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落ちこぼれ領主と“絶望”の代償

この世界――ゼノン王国の価値は、ただ一つで決まる。

魔法。

生まれつき体内に宿す「魔力循環炉マナ・サーキット」の品質と、それによって行使可能な「魔法の等級アーツ・ランク」が、個人の身分、富、そして尊厳の全てを決定づける。

強力な血筋を受け継ぎ、天候を操り、大地を穿つ高ランク魔法を操る者が貴族として君臨する。

中ランク以上の実用魔法で身体を強化し、炎の剣を振るう者が騎士として讃えられる。

そして、人口の九割以上を占める、魔力を持たないか、灯りを点す程度の初級魔法しか使えない者たちは「無才ブランク」と呼ばれ、魔法使いたちの庇護がなければ生きることすらできない、従属すべき存在とされていた。

魔法こそが絶対。魔力なき者は、人に非ず。

それが、この魔法階級社会マギ・クラティアの、揺るがぬ常識だった。

俺の名前はアルヴィン・ギルデン。二十四歳。

辺境伯ギルデン家の三男にして、この死にかけの領地の、名ばかりの領主。

そして――王侯貴族に生まれながら、初級魔法すらまともに使えない“落ちこぼれ”だ。

俺の魔力循環炉は、生まれつき欠陥があった。大気中の魔素エーテルを取り込もうとしても、そのほとんどが熱に変わって霧散してしまう。グラスに水を満たすだけの初級魔法ですら、俺が使えばグラスを内側から破裂させるか、ぬるま湯を数滴垂らすのが関の山だった。

母は、中央の有力な公爵家から嫁いできた、美しい風の魔法の使い手だったと聞く。だが、俺が“無才”であることが判明すると、彼女の実家はそれを「ギルデン家の血が劣化した証拠」「公爵家の血を汚すもの」と断じ、彼女を強制的に連れ戻した。父は抵抗したが、辺境伯の力ではどうすることもできなかった。母は、王都の屋敷に、今も幽閉同然の暮らしを強いられている。

俺のせいで、母は父と引き裂かれ、自由を失った。その罪悪感は、ずっと俺の心の奥底に、鉛のように沈んでいる。

三年前の隣国との戦争で、父と兄たちは全員死んだ。

王都からの公式発表は「名誉の戦死」。だが、真実は違う。戦後、父の唯一の生き残りであった腹心の老騎士が、瀕死の状態で城にたどりつき、血を吐きながら俺に全てを語ったのだ。中央の貴族たちが、父の大地魔法が自分たちの領地の価値を相対的に下げることを恐れ、意図的に父の部隊への補給路の情報を偽り、孤立無援の状態で見殺しにしたのだと。老騎士は、その言葉を最後に息を引き取った。

そして、ギルデン家の“恥”であった俺は、厄払いされるように、最も貧しく、魔力も枯渇したこのギルデン領を押し付けられた。王都の連中は、俺がこの土地と共に、静かに朽ち果てるのを待っているのだ。

「領主様、王都からの通達です」

執事長のハロルドが、苦渋に満ちた顔で羊皮紙を差し出す。

『“無才伯”アルヴィン殿におかれては、領地の管理もままならぬことと拝察する。ついては、今期の納税が滞った場合、王家直属の“管理官”を派遣する用意があることを、ご承知おき願いたい』

“無才伯”。それが、王都での俺のあだ名だ。管理官の派遣とは、事実上の領地没収宣言に他ならない。

自室に戻った俺は、父が遺した書斎で、一冊の古い日記を手に取った。そこには、父が密かに研究していた、禁断の古代魔法に関する記述があった。

魔素編纂エーテル・スクリプト

それは、術者が直接魔力を行使するのではない。大気中の魔素の流れそのものを、緻密な設計図を描くことで書き換え、自然現象として魔法を発動させるという、異端の魔法体系だった。

