1話 降臨
永遠とも呼べる時を超えて歩んできた存在は、ようやく決断を下した。
神々の組織を離れ、自ら創った舞台のひとつに降り立つ──それは、空にとって「遊戯」であり「実験」であり、そしてなにより「退屈の終わり」でもあった。
だが、その一歩を踏み出す前に、彼は立ち止まる。
「……そのままでは、この世界は壊れてしまうな」
己の存在は、世界にとって過ぎたもの。
一歩、踏み入れるだけで空気は震え、魂は揺らぎ、大地は軋む。
いまのまま降臨すれば、この世界の命は一瞬にして滅ぶだろう。
──だからこそ、力を制御しなければならない。
空は静かに目を閉じ、無限の時を超えて積み重ねた力を、意識の内へと封じ込めていく。
宇宙を生み出す力、理を塗り替える力、死をも新たな概念へと書き換える力──すべてを「蓋」で押さえ込む。
「……そうだな、今はただの一人の存在でいい」
彼にとって、それはほんの呼吸にも似た行為。
しかし、結果は天地を覆すものだった。
その瞬間──空を満たすはずの無限の力は霧散し、ただ「一つの魂」としての在り方へと収束した。
けれども、完全に隠すことはできない。
創造主としての輝きは、いかに抑えようとも漏れ出す。
まるで黒夜に差す一条の光が隠せぬように。
「……やれやれ、これが限界か」
彼は苦笑した。
人として生きようと望んだとしても、彼の存在そのものが「世界を震わせる因子」なのだ。
──そして、彼は歩み出す。
異世界と呼ばれる舞台へ。
* * *
降臨の瞬間、大地が震えた。
風が荒れ狂い、空気がざわめき、海が波立つ。
理由は誰にもわからない。ただ「恐怖」が世界を覆った。
人間は畏怖し、竜は空を仰ぎ、精霊は震え、魔族でさえ本能的に恐怖を感じた。
それは「理の外」から訪れた存在に対する、命の本能的な拒絶だった。
「……ふむ、やはり抑えきれなかったか」
彼は静かに大地に降り立った。
その姿は──白か、透明か、あるいはそのどちらでもない。
見る者によって印象が変わる、言葉にしがたい髪を持ち、瞳には宇宙のような深淵を宿す。
衣は纏っていないはずなのに、荘厳な威厳を放つ。
ただそこに「在る」だけで、神秘が形を取ったような存在。
その姿を目にしたならば、誰もがひれ伏すだろう。
だが──空は小さく肩を竦めた。
「このままでは……すぐに気づかれるな」
自らの姿は、世界に馴染まない。
恐怖を撒き散らし、畏敬を強いるだけの「異物」だ。
彼が望むのはそうではない。
彼は神として君臨するために来たのではない。
ただ、一つの存在として、この世界を生きるために来たのだ。
「……ならば」
空の姿が揺らぐ。
髪は白銀へと染まる。
透明とも形容された輝きは薄れ、凡庸な色彩へと変わる。
背丈は人間の成人男性ほどに。
鋭さを秘めた目元に、落ち着いた表情。
衣は粗末ながら清潔な旅装へと形を整えた。
「これくらいが、ちょうどいい」
鏡があれば、そこには一人の青年が立っていたことだろう。
年の頃は二十代半ば。
旅人のようにも、学者のようにも見える。
一見すれば、どこにでもいそうな人間の姿。
「さて……舞台は整った」
空は静かに笑う。
その声は、遠くの精霊にさえ届いた。
世界は既に震えている。
彼の一挙手一投足が、大地を揺らし、歴史を変える。
だが彼にとっては──ただの「始まり」にすぎなかった。
「退屈を終わらせよう。さあ、この世界よ……俺を楽しませてくれ」
──創造神、空。
その名を隠し、ひとりの人間として、異世界での歩みを始める。
そして、世界は知らぬ。
この瞬間こそが、歴史を大きく変える「起点」となることを。




