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日報087:月の書架と守護者の涙

 辺境に来てから第六十二日目の朝。

 ミオを村への使者として送り出した俺たちのタスクフォースは、休む間もなく、次なる情報収集の拠点へと向かっていた。エルフの長老たちが、その禁を解いた、一族の叡智が眠る最後の聖域。世界樹の最上階に位置するという、『月の書架』である。


 ライラの先導で、俺とセラフィナは、これまでとは明らかに違う、厳重な魔法結界が幾重にも張られた回廊を進んでいく。壁も床も、世界樹の生きた木そのものだが、この階層の樹皮は、まるで磨き上げられた象牙のように、滑らかで、そして硬質だった。


「……これより先は、長老エララ様の特別な許可がなければ、我ら番人ですら、立ち入ることは許されない場所です」


 ライラの声には、これまでにない、深い緊張が滲んでいた。


「ここに記された知識は、世界の理に触れるもの。決して、外部に持ち出してはなりません。その魂に、誓えますか?」


「ああ、誓おう」

「はいっ! もちろんです!」


 俺とセラフィナが、真摯に頷くと、ライラは、目の前にある、巨大な一枚板の扉に、そっと手を触れた。扉には、鍵も、取っ手もない。だが、彼女が、古エルフ語で、何事かを囁くと、扉の表面に、無数の、そして複雑な魔法陣が、青白い光を放って浮かび上がり、音もなく、内側へと開いていった。


 その先に広がっていたのは、もはや、書庫という言葉では、表現できない、幻想的な空間だった。

 そこは、世界樹の、天蓋のように広がる枝々が、そのまま屋根となった、巨大なドーム状の空間だった。壁には、古代の、そして強力な魔法が込められた、用途不明のアーティファクトが、夜空の星のように、いくつも埋め込まれ、それぞれが、異なる色の、柔らかな光を放っている。


 そして、その空間の中央には、月光そのものを凝縮したかのような、巨大な水晶が、ゆっくりと回転しながら浮遊していた。その水晶から放たれる、穏やかで、しかし、どこまでも清浄な光が、この聖域全体を、神秘的に照らし出していた。


「ここが……魔法の源流……!」

 セラフィナが、その場に崩れ落ちんばかりに、膝を震わせ、感嘆の声を漏らした。彼女の魔導士としての魂が、この、あまりにも高次元の魔法環境に、共鳴し、打ち震えているのが、手に取るように分かった。


「この場所自体が、一つの巨大な、思考する生命体……。ここに眠る知識は、ただの記録ではない。世界樹そのものが、数千年に渡って見聞きし、記憶してきた、世界の『記憶』そのものです……!」


「『月の書架』。世界の成り立ちと、古代の浄化儀式の記録が眠る場所です」

 ライラは、厳粛に告げた。


「長老は、あなた方に、最大限の敬意と、そして、信頼を、お示しになられた。……決して、その信頼を、裏切らないでください」

 その言葉に、俺とセラフィナは、改めて、この場所に足を踏み入れたことの、本当の重みを、実感していた。


 俺は、まず、前回の書庫で見つけた、「呪いを弾く土塊の人形」の記述が記された水晶板を、ライラに見せた。

「ライラ殿。まずは、この『ゴーレム』に関する、より詳細な記録を探したい。どんな些細な記述でも構わない。関連する可能性のあるものを、全て、集めてはいただけないだろうか」

「承知いたしました」


 ライラが、書庫の壁に手をかざし、何事かを念じると、壁に埋め込まれたアーティファクトの一つが、ひときわ強い光を放ち、そこから、数枚の、さらに古い時代のものと思われる水晶板が、ゆっくりと、俺たちの前に、浮かび出てきた。


 ここからが、俺の出番だった。

「セラフィナ、解析を頼む!」

「はいっ!」


 俺は【総務部長】スキルを駆使し、キーワードを元に、関連情報を、猛烈な勢いで絞り込んでいく。「ゴーレム」「土塊」「守護者」「呪い」「浄化」。それらの単語を含む記述を、水晶板の膨大なテキストデータの中から、瞬時に抽出していく。