『――この魔法の真髄は、魔力なき「無才」でも、奇跡を起こせる点にある。だが、それ故に、魔力至上主義の王家からは、最も危険な思想として禁じられた…』

日記によれば、この魔法を発動させるには、俺のような高度な知識を持つ「編纂主エディター」の他に、四つの特殊な資質ギフトを持つ協力者が必要不可欠だという。

「理論家」「観測者」「調律師」「記録媒体」。

これだ。これこそが、俺に残された唯一の希望。

俺は焦っていた。納税の期日は、刻一刻と迫っている。

俺は、なけなしの領地の予算をかき集め、情報屋である「鴉」に、四つの資質を持つ人間の捜索を命じた。数日後、「鴉」は一つの情報をもたらした。

『隣領にて、“千里眼のファルコ”と名乗る男が、カード賭博で百戦百勝との噂』

“千里眼”! まさに、「観測者」にふさわしい能力ではないか!

俺は、ほとんど衝動的に、その男をスカウトするために、ハロルドの制止を振り切って有り金をはたいた。

ファルコと名乗る男は、胡散臭いが、確かに人並み外れた眼力を持っているように見えた。彼は、俺が差し出した金貨の僅かな傷を見抜き、ハロルドが隠し持っていた短剣の存在を言い当ててみせた。彼は言った。「俺のこの目は、全てを見通しちまう。だからこそ、普通の暮らしができずに、こうして日陰を歩いてるのさ」

その言葉に、俺は完全に舞い上がってしまった。彼こそ、俺が探していた逸材だと。俺は、契約金として、領地の金庫に残っていたなけなしの金貨の、ほとんど全てを彼に渡した。

結果は、惨憺たるものだった。

俺がファルコを雇い入れた日の夜、事件は起きた。彼が寝泊まりしていた部屋はもぬけの殻で、城の食糧庫から非常用の食料がごっそりと盗まれ、そして、金庫に残っていた僅かな金貨も消えていた。

俺の手元に残ったのは、空っぽの金庫と、ファルコが残した一枚のカード。そこには、こう書かれていた。

『“落ちこぼれ”のアルヴィン様は、人を見る目もないらしい。アンタの絶望、最高のエンターテイメントだったぜ』

さらに、追い打ちをかけるように、最悪の報告がもたらされた。

城に、隣のバーレーン領主エグバートが、物々しい護衛を連れて「見舞い」と称して訪れたのだ。謁見の間に現れたエグバートは、肥え太った体を揺らしながら、俺を見下して言った。

「やあ、アルヴィンの小僧。大変だったそうじゃないか。領内の食料を盗人に奪われたそうだな。このワシが、お前さんのために、その盗人から食料の一部を取り返してやったぞ」

彼の部下が、見せつけるように、見覚えのある食料袋を床に置いた。

「なんというご親切…」ハロルドが、かすれた声で言う。

だが、俺は、その裏にある悪意を敏感に感じ取っていた。

「して、アルヴィンよ」エグバートは、本題に入った。「父君を失い、お前さんのような“無才”が領地を治めるのは、さぞ骨が折れることだろう。ワシも、父君とは旧知の仲。このまま見捨てるわけにもいかん。どうだ、このワシが、お前さんの領地経営を『援助』してやろうではないか」

「…援助、と申されますと?」

「うむ。まずはお前さんのところの財政を立て直すため、ワシのところから金を貸してやる。食料も融通してやろう。その代わり、見返りが必要だ。そうだな…両領の国境付近にある、あの森。あれの所有権を、ワシに譲渡してもらおうか」

それは、ギルデン領に残された、唯一にして最後の資源である、豊かな森林地帯だった。

全ては、仕組まれていたのだ。ファルコは、最初からエグバートに雇われ、俺を騙し、破滅させるために送り込まれた刺客だった。そしてエグバートは、俺が最も弱ったこの瞬間に、救いの手を差し伸べるフリをして、全てを奪いに来たのだ。

