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盗賊ギルドの“契約者

マルクスに“鍵”を託し、俺たちは王都のさらに深く、澱んだ場所へと足を踏み入れた。次なる目的地は、「観測者ウォッチャー」の資質を持つ可能性があるという少女がいる、盗賊ギルドのアジトだ。

鴉の情報によれば、その少女――リズは、驚異的な動体視力と観察眼を持ち、カードゲームのイカサマやスリの動きを瞬時に見抜くため、ギルド内でも一目置かれると同時に、その能力を気味悪がられ、孤立しているという。

「…盗賊ギルド、ですか」

ハロルドが、胃のあたりを押さえながら、苦渋に満ちた顔で言った。「アルヴィン様、いくらなんでも、そのような無法者たちの巣窟に、領主様ご自身が赴かれるなど…」

「分かっている。だから、こうするんだ」

俺は、クロウが用意した、着古して酸っぱい匂いのする麻の服に袖を通した。貴族の装いを捨て、髪をわざと乱し、顔に泥を塗る。ハロルドも、上等な執事服をみすぼらしい旅装に着替え、クロウはいつもの仮面の上から、さらに顔を隠すように深いフードを被った。俺たちがこれから向かうのは、身分や体裁が何の意味もなさない、獣たちの縄張りなのだ。

王都の最下層。太陽の光は、密集した建物に遮られてほとんど届かず、常に薄暗い。迷路のように入り組んだ路地は、淀んだ水たまりと、得体の知れない汚物でぬかるんでいた。壁にもたれかかった人々は、虚ろな目で俺たちを一瞥するだけで、まるで生きる気力すら失っているかのようだ。

「旦那方、恵んでくだせえ…もう三日も何も…」

痩せこけた子供たちが、亡霊のようにどこからともなく現れ、俺たちの服の裾にまとわりついてくる。その目には、子供らしい輝きはなく、ただ飢えだけが宿っていた。ハロルドが、思わず懐から銅貨を取り出そうとするのを、俺は無言で制した。ここで施しをすれば、俺たちは一瞬で、さらに多くの飢えた者たちに囲まれ、身動きが取れなくなるだろう。

俺たちが歩を進めると、今度は路地の奥から、鋭い視線が突き刺さる。縄張りを荒らされた獣のような、敵意に満ちた視線だ。

「見ねえ顔だな…新参者は、とっとと失せな」

壁際に座り込んでいた、刺青を入れた男が、低い声で威嚇してくる。

「こいつら、何か隠してやがるぜ」

「その爺さんの杖、高く売れそうだ」

貴族であることを隠しても、よそ者である俺たちに向けられる空気は、冷たく、そして暴力的だった。ここには、王国の法など届かない。力こそが、唯一の法なのだ。

盗賊ギルドのアジトは、そんな最下層の、さらに奥深くにあった。湿った石壁の、隠し扉の前でクロウが合図を送ると、重い音を立てて扉が開き、中からギルドの元締めらしき、顔に大きな刀傷のある大男が現れた。彼の背後には、錆びた斧を肩に担いだ者や、腕に蛇の刺青を入れた者など、見るからに凶暴な荒くれ者たちが、嘲るような目で俺たちを見ている。

