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日報083:禁断の書庫と最初の仮説

 辺境に来てから第六十日目の朝。

 エルフの里での最初の朝は、鳥のさえずりではなく、世界樹の葉が風に揺れる、絹ずれのような音で始まった。俺たちが滞在を許された客舎は、世界樹の太い枝の上に作られたテラスのような空間で、眼下には、朝霧の中に佇む幻想的な里の風景が広がっている。昨夜、俺たちが結成した「対呪詛汚染タスクフォース」は、今日、その最初の活動を開始する。


 森の番人ライラの案内で、俺とセラフィナは、エルフの長老以外は立ち入りを禁じられているという、巨大な書庫へ足を踏み入れた。そこは、世界樹の、さらに深部。外部からの光がほとんど届かない、静寂と、叡智の香りに満ちた神聖な空間だった。

 書庫といっても、そこは本が並んでいるわけではない。壁一面が、まるで巨大な蜂の巣のように、無数の空洞で埋め尽くされている。そして、その一つ一つの空洞に、生きた木の蔓で厳重に封印された古代の巻物や、文字が内側から淡く輝く水晶板が、膨大な数、保管されていたのだ。


「すごい……! なんて場所……! 空気中に漂う、情報の密度が、尋常ではありません! 一つ一つの記録媒体が、それ自体、強力な魔力と、保存のための魔法を宿しています……!」

 セラフィナが、魔導士として、その圧倒的な叡智の集積を前に、感嘆の声を漏らした。

「ここが、我らエルフの叡智の源。世界樹の記憶が眠る『心臓』です」ライラは、静かに、しかし誇らしげに言った。「長老エララ様より、沼に関する全ての記録へのアクセスを許可されています。……ですが、その量は、我らエルフが読んでも、数十年はかかるでしょう。あなた方に、何ができるというのですか」

 その言葉には、まだ、俺たち人間への完全な信頼には至っていない、試すような響きがあった。


 普通の人間であれば、その情報の大海を前に、途方に暮れるだけだろう。だが、俺は、総務部長だ。

「セラフィナ。始めるぞ」

「はいっ!」


 ここからが、俺のスキルの真骨頂だった。

【書類作成B】と【危機管理EX】を、最大速度で起動する。俺の脳内で、この書庫の全ての情報が、仮想のデータベースへと変換されていく。

「ライラ殿、まず、沼の魔力濃度の、経年変化に関する記録を。次に、過去の浄化作戦の、失敗事例報告書。特に、参加した魔導士の、詳細な被害状況が分かるものを。それと、沼周辺で変異が確認された、動植物のリスト。汚染レベルが高いものから順に、全ていただけますか」


 俺が、矢継ぎ早に、しかし的確に、必要な情報の種類を要求すると、ライラは驚いたように目を見開いた。

「……なぜ、それを? それが、最も重要な情報だと、なぜ分かるのですか?」

「トラブルシューティングの基本ですよ。まずは、過去の失敗事例と、現状の被害状況を徹底的に分析し、問題の『本質』を特定するんです」

 俺は、総務部長の顔で、にやりと笑った。


 ライラは、戸惑いながらも、俺が要求した巻物や水晶板を、次々と俺たちの前に並べていく。

 そこからは、まさに戦場だった。

 俺は、常人離れした速度で、古代エルフ語で書かれた難解な報告書を読み解き、不要な情報を切り捨て、必要なデータだけを分類・整理していく。その姿は、もはや学者ではない。大企業のサーバー室で、膨大なビッグデータを整理し、経営戦略に必要なレポートを、リアルタイムで作成していく、システム管理者そのものだった。


「セラフィナ! この、三百年前の第三次浄化作戦の失敗データ! 参加した魔導士の魔力暴走パターンが、他の事例と明らかに違う! ここの術式崩壊のプロセスを、逆算してくれ!」

「はいっ! ……分かりました! これは、外部からの魔力干渉ではなく、術者自身の生命力が、呪いに喰われて、内側から暴走しています! この時の呪いは、今よりもずっと、生命力への渇望が強かったようです!」


