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日報095:古の誓い

 辺境に来てから第七十二日目の朝。

 エルフの里から帰還した俺たちの村は、新たなそして熱気に満ちた日常を迎えていた。『熟成魔法陣・材料調達プロジェクト』の始動。そのあまりにも壮大で、しかし村の未来を決定づける重要な目標に向かって、村全体が一つの巨大なエンジンとして力強く回転し始めていたのだ。


 その心臓部ともいえる場所がフィリアの工房だった。

 大工の棟梁であるトランだが、フィリアの常識外れな発想を形にする彼の類稀な木工技術は、もはや彼女の開発に不可欠なものとなっていた。いつしか二人は、村の技術開発を両輪で支える「相棒」と呼ばれるようになっていたのだ。


 俺が工房を訪れると、中はいつも通り熱気に満ちていた。

「……ダメだぁ! 温度が足りない! トランさん! もっと炉の火力を上げられないの!?」

「無茶言うな、嬢ちゃん! これ以上はこの工房の炉じゃ耐えきれねえ!」

 フィリアとトランの、怒号にも似たしかしどこか楽しげな声が響き渡る。


「大将!」俺に気づいたトランが、その大きな顔を汗で光らせながら笑った。「嬢ちゃんの奴、とんでもねえもん作ろうとしてやがるぜ。外の冷気を完全に遮断して中の熱を一切逃がさねえ、魔法みてえな布だ。そのためにはあの『氷炎石』を髪の毛みてえに細く細く引き伸ばして、繊維に織り込まなきゃならねえらしい。……だがそいつが鉄なんざ比べ物にならねえくれえ硬えんだ!」


 工房は、彼ら二人だけではない。村の総力を挙げたプロジェクトの拠点となっていた。

「フィリアさん! 計算、終わりました!」

 駆け込んできたトムが、フィリアに一枚の羊皮紙を渡す。「この合金の最適な強度と重量の比率です!」

「……助かります、トムさん。……いい仕事です」

 フィリアが珍しく素直な賞賛の言葉を口にする。


 その一方で、工房の隅では、別の議論が交わされていた。

「棟梁! 北の山なら俺たち鉱夫仲間に聞いたことがあるぜ」

 ガルフが、トランを囲んで地面に描いた設計図を指差しながら熱弁している。「氷壁を登るならただ頑丈なだけのピッケルじゃダメだ。こういう氷に食い込むような特殊な形の刃先が要るんじゃねえか?」

 その実体験に基づく無骨だが合理的な助言が、確かな実用性という魂を吹き込んでいく。

 村の仲間たちが、それぞれの立場でこの困難な挑戦を支えている、頼もしい光景だった。


 一方、マリーの研究室は工房の熱気とは対照的に、神聖なまでの静寂に包まれていた。

 彼女は『世界樹の若葉』のその奇跡的な生命力の細胞培養に没頭していた。そこへエリナが差し入れのスープを持って訪れた。

「マリーさん。少しは休んだらどう?」

「……エリナさん。……見てください。これ……」

 マリーがエリナに見せたのは、一つの小さな軟膏の壺だった。

「『世界樹の若葉』の細胞を培養し、私が調合した薬草と組み合わせることで生み出した『万能治癒軟膏』の試作品です。……その効果はおそらく、これまでのどんな回復薬をも凌駕します」

 その言葉にエリナは村の経営責任者として、即座にその価値を理解した。

「……すごいわ、マリーさん。これさえあれば村の皆が怪我を恐れず仕事に打ち込める。それにこれは我々の村のMP回復薬に次ぐ、新たな主力商品になるかもしれない」

 二人の才女は村の医療と経済の新しい未来について、静かにしかし熱く語り合うのだった。


 訓練場に目を向ければ、ヴァレリウスが鬼神の如き形相で村の警備隊を鍛え上げていた。村全体が、次のステージへと向けて、確かに動き出していた。


 辺境に来てから第七十六日目の朝。

 俺は領主館の執務室で、セシリアとエリナを交えて『凍てつく牙』へ向かう遠征隊のメンバー選定会議を開いていた。参加者は、この三人だけだ。


「……今回の遠征は、これまでの遠征とは訳が違う。極寒の地、未知の魔物。考えうる限り、最高の布陣で臨む必要がある」

 俺の言葉に、エリナが険しい表情で頷く。


「まず斥候役は、ミオ以外に考えられません。彼女の森での経験とスピードは、我々の生命線です」

 セシリアの提案に、異論はなかった。

「解析役もセラフィナさんが必須ですね。『魂の脈図』を読み解き、古代遺跡を分析できるのは彼女だけです」

 エリナが続ける。


「問題は、戦闘員です」セシリアが、そこで言葉を区切った。「慎一様と私が行くとして、もう一人、遊撃に特化した戦力が欲しい。……リリィ、彼女の同行を許可していただけないでしょうか」