「…お断りします」

俺がそう言うと、エグバートの顔から笑みが消えた。

「…なんだと? この状況で、ワシの援助を断るというのか? このままでは、お前の領民は飢え死にするだけだぞ。それとも、お前さんのちっぽけなプライドのために、民を犠牲にするというのか? さすがは、あの理想主義者のエドガーの息子よな!」

彼は、俺の父の名を、嘲るように口にした。

俺は、唇を噛み締めた。ここで折れれば、俺たちは永遠にエグバートの奴隷となる。だが、断れば、民が飢える。

「…一年…」俺は、絞り出すように言った。「一年だけ、お待ちいただきたい。一年後、必ずや、このギルデン領を立て直してみせる。もし、それができなければ…その時は、あなたの言う通りに」

「くくく…面白い! 最後の悪あがきか! よかろう! 一年後、お前が泣きながらこのワシに森を差し出す姿を、楽しみに待っててやるわ!」

エグバートは、高笑いを残して去っていった。

エグバートが去った後、俺を待っていたのは、地獄だった。

俺が城門を出ると、そこには領民たちが集まっていた。彼らの目に、かつてのような期待の色はもうない。あるのは、軽蔑と、嘲笑だけだった。

「おい見ろよ、“無才伯”様のお成りだぜ」

「魔法も使えねえくせに、本ばっか読んでるから、イカサマ師に騙されるんだ」

「父君は偉大な魔法使いだったのになあ。息子がこれじゃ、草葉の陰で泣いてるぜ」

彼らの言葉が、石つぶてのように俺に投げつけられる。俺は、何も言い返すことができなかった。

その夜、鴉の長であるクロウが、俺の前に現れた。

「…なぜだ…」俺は愕然とした。「なぜ、鴉たちは、ファルコの正体を見抜けなかったんだ…!」

クロウは、仮面の奥で静かに言った。

「…申し訳ありません。部下の一人が、エグバートに買収されておりました。奴は、ファルコに関する不利な情報を全て握りつぶし、あなた様に偽りの報告を上げていたのです」

「裏切りだと…!?」

「はい。見抜けなかった、我々の落ち度です。裏切り者は、掟に従い、我らの手で始末いたしました」

クロウの言葉は、淡々としていた。だが、次に続いた言葉は、俺の心を凍りつかせた。

「アルヴィン様。我ら『鴉』は、ギルデン家に絶対の忠誠を誓っております。ですが、それはギルデン家が、この地を守るに値する存在であるという信頼の上になりたっております。これ以上、あなた様の未熟さによって領地が危機に瀕するようなことが続くのであれば…我らも、我らのやり方で、この地を守るための『判断』を下さねばならなくなるやもしれません」

それは、最後通牒だった。次はない。次に失敗すれば、俺は忠実な影にさえ、見捨てられる。

忠実な影であるはずの「鴉」にまで裏切られ、見限られかけた。

俺は、完全に孤立した。

ハロルドは、俺の前に崩れるように膝をついた。

「アルヴィン様…! なぜ、お分かりにならないのですか! 先代様があなた様に、魔法ではなく、歴史と哲学ばかりを教え込まれた理由を! あなた様の武器は、その頭脳と、人の本質を見抜く目であるはず! それなのに、あなたは焦りから、最も頼るべきご自身の力を放棄なされた!」

その目には、涙が浮かんでいた。

絶望のどん底で、俺は再び「鴉」を呼んだ。だが、今度の命令は違った。

「噂や異名に惑わされるな。本当に虐げられ、社会の隅に追いやられ、その“才能”を持て余している人間を探せ。俺は、もう失敗しない。俺自身の、この目で判断する」

数週間後、「鴉」は、新たな情報をもたらした。

彼らこそが、本物の資質を持つ者たち。そして、彼らの才能は、祝福ではなく、彼らを苦しめる“呪い”だったのだ。俺のやるべきことが、ようやく見えた。

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