日報089:天才たちの成果物
辺境に来てから第六十四日目の夕刻。
ミオが村への使者として旅立ってから、三日が経過していた。エルフの里での時間は、外界とは違う、穏やかで、しかしどこか張り詰めた独特の法則で流れていく。俺たちタスクフォースは、ミオの帰還という吉報を待ちながら、決して無為に時間を過ごしてはいなかった。来るべき決戦に備え、それぞれが、それぞれの戦場で、自らの任務を遂行していたのだ。
その主戦場は、やはり、世界樹の最上階に位置する、禁断の聖域『月の書架』だった。
俺とセラフィナは、ライラの全面的な協力を得て、この叡智の海に、再び深く潜っていた。
「ライラ殿。昨日の分析で、あの『守護者』こそが、浄化の鍵であるという仮説が立った。だが、それだけでは足りない。敵の、本当の姿を知る必要がある」
俺は、総務部長として、プロジェクトの失敗原因を分析する時のように、冷静に、そして徹底的に、過去の浄化儀式の失敗記録を、再調査していた。
エルフたちが遺した記録は、どれも「術式の不完全さ」や「触媒の不足」といった、魔法的な観点からの分析に終始していた。だが、俺の目は違う。
(……この、四百年前の第二次浄化作戦。参加したエルフの魔導士は、十二名。全員が、高位の生命魔法の使い手。だが、その記録の末尾に、ごく小さく『作戦当日、夜半より未曾有の豪雨。沼の水位が、予測を大幅に超過』とある。……これだ。彼らは、天候という、あまりにも基本的な環境要因を、完全に見落としていたんだ)
(……こっちの、二百五十年前の第四次作戦。古文書には『聖なる歌声を捧げ、呪いの活性を一時的に抑制することに成功。だが、儀式の最終段階で、沼の深淵より、未知なる魔物の奇襲を受け、術者が致命傷。儀式は失敗』とある。……つまり、彼らは、沼の周辺の魔物を掃討しただけで、沼の『中』に潜む、本命の脅威に、全く気付いていなかったということか)
俺は、彼らが数百年もの間、気づかなかった失敗の、本当の原因を、次々と特定していく。その、あまりにも異質な分析手法に、ライラは、驚きを通り越して、もはや畏怖の念を抱いているようだった。
「……シンイチ殿。あなたは、まるで、戦場の指揮官が、過去の戦史を紐解くかのように、我らの歴史を分析なさるのですね」
「ええ。どんなプロジェクトも、過去の失敗事例にこそ、成功への最大のヒントが隠されているものですから」
そして、俺は、全ての失敗事例に共通する、一つの仮説にたどり着いた。
「ライラ殿。この沼は、ただ、呪われているだけではない。沼の、最深部のどこかに、呪いを生成し、汚染を広げ続ける、心臓部……いわば、『核』のようなものが、存在するのではないだろうか」
その、エルフたちが、これまで一度も思い至らなかった発想。ライラは、はっとしたように、目を見開いた。
一方、セラフィナもまた、自らの領域で、大きな発見をしていた。
「シンイチ様! 見つけました! あの、呪熊が『特定の音波』に弱いという伝承! それを、人工的に発生させるための、簡易的な『共鳴魔法陣』の設計図です!」
彼女が、羊皮紙に描き出したのは、複雑怪奇、しかし、どこか音楽的な美しさを持つ、魔法の幾何学模様だった。
「この魔法陣を、複数、地面に設置し、同時に起動させれば、対象の魔力を、内側から乱し、その動きを、数分間だけですが、鈍らせることができるはずです!」
客舎では、セシリアが、リズの護衛をしながらも、来るべき再戦に備え、自らの剣技を、さらに磨き上げていた。彼女は、目を閉じ、あの呪熊との戦いを、何度も、何度も、頭の中で反芻している。
(……あの巨体。あの瘴気。私の剣だけでは、決定打にはならない。だが、仲間たちとの連携があれば……。ミオが作り出す隙。ライラ殿の精密な射撃。そして、セラフィナ殿の支援魔法。その全てが、完璧に噛み合った、その一点に、私の、最速、最強の一撃を叩き込む……!)
そして、リズ。
彼女は、この、清浄な魔力に満ちたエルフの里で、自らの、あまりにも巨大な力を、無意識のうちに、コントロールする術を、学び始めていた。彼女が、泉のほとりで、何気なく歌を口ずさむと、その歌声に応えるかのように、泉の水が、七色に輝き、周囲の花々が、一斉に、その蕾を開く。その、あまりにも神聖な光景に、エルフの子供たちが、遠巻きに、しかし、憧れの眼差しで、彼女を見つめていた。
そして、その時は、訪れた。
第六十四日目の夕刻。
俺たちが、書庫での調査の成果を、客舎で共有しているところへ、一陣の、銀色の風が、舞い込んできた。
「……はぁっ……! はぁっ……! シンイチ……! 持ってきた……よ!」
ミオだった。
村との往復を、銀狼族の、驚異的な健脚で、わずか二日で終えて、帰還したのだ。その体は、極度の疲労で、今にも倒れそうだったが、その蒼い瞳には、託された任務を、完璧に成し遂げた、誇りと、確かな成果の光が、宿っていた。
「ミオ! よく、戻った!」
俺は、彼女の小さな体を支え、水を差し出した。彼女は、それを一気に飲み干すと、背負っていた革の鞄を、テーブルの上に、誇らしげに置いた。
「……村の、皆からの、『返事』」
彼女が、慎重に取り出したのは、二つの、俺たちの未来を左右する、天才たちの成果物だった。
一つは、マリーが作り上げた、ガラス製の、美しい噴霧器に入った、無色透明の液体。
「マリーが、『試作・瘴気中和ミスト』だって。あの『聖なる泥』を、分析して、培養して、作ったらしい。直接の治療効果はないけど、濃い瘴気を、数分間だけ中和して安全な空間を作ることができるって」
そして、もう一つ。
それは、フィリアと、トランの技術の結晶だった。
ミスリルと、光条樫の心材を組み合わせ複雑な機構を内蔵した、特殊な矢じりを持つクロスボウ用の矢。『浄化拡散ボルト』だ。
「フィリアが言ってた。『この先端は、硬い呪熊の皮膚を貫くんじゃない。着弾した瞬間に、この中の液体を霧みたいに周りにぶちまけるためのもの』ってさ。トランの爺さんも、『嬢ちゃんの発想は、相変わらず、とんでもねえ』って、笑ってたよ」
エルフの古代の叡智――呪いの核の存在、音波という弱点。
そして、村の最新技術――瘴気中和ミスト、浄化拡散ボルト。
全てのピースが、ついに、揃った。
その、人間たちの、あまりにも速く、そして、あまりにも独創的な成果物を前に、ライラは、ただ、言葉を失っていた。
「……信じられない。我らが、数百年かけても、成し得なかったことを、あなた方は、わずか、数日で……。これほどの、具体的な対抗策を……」
彼女は、人間という種族が持つその驚異的な問題解決能力に改めて戦慄していた。
俺は、全ての情報を統合し、最終的な作戦計画をタスクフォースの全員に告げた。
「明日、夜明けと共に出発する。プロジェクトの最終段階、『呪われた沼』浄化作戦を開始する!」
俺の、その号令に、人間と、エルフ、そして、獣人からなる、混成タスクフォースのメンバーは力強く頷いた。
反撃の狼煙が、今、まさに上がろうとしていた。