「お待ちください、セシリア様」エリナが、即座に反論した。「村の最強戦力であるあなたとリリィが、同時に村を離れるのはあまりに危険です。それに彼女は自警団の要でもあります」


 だが俺はその言葉を静かに、しかし力強く否定した。

「そのためのヴァレリウスだ」

 俺は窓の外で村の警備隊を鍛え上げている、ヴァレリウスの姿を指差した。

「彼がこの村に来てから一ヶ月。もはや村の警備体制は俺たちがいた頃とは比べ物にならないほど盤石なものになっている。俺は彼をこの村の守りの要として全幅の信頼を置いている」


 俺の言葉を受け、セシリアも強く続けた。

「エリナさん、あなたの心配はもっともです。ですが未知の土地での少数精鋭による探査任務において、リリィのスピードと索敵能力は不可欠です。私の力と彼女の速さ。二人が揃ってこそ我々の戦力は最大限に発揮されるのです。……どうか彼女の同行を認めてくれないだろうか」

 そのセシリアの騎士としての、そしてパートナーとしての真摯な願いに、エリナはしばらく考え込んだ後、静かに頷いた。


「……そしてもう一人、専門家が必要だ。最初の目的地は古代ドワーフの廃坑だ。我々にはその特殊な環境を熟知した人物が不可欠だ」

 俺は、ある男の顔を思い浮かべていた。

「ガルフ、彼を『地質学・サバイバル専門家』として遠征に加えようと思う。彼には後で私から直接、同行を要請する」


 その会議が終わったまさにその時だった。

「シ、シンイチ様ーっ!」

 セラフィナが息を切らし、数枚の羊皮紙を抱えて執務室に駆け込んできた。

「大変です! 見つけました! 『魂の脈図』とエルフの里からお借りしてきた古代の文献を照合する中で、重大な記述を……!」


 彼女が興奮気味に広げたその文献。

 そこにはこう記されていた。

『……かの北の山に眠る『星屑のミスリル』はただの希少鉱石にあらず。それは古のドワーフの一族が『山の心臓』として崇めし聖なる星の欠片なり。その一族、数百年前に故あってかの地を去りし時、聖なる鉱床を悪しき者から守るため神聖なる誓いを立て、一人の『番人』をその地に残したり。その『番人』、代々その役目を引き継ぎ、部外者の一切を退ける山の化身の如き頑固者なり、と……』


「……番人?」

 俺たちの遠征の目的は単なる「採掘」から、未知の「番人との交渉」という新たな、そしてより困難な側面を持つことになったのだ。


 辺境に来てから第七十九日目の夕方。

 フィリアとトランが一週間の死闘の如き開発期間を経て、ついに新装備を完成させた。

 村の中心広場で行われたお披露目会には、村の仲間たちが総出で集まっていた。


「今回の遠征に役立つ新しい力です!」

 フィリアが誇らしげに掲げたのは『陽炎の外套かげろうのマント』と『岩喰いのピッケル(いわくいのピッケル)』だった。

 外套はまるで陽炎のようにその輪郭を淡く揺らめかせている。フィリアがその外套を氷の塊に被せると、氷は一切溶けることなくしかし外套の内側だけが温かい蒸気を放っていた。

 そしてピッケル。ガルフがそれを一振りすると、巨大な岩がまるで豆腐のようにたやすく砕け散った。

 そのあまりにも驚異的な性能に、村中からどよめきと歓声が上がった。


 遠征隊の前に進み出たヴァレリウスが、完璧な騎士の礼で敬礼する。「指揮官殿。皆様のご不在中、この村は、我々が命に代えてもお守りいたします。ご武運を」


 その夜、出発を明日に控え、俺は執務室で最終的な計画を確認していた。

 そこへ、セシリアと彼女に少し恥ずかしそうに促されたリリィが、二人で夜食のスープを持って訪れた。


「シンイチ様。いよいよですね」

「はいっ! セシリア様と一緒なら、どんな魔物だって怖くありません!」

 リリィが、満面の笑みで力強く応える。久しぶりに揃った村の最強タッグは、自信に満ち溢れていた。


「シンイチ様。あの『番人』のことですが」セシリアが真剣な目で俺に問うた。「まずはあなた様の方針に従い、対話を試みます。ですが、万が一交渉が決裂し、相手が我々に牙を剥くのであれば……その時は、私が全力であなた様をお守りし、道を切り開きます」


「いや」俺はその言葉を静かに遮った。「相手はただの魔物じゃない。誇り高い使命を背負った男だ。力ずくは最後の手段だ。まずは交渉で活路を見出す。……その方が俺らしいだろう?」

 俺のその言葉に、セシリアとリリィは顔を見合わせ、そして誇らしげに微笑んだ。


 俺は仲間との静かな、そして温かい絆を再確認し、明日から始まる壮大な冒険への決意を新たにするのだった。

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