 セラフィナもまた、その天才的な魔法知識で、古代エルフ語で書かれた、難解な術式文献を、次々と解読していく。彼女の指先が、水晶板の上を滑るたびに、その表面が、呼応するように、淡い光を放った。


 数時間に及ぶ、常人には、不可能とも思える、集中力の果て。

 俺たちは、ついに、今回の呪詛の性質に、最も近い、古代の大規模浄化儀式の失敗事例を記した、一枚の水晶板を発見した。


「……これだ」

 その水晶板には、こう記されていた。

『……大地の怒り、その呪いを鎮めるには、月の清浄なる魔力と、太陽の生命力だけでは足りぬ。儀式を成功させるには、大地そのものの、慈愛の心。すなわち、『森の守護者の涙』を、触媒として捧げねばならない……』


『森の守護者の涙』。

 そして、その水晶板の隅に、守護者に関する、断片的な記述が残されていた。

『……守護者は、土より生まれ、森を守るためにのみ存在する。言葉を持たず、しかし、その身から、生命の花を咲かせる。その涙は、森の全ての傷を癒す、聖なる雫なり……』


 土から生まれ、森を守る。言葉を持たず、その身から、生命の花を咲かせる。

 その記述は、俺たちが、昨日、目の当たりにした、あのゴーレムの姿と、完全に一致していた。


 全ての情報を突き合わせたセラフィナが、はっと、息を呑んだ。その顔から、血の気が引き、代わりに、信じられないものを見たかのような、驚愕と、そして、深い、深い哀しみの色が、浮かび上がっていた。


「シンイチ様……! 分かりました……! 分かって、しまいました……!」

 彼女は、震える声で、ある一つの、あまりにも哀しい結論を、口にした。


「あのゴーレムこそが、この伝承にある、『森の守護者』なのです! そして、私たちが採取した、あの『聖なる泥』は……彼の、涙、そのものなのかもしれません……!」


 セラフィナの仮説は、こうだった。

「守護者は、五百年前の、人間が放った呪いによって、瀕死の状態にあったこの森を救うため、自らの体を、依り代にして、あの呪いを、喰らい続けているのです! あの白い花は、彼が、森の死を嘆き、流し続ける、涙から生まれる、森の再生の、最後の希望……! 彼は、五百年もの間、たった一人で、この森のために、泣き続けていたのでは……!」


 その、あまりにも献身的で、そして、あまりにも孤独な仮説。

 それを聞いたライラの、翡翠の瞳から、ぽろり、と、一筋の、水晶のような涙が、こぼれ落ちた。

「……我らは、森の、最も偉大な同胞を、ただの鈍重な魔物と見過ごし、その永い苦しみに、気づくことすら、できなかったと、いうのですか……」

 彼女の声は、深い、深い後悔に、打ち震えていた。


 俺は、セラフィナの仮説を元に、このプロジェクトの、本当の核心を、固めた。

「ならば、我々がすべきことは、一つだ」

 俺は、二人の、そして、この書庫に眠る、古代の叡智に向かって、静かに、しかし、力強く、宣言した。

「彼を、その永い苦しみから、解放してやること。そのためには、まず、呪いの元凶である、あの呪熊を排除し、彼が、もう涙を流さずとも済む浄化された森を取り戻す必要がある」


 俺の、その言葉。

 それに、ライラは顔を上げた。その瞳には、初めて、俺たち人間に対する、純粋な「信頼」の光が、宿っていた。


「……シンイチ殿。もし、本当に、あなたが、彼を救ってくださるというのであれば、我らエルフは、あなた方に、全ての協力を、惜しみません」


 ゴーレムの正体という、プロジェクトの核心に触れる、大きな発見をした俺たち。

 俺は、村からの吉報を待ちながら、この、叡智の海で、来るべき決戦への、最後の準備を進めるのだった。

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