14話 取引
森の血の匂いがまだ漂う中、狼の遠吠えも途絶え、静寂が戻ってきていた。
「……君」
空は、じっと彼女を見つめた。
「君はどうしてここにいるんだ」
その声は威圧的ではなかった。だが、逃げ場を与えぬ鋭さを秘めている。
ラフィーナはわずかに息を呑んだ。
「わ、私は……ラフィーナ・セレスティア。クラン《暁の羽根》所属の斥候です」
彼女は背筋を伸ばし、仕事としての礼儀を崩さぬよう努めながらも、先ほど抱き上げられた余韻に胸を高鳴らせていた。
「依頼で……聖魔草を採取するために、この森に来ていました」
ラフィーナは必死に言葉を続けた。
「……それで、たまたま……あなた方の戦いを……」
彼女は目を伏せた。目に焼き付いてしまった光景――狼を楽しげに切り刻む空と、優雅に屠るエドガー。
恐怖と同時に、妙な興奮がまだ抜けきらない。
「なるほど」
空は小さく溜め息をついた。
「――今日、君が見たこと。悪いが全部、忘れてくれ」
「……え?」
ラフィーナは思わず聞き返した。
空は懐から布袋を取り出すと、その中に手を入れ――不自然なくらい自然な動作で一枚の葉を取り出した。
薄く光を帯びた緑――《聖魔草》。
「代わりに、これをやる。……依頼はそれで達成できるだろ?」
空は軽く差し出す。
ラフィーナは目を見開いた。
「ど、どうして……」
「俺の力のことは、できれば知られたくないんだ」
沈黙。
ラフィーナは草を受け取るべきか迷った。だが、その真剣な眼差しに、言葉が喉で止まる。
やがて、彼女は小さく頷いた。
「……わかりました。口外はしません。聖魔草も……ありがたく頂きます」
それだけ言うと、ラフィーナは振り返り、森を後にした。
背後で二人の冒険者の姿が遠ざかっていくのを感じながら――胸は高鳴ったままだった。
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「……よろしかったのですか、空様」
彼女の姿が見えなくなってから、エドガーが問いかけた。
「記憶を消すことも可能であったでしょうに」
空はエドガーの方を向き
「……あんまり力を使いたくないんだよ。あれで済むなら、その方が楽だ」
少し遠くを見るような表情で続ける。
「それに……あの目は、黙ってくれると思うんだ」
エドガーは口元を緩めた。
「ふふ……やはり、空様はお優しい」
空は何も答えず、狼の死骸に目を向ける。
辺り一帯、血の匂いと死体で溢れていた。
「必要な素材だけ取って……あとは片づけよう」
空はは掌を掲げる。
死体がふわりと宙に浮き、素材だけを取り除き、は残り淡い光に包まれ――次の瞬間、小石ほどの塊へと凝縮された。
血の匂いも消え、ただの小さな石ころのように手のひらに落ちる。
「……便利でございますな」
エドガーが感心したように呟く。
空は苦笑を浮かべる
「じゃあ……ギルドに報告に行こうか」
二人は森を後にし、街へ向かって歩き出した。
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その頃。
ラフィーナはクラン《暁の羽根》の拠点に戻っていた。
石造りの建物の中、仲間たちが談笑する声が響く。
「ただいま戻りました」
彼女は聖魔草を差し出し、依頼達成を報告する。
「おお、やったなラフィーナ!」
「一人でよくやったじゃないか!」
仲間たちが口々に称える。
ラフィーナは笑顔を返したが、その頬は赤みを帯び、心ここにあらずだった。
報告を終え、机に腰を下ろす。
だが、視線は虚空を彷徨っていた。
(……あの時の、腕の温もり……)
(真剣な瞳……あんな人、今まで見たことない……)
頬がじんわりと熱くなる。
無意識に机に頬杖をつき、ボーっとしてしまう。
「……なあ」
「おい、見ろよ」
「ラフィーナが……ラフィーナが夢見る乙女みたいな顔してるぞ……?」
仲間たちがひそひそ声を交わす。
普段は冷静沈着で、任務に忠実な彼女。そんなラフィーナが、まるで別人のように頬を赤く染めている。
「……ありえねえ……」
「俺らのラフィーナが、恋してる顔だぞ……?」
仲間の一人が恐る恐る問いかける。
「な、なあラフィーナ……何かあったのか?」
しかし彼女は反応しない。
ただ遠くを見る目で、心の中の誰かを追いかけていた。
(……エドガー様……)
その名を、心の奥で密かに呼びながら。