「…話は聞いている。だが、ずいぶんとみすぼらしい格好じゃねえか。ギデンの鴉も、落ちぶれたもんだな」

元締めは、俺の服から靴までを、まるで品定めするかのようにいやらしく眺め、舌なめずりをした。

「へっ、その爺さんの杖、質に入れりゃあ、一杯くらいは飲めるかもしれねえな」

「仮面の旦那も、素顔を見せてみろよ!」

下品な野次が飛び交う。彼らにとって、俺たちは交渉相手ではなく、丸裸にして身ぐるみ剥がすべき獲物でしかなかった。一触即発の空気に、ハロルドがゴクリと喉を鳴らす。

「中にいるリズという娘に、話がある。その時間を金で買いたい」

クロウが、冷静にそう言って銀貨の詰まった袋を投げ渡した。男は、それを受け取らず、足元に落とさせると、ブーツのつま先で中身を確かめた。

「…足りねえな。こんなはした金じゃ、俺たちの喉も潤せねえ。お前たちの命の値段としては、安すぎるんじゃねえか?」

男が合図すると、周囲の盗賊たちが、じりじりと俺たちを取り囲んだ。

「おっと、動くんじゃねえぞ」

盗賊の一人の瞳が、不気味な赤い光を放つ。俺の体に、見えない重圧がのしかかる。初級の精神魔法『威圧の魔眼プレッシャー・アイ』だ。足が、鉛のように重くなる。

「さあ、身ぐるみ置いて、とっとと失せな!」

だが、その瞬間、俺と盗賊の間に、ハロルドが杖を突き立てた。

「下賤の輩が。我が主君の前であるぞ!」

杖の先端に埋め込まれた魔石が淡い光を放ち、半透明の『守護結界プロテクション・フィールド』が展開され、赤い光の威圧を霧散させた。

「ほう、やるじゃねえか、爺さん!」

元締めが面白そうに言うと、別の盗賊が地面に手をついた。

「なら、こいつはどうだ! 『拘束の土人形マッド・パペット』!」

ぬかるんだ地面から、泥でできた腕が何本も伸び、俺たちの足に絡みついてくる。

ヒュン!ヒュン!

クロウが、音もなく動いた。彼の両手から放たれた数本のクナイが、泥人形の手を寸断し、地面に突き刺さる。クナイの柄に巻かれた札が、かすかな光を放ち、周囲の魔素の流れを乱した。

「魔封じ…! てめえ、何者だ!」

盗賊たちが、初めて警戒の色を見せる。

「取引の続きをしよう」クロウは、クナイを構えたまま、冷たく言った。「時間は有限だ。お前たちの根城が、今夜、衛兵隊の襲撃を受けるという『情報』も、我々は持ち合わせているが?」

「…なんだと?」

元締めの目が、初めて鋭く光った。

「お前たちが近々狙う予定の、東の地区の貴族の馬車。あれは、ジュリアン様の息がかかった商会が仕立てた罠だ。荷台に積まれているのは、財宝ではなく、武装した騎士たち。そして、お前たちの計画は、すでに衛兵隊に筒抜けになっている。信じるか信じないかは、あんた次第だがな」

一触即発の睨み合い。クロウの言葉には、奇妙な説得力があった。彼が率いる「鴉」という組織の不気味さを、この元締めも噂で聞いていたのだろう。

「…ちっ、どこまで知ってやがる…」

元締めは、忌々しげに舌打ちすると、顎で中をしゃくった。

「…いいだろう、一刻だけだ。だが、中で何があっても、俺たちは関知しねえ。そいつを連れて行こうなんざ、考えねえことだな。あいつは、俺たちにとっても“必要な駒”なんでな」

俺たちは、ようやく中に入ることを許された。だが、背後には、まだ値踏みするような視線が突き刺さっていた。

中は、荒くれ者たちの怒号と、賭博に興じる声、そして怪しげな薬草の匂いで満ちていた。(クロウの部下である二人の鴉が、すでに旅芸人と娼婦を装い、この混沌とした空間に溶け込んでいることを、アルヴィンとハロルドはまだ知らない。)

俺は、目的の人物がいるテーブルへと向かった。

そこに、彼女はいた。

フードを目深に被り、顔の半分を覆う大きなゴーグルをかけた少女が、一人で黙々とナイフの手入れをしていた。彼女の周囲には、誰も寄り付こうとしない。

俺が近づくと、彼女は顔も上げずに、冷たい声で言った。

「…消えて。あんたみたいな綺麗な服着たお坊ちゃんからは、反吐が出る匂いがする」

「俺はアルヴィン・ギデン。あんたに話があって来た」

「話? 聞くまでもないわ。どうせ、私のこの『目』が欲しいんでしょ。ごめんだけど、あんたの手駒になるつもりはない。とっとと失せな」

ヒュッ、と空気が微かに鳴った。

気づいた時には、俺の首の周りを、目に見えない何かが取り囲んでいた。肌を撫ぜる、剃刀のように冷たい空気の流れ。それは、彼女が指先から放った、極限まで薄く圧縮された風の刃だった。

