は存在しない。
むしろ、心の奥に久方ぶりの昂揚が芽生えていた。
「いいだろう。少し……遊んでやる」
彼は一歩、前に出た。
熊が腕を振り下ろす。
その一撃は大地を砕き、衝撃波が森を吹き飛ばす。
普通の人間なら跡形もなく消える威力。
だが──空の身体は微動だにしなかった。
彼の目の前で、巨大な爪が寸前で止まっていた。
「……遅い」
彼は指先で軽く熊の爪に触れた。
その瞬間、爪は「存在」ごと消え失せた。
斬り落とされたのではない。
焼き切られたのでもない。
ただ、「なかったこと」にされた。
熊は咆哮を上げ、痛みに身をよじる。
空は笑う。
「面白い。まだやるか?」
熊は怒りに狂い、さらに襲いかかる。
だが空にとって、それは退屈を紛らわせるための舞踏に過ぎなかった。
やがて、空は足を止める。
「さて……そろそろいいか」
彼は手を軽く振った。
ただ、それだけ。
次の瞬間──熊は、消えていた。
跡形もなく、影も残さず。
まるで初めから存在しなかったかのように。
森に再び静寂が戻る。
だが、そこには「世界が震えている」気配が確かにあった。
空は深く息を吐き、笑みを浮かべた。
「……悪くない。この世界、存分に楽しませてくれそうだ」
彼の足音だけが、森に響いていた。




