18話 観光
店を出た瞬間、裏通りに流れる冷たい風が頬を撫でた。
空は手にした大金貸の袋を軽く振ると、そのまま異空間に吸い込ませる。目に見えない波紋が広がり、袋は跡形もなく消えた。
「これで懐もあったまったな」
空は笑い、両手を頭の後ろに組んだ。
「実に見事な取引でございました、空様」
エドガーは恭しく一礼する。
「さて、この後は観光と参りましょう。まずは朝市にご案内いたします。街の活気を知るには最もふさわしい場所です」
「朝市か……いいな」
空は足を進めた。
街の中央へ戻るほど、徐々に通りは賑わいを増していく。
*
やがて広場に辿り着いた。
そこは、木造の屋台がずらりと並び、商人たちが声を張り上げて客を呼び込む朝市だった。
「いらっしゃい! 今日の朝仕入れた新鮮な魚だよ!」
「香草入りの焼きパンだよ! 香りを嗅ぐだけで幸せになれるよ!」
「珍しい果実だよ! 森の奥からの特産品だよ!」
色とりどりの商品が並び、客の笑い声や子供のはしゃぐ声が混ざり合う。
まるで街全体が息をしているようだった。
空はゆっくりと歩きながら、視線を左右に走らせる。
「……人間らしいな」
その呟きは風に紛れるほど小さなものだったが、確かに喜びがこもっていた。
エドガーは空の横で微笑んだ。
「空様にとっては、こうした光景こそ新鮮に映るのでしょうな」
「まあな。俺にとって“普通”ってのは逆に特別だからな」
そう言いながら、空は一つの屋台に足を止めた。
並んでいたのは、赤く熟した果実だった。
試しに一つ手に取り、銅貨を渡す。すると、果汁が溢れ出すほど瑞々しく、口の中に甘酸っぱさが広がった。
「……美味いな」
エドガーは軽く目を細める。
「お口に合いましたか」
「悪くない。これが人間の“日常の味”ってやつか」
空はどこか満足げに頷いた。
*
市場を一回りした後、二人は通り沿いの様々な店に足を運んだ。
革製品を扱う店では、空が無造作に手にした革手袋が驚くほど手に馴染み、思わず買い取ることにした。
宝飾品の店では、空が「ちょっと綺麗だな」と指差した銀のペンダントを、エドガーが「空様に似合います」と真顔で勧め、結果的に購入する羽目になった。
「お前な……勧められると断りづらいんだが」
「ふふっ、それが私の役目でございますので」
エドガーは悪びれもせず、優雅に笑ってみせた。
さらに本屋に立ち寄ると、エドガーは興味深そうに古い魔術書を手に取り、空に解説を始める。
「これはこの国で古来より伝わる理論ですが、現在は失われた体系でして――」
「難しいことはいい。だが、こういうのは見てるだけで面白いな」
空は適当にページをめくりながら、人間の知識体系が積み上げてきた歴史を感じ取っていた。
「いいな、やっぱり自分で作るのもいいが、こうやって人が作るのも悪くないな」
空は自分が買った物を眺めながら言う。
*
昼時になり辺りにいい匂いが漂ってくる。
「……飯にでもするか」
エドガーが微笑む。
「では昼食と参りましょう。朝市の近くには、手軽に食せる屋台が並んでおります」
二人は賑わう通りを抜け、香ばしい匂いに釣られて屋台へ向かう。
鉄板の上で肉が焼かれ、串焼きや煮込み料理が湯気を立てている。
「いらっしゃい! 特製のスパイス焼きだ! 肉汁たっぷりで腹も心も満たされるぞ!」
声を張り上げる店主の顔は、陽気で愛想がいい。
「肉串を二本くれ」
空は袋から銅貨を取り出し、店主の掌に渡した。
「へい、毎度! あんた、いい目をしてるな。これでもう一振りサービスだ!」
店主は笑いながら三本の串を渡した。
「おっ、ありがたいな」
空は受け取り、一本をエドガーに手渡した。
「ほら、お前も食え」
「……これは僭越ながら」
そう言いつつも、エドガーは一口食べ、目を細めた。
「ふむ……香辛料が効いていて、なかなかの味わいですな」
「だろ?」
空も豪快に齧りつき、口いっぱいに肉汁を溢れさせた。
「こういうのでいいんだよ」
二人が昼食を楽しんでいると、不意にざわめきが広がった。
「やめてください、ちゃんとと料金を払ってください」
「うるせぇ!」
「ひゃっはは! こんなもんただだろうが!」
声のする方へ振り返ると、屋台の一角で粗暴な男たちが数人、肩を揺すりながら騒ぎを起こしていた。
酒瓶を片手にした細身の男が串焼きを掴み、もう一人の大柄な男は屋台を蹴飛ばして笑っている。その後ろで下っ端と思われる数人がケラケラと笑っていた。
店主は顔を真っ赤にして叫んでいた。
「ふざけるな! 金を払え! こっちは生活がかかってるんだ!」
「うるせぇジジイ! 命が惜しけりゃ黙って差し出せ!」
「へっへっ、俺たち《赤犬》の連中に文句言う奴なんざいねぇよなぁ!」
屋台の店主らしき人物とその妻が立ち向かうが、
周囲の客たちは怯えて後ずさり、空気は一気に険悪になった。
空とエドガーは目を合わせた。
「……観光の締めに、ちょっとした余興が来たな」
空の声には、どこか楽しげな色が混じっていた。
エドガーはため息をつき、しかし目は冷静だった。
「さて、空様。どうなさいます?」
空は肉串を最後に一口で食べ切り、口元を拭った。
「決まってるだろ――見に行くぞ」