 俺とセラフィナの、常人には理解不能な、高速の情報処理と解析。その光景を、ライラは、ただ呆然と見つめていた。彼女の数百年という人生の中で、これほど効率的に、そして的確に、叡智を喰らう人間を見たことはなかっただろう。


 数時間が経過し、陽が中天に差し掛かった頃。

 俺は、膨大な情報の山の中から、ある一つの「特異点」を見つけ出していた。

「……ライラ殿。この報告書……。沼の周辺で、変異が確認された生物のリストだが、一つだけ、奇妙な記述がある」

 俺が差し出したのは、二百年ほど前の、一枚の水晶板だった。

「この、『ゴーレム』とだけ記された項目。他の生物には、詳細な変異の状況や、危険度が記されているのに、これだけ、『変化なし』とだけ書かれている。これは、どういうことだ?」


 ライラは、その水晶板を覗き込むと、思い出したように言った。

「ああ、その生物のことですか。それは、我々も特に重要視していませんでした。知性もなく、ただ森を彷徨うだけの、土塊の人形のようなものです。あまりに鈍重で、魔力反応もほとんどないため、脅威ではないと判断され、それ以降、詳しい調査は行われていません。古文書には、『呪いを弾く、愚鈍なるもの』とだけ……」


「呪いを、弾く?」

 その言葉に、俺と、隣で術式を解析していたセラフィナの動きが、同時に、ぴたりと止まった。


「シンイチ様!」セラフィナが、顔を上げた。その瞳は、世紀の大発見をした科学者のように、爛々と輝いていた。「もし、もしもですよ! その生物が、呪いに『耐性』があるのではなく、その体組織そのものが、あの邪悪な『反生命』の魔力を、『無効化』、あるいは、別の無害なエネルギーに『変換』しているのだとしたら……!」


 その仮説。

 それは、この、数百年にも及ぶ、絶望的な状況を、根底から覆しかねない、一筋の、しかし、あまりにも眩い光明だった。

 もし、その生物の体組織や生態を調べることができれば、呪いに対する、決定的なカウンターを見つけ出せるかもしれない。特効薬の開発に繋がるかもしれないのだ。


 その日の夜。

 俺は、客舎にいる全員を集め、書庫での発見と、セラフィナの立てた仮説を共有した。そして、その仮説を検証するための、最初の現地調査計画を、発表した。


「これより、我々タスクフォースは、最初の実地調査に移行する」

 俺は、ライラが広げた、古びた地図を指差した。そこには、赤黒く塗りつぶされた「呪われた沼」の位置が、不気味に記されている。

「目的は、『呪いを弾く土塊の人形』――コードネーム『ゴーレム』の捜索。そして、可能であれば、そのサンプル、つまり、体組織の一部などを、安全に採取することだ」


 俺は、調査部隊の編成を発表した。

「指揮官兼後方支援は、俺が務める。前衛・護衛は、セシリア。斥候・追跡は、ミオ。解析・サンプル回収補助は、セラフィナ。そして、案内人兼、エルフの代表として、ライラ殿にも同行を願う」


 ライラは、その指名に、驚いたように、しかし、静かに頷いた。

「……承知いたしました。それが、長老会の決定であれば」


「リズ」俺は、最後に、リズに向き直った。「君は、この客舎で、待機だ。これは、絶対に変わらない。君は、我々の、最後の、そして最強の切り札だ。そのカードは、今、切るべきではない。いいね?」

「うん! 分かった! みんな、気をつけてね!」

 リズは、その重要な役割を理解し、力強く頷いてくれた。


 ライラは、地図の上で、沼の周辺でも、特に汚染された魔物の活動が活発だという、ある一点を指差した。

「……その『ゴーレム』が、もし、今も存在するとすれば、おそらく、この『嘆きの湿地帯』にいる可能性が、最も高いでしょう。そこは、我々エルフですら、ここ百年、まともに調査ができていない、最も危険な場所です」


 俺は、その言葉に、しかし、臆することなく、仲間たちの顔を見渡した。

「よし。出発は、明日の夜明けと共にする。各自、準備を怠るな」


 エルフから与えられた、絶望的とも思える試練。

 その、具体的な第一歩が、今、踏み出されようとしていた。

#あとがき

お盆中に書けると思ったら全