その瞬間、それまで俺の後ろに控えていたハロルドが、一歩前に出た。いつもは柔和な彼の顔から表情が消え、まるで能面のようになる。彼が手にしていた樫の杖の先端から、かすかな魔力の光が漏れ出した。

「小娘。その刃を、今すぐ収めよ。我が主に対して、あまりにも無礼であろう!」

彼の低い声には、老執事とは思えぬほどの、威圧感がこもっていた。

同時に、俺の背後にいたクロウの気配が、一瞬にして殺気に変わった。彼の手が、懐の短剣へと伸びるのが、空気の揺らぎで分かった。

「二人とも、手を出すな」

俺は、クロウとハロルドを、声だけで制した。「刺激するな。彼女は、ただ警戒しているだけだ」

“無才”のはずの彼女が、魔法を…? いや、違う。これは、魔力循環炉を通さない、ごく微量の魔素を、彼女の驚異的な集中力だけで直接操作しているのだ。常人には到底不可能な、神業に近い芸当だった。

俺は、首筋の冷たい感触にもかかわらず、不敵に笑ってみせた。

「…面白い。本当に殺す気なら、もうやってるはずだ。やらないのか? やれないのか?」

「…あんた、死にたいの?」

リズの声に、初めて殺気がこもる。風の刃が、ぴり、と俺の肌を刺激し、一筋の血が流れた。

「やれるもんなら、やってみな。俺は、これでも辺境伯だ。俺を殺せば、あんたたち盗賊ギルドは、王家からの本格的な討伐を免れない。あんたは、自分の居場所を、自らの手で壊すことになる。それでもいいなら、どうぞ?」

俺の挑発に、リズの指先が、わずかに震えた。俺の首を囲んでいた風の刃が、霧散する。

「…あんた、何が目的よ」

「言ったはずだ、スカウトしに来た、と。あんたほどの才能がありながら、なぜこんな掃き溜めにいる? あんたは、このギルドと『契約』しているな。あんたのその目で、ギルド内の裏切り者を見つけ出す。その見返りに、ギルドは、あんたと、あんたの妹の安全を保証している。違うか?」

俺の言葉に、リズは息を呑んだ。

「…どこでそれを…」

「俺には、俺の情報網がある」

俺は続けた。「あんたは、妹を守るために、この掃き溜めにいる。だが、それは本当に『安全』か? 便利な道具として、飼い殺しにされているだけじゃないのか? 俺なら、あんたたち姉妹に、もっとマシな場所を提供できる」

その時、アジトの扉が乱暴に開かれ、血相を変えた盗賊の一人が駆け込んできた。

「大変だ! 衛兵どもだ! “光の縄”を持ってる! 昨日の貴族襲撃の犯人を探してるらしい!」

ギルド内が、一気に騒然となる。元締めの大男は、忌々しげに舌打ちすると、壁に仕掛けられていた古い魔道具に手をかけた。それは、緊急脱出用の、不安定な破壊魔法が込められたスクロールだった。

「ちっ…面倒なことになりやがった! あばよ、てめえら! こいつで足止めさせてもらうぜ!」

彼は、スクロールを起動させると、自分だけが知る隠し通路へと、一目散に消えていった。所詮、盗賊とはそういう生き物だ。

魔道具が甲高い起動音を立て、天井や壁の亀裂が、赤い光を放ち始める。

「まずい、ここが崩れるぞ!」俺は叫んだ。

荒くれ者たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。だが、リズは動かなかった。彼女は、何かを庇うように、テーブルの下に隠れていた小さな影に覆いかぶさっていた。

それは、彼女と同じ髪の色をした、怯える妹のリアだった。

「お姉ちゃん…怖いよ…」

「大丈夫よ、リア。私が、絶対に守るから」

リズは、リアの手を固く握りしめている。

俺は、彼女に近づき、声を潜めて言った。

「おい、この状況でまだ俺を脅しているつもりか? 今、俺たちにもちょっと厄介な事が起きてるんでね。衛兵に捕まる前に、ここで生き埋めになるのは、あんたもごめんだろう?」

ゴゴゴ…!

