19話 マフィア
屋台の鉄板から立ち昇る煙の向こう、二人の男がゆっくりと姿を現した。
片方は太った大男で、脂ぎった顔を汗で光らせながら下卑た笑みを浮かべている。
もう片方は細身だが目つきが鋭く、腰には派手な装飾の短剣を二本も差していた。
彼らの後ろには、明らかにチンピラ崩れの男たちが数人従っている。
揃って胸を張り、威勢だけは勇ましい。
屋台の店主は必死に叫んだ
「もういい加減にしてくれ! こっちは家族で必死に働いてんだ! あんたらにただで食わせるために焼いてるんじゃねえ!」
その隣では、妻が震える手で夫の腕を掴み、必死に抑えていた。
「あなた……もうやめて。関わっちゃいけない人たちよ……」
「おう、オヤジ。俺たちが何なのか忘れちまったのか。」
太った男が鉄板を指で突きながら、唾を飛ばす。
「俺らはただのゴロツキじゃねぇ。――この街のマフィアの一角《赤犬》様だぞ?」
細身の男が冷たい声を続けた。
「俺たち幹部に楯突くと、どうなるか分かってんだろうな?」
屋台の店主と、その妻が一歩後ずさる。
妻は小さな声で「もうやめてください」と懇願するが、男たちは聞く耳を持たない。
「代金だァ? バカ言うな。俺たちが“食ってやってる”んだ。ありがたく差し出せや!」
「そうだそうだ! 感謝して肉を差し出せ! それが俺等に対する適切な態度だろ!」
幹部を名乗る男が拳を振り上げ、鉄板を派手に叩いた。
ジュッと油が跳ね、熱い飛沫が妻の腕に散る。
「きゃっ……!」
「おい、大丈夫か!」
夫婦の慌てる様子を見て、マフィアたちは下卑た笑い声を上げる。
「ひひっ、いい悲鳴だな!」
「ほらほら、逆らうとどうなるかわかるか? 次はその鉄板ごと店をぶっ壊してやるよ!」
男たちが口々に囃し立てる。
鉄板の上でじゅうじゅうと焼かれる肉の音が、場違いなほど明るく響いていた。
その光景を、空は串を齧りながら面白そうに眺めていた。
眼の奥には笑みとも狂気ともつかぬ光が宿っている。
「……フフッ、これはまた滑稽だな。まるで芝居のようだ。」
小声で呟いたが、隣のエドガーにはしっかりと届いていた。
「空様、口を挟まれますか?」
「まだだ。もう少し見物しようぜ。どこまで下らない芝居を見せてくれるか……楽しみだ」
エドガーは微笑を崩さず、礼儀正しく背筋を伸ばしたまま周囲に目を配る。
「承知しました。ただし、店主ご夫妻の命に関わる事態となれば――」
「その時は出るさ」
空の気配は飄々としていたが、瞳は冷たい。
やがてチンピラたちは、屋台から離れた他の客たちにもちょっかいを出し始めた。
「おい、そこのガキ! 何見てんだよ!」
「てめぇら、見せもんじゃねぇぞ!散れ!」
無法の連鎖に、広場の人々は恐怖に駆られ、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
さっきまで賑わっていた朝市は、見る間に閑散とした。
残ったのは震える店主夫妻と、串を食べ終えた空とエドガー。
……そして、もう一人。
「……お前ら、いい加減にしろ」
低く通る声が響き、場の空気が変わった。
通りの端に立っていたのは、短く刈った黒髪と鋭い眼光を持つ青年。
黒い革鎧に身を包み、背には長剣を負っている。
その姿に、空は小さく口角を上げた。
「あれは確か……カイルだったか」
街でも有名なパーティー――黒鋼の翼のリーダー、カイルだった。
彼は怯える店主夫妻の前に立ち、チンピラどもを睨みつける。
「なんだァ? お前」
太った男が顎を突き出す。
「邪魔するってのか? 俺らに逆らうと痛い目見るぜ?」
細身の男が冷笑する。
「……待て。こいつ、見覚えがある。黒鋼の翼のカイルだ」
ざわ、と下っ端たちが声をあげた。
「黒鋼の翼……って、あの?」
「有名な冒険者だろ。おい、マジかよ」
だがリーダー格の二人は怯まず、むしろ下卑た笑いを浮かべる。
「ククッ、なるほどな。だが冒険者風情が、俺ら《赤犬》に喧嘩を売る気か?」
「そうだぞ。“黒鋼の翼”のリーダー様よ。俺たちを敵に回すってのは、つまり――《赤犬》を全員敵に回すってことだぜ。覚悟はあるんだろうな?」
煽るような声に、カイルの表情はさらに引き締まった。
「街を荒らす連中を見過ごすほど薄情じゃねぇんだ。俺が黒鋼の翼リーダーである限り、ここで退く理由はない」
両者の声は広場に響き、残っていた人々の心を凍らせる。
誰もが恐れを抱き、遠巻きに息を潜めている。
空はその様子を見ながら、心底楽しそうに肩を揺らした。
「ははっ……おいエドガー、聞いたか? “敵に回すのか”だってさ」
「ええ、まるで子供の喧嘩のようですな」
「なあ、どっちが勝つと思う?」
「どちらでも構わぬかと。結局は空様が思う方の勝ちでしょう、」
「いいねぇ。強者と弱者がごちゃ混ぜになって、くだらない威勢を張り合う。人間ってほんと面白い」
エドガーは一歩前に出て、低く囁いた。
「空様、そろそろ……」
「いや、まだいい。もう少し、見せてもらおうか」
空の声は柔らかく、しかし冷酷さを孕んでいた。
《黒鋼の翼》と《赤犬》、二つの勢力のこの先の未来が決まろうとしていた。
《赤犬》と書いてレッドドック。