俺がそう言った、まさにその時だった。天井から、巨大な岩塊が落下してくる。

「そこまでだ、盗賊ども! 全員、神妙にしろ!」

アジトの入り口から、武装した衛兵たちがなだれ込んできた。彼らの手には、魔力を帯びて淡く光る縄――捕縛魔法『光のライトバインド』が握られている。数は十数人。俺たちは、崩落と衛兵に、完全に挟み撃ちにされた。

「ちっ…!」クロウが、懐の短剣に手をかける。

「おやおや、これはこれは」

衛兵たちをかき分けて現れたのは、見覚えのある男だった。王都商業ギルド長、ジュリアンの腹心である、セバスチャンと名乗る執事だ。

「…こんな掃き溜めで、辺境伯様は何をしておいでですかな?」

セバスチャンは、俺の顔を見ると、わざとらしく驚いてみせた。

「これは、面白いことになりました。ギルデン領主様が、盗賊とつるんでいた、と。王家に報告すれば、格好の口実になりますな。領地没収、間違いなしでしょう」

彼は、勝利を確信したように、歪んだ笑みを浮かべた。

絶体絶命のピンチ。俺のせいで、全てが終わる。

俺が覚悟を決めた、その時だった。

ヒュンッ!

アジトの照明である魔法のランプが、どこからか飛んできた小石によって、一つ、また一つと砕け散った。辺りが、一瞬で暗闇に包まれる。

「な、何事だ!?」

衛兵たちが混乱する中、クロウが俺の腕を掴んだ。

「アルヴィン様、こちらへ!」

同時に、隅の席にいたはずの旅芸人と娼婦――二人の鴉が、驚くべき速さで動き、衛兵たちの陣形を巧みに乱していく。彼らは殺しはしない。ただ、相手の武器を奪い、足を払い、無力化するだけだ。

暗闇の中、俺はクロウに導かれ、ハロルドと共に裏口へと走った。

「待って!」

後ろから、リズの声がした。彼女は、リアの手を固く引き、俺たちの後を追ってきていた。

「…あんたたち、一体何者よ」

「言ったはずだ。あんたをスカウトしに来た、と」

俺たちは、下水の臭いが立ち込める、王都の暗い裏路地を、ただひたすらに走った。

騒ぎから逃れ、隠れ家に戻った俺たちを、リズは警戒に満ちた目で睨みつけていた。

「…あんたを助けたわけじゃない。ただ、リアを騒ぎに巻き込みたくなかっただけよ。アジトはもう使えない。どうしてくれるのよ」

彼女は、そう言って俺たちから距離を取った。

「これで分かったでしょ。私のこの力は、ろくなことを呼ばない。あんたみたいな貴族と関われば、リアまで危険な目に遭う。もう、私たちに関わらないで」

彼女は、そう言って俺に背を向けた。だが、俺は引き下がるわけにはいかなかった。

「待ってくれ!」

俺は、彼女の前に立ち塞がった。

「あんたの言う通りかもしれない。俺は、馬鹿で、無力な領主だ。だが、それでも、俺は諦めない。あんたのその力を、『呪い』のままにはさせない。あんたが今いる場所は、安全な檻かもしれない。だが、檻は檻だ。俺が、あんたと、あんたの妹が、誰にも怯えずに、自由に生きられる場所を、必ず作ってみせる!」

俺の必死の言葉に、リズの足が、わずかに止まった。だが、彼女が振り返ることはなかった。

俺たちの仲間探しは、始まったばかりで、あまりにも高い壁にぶつかっていた。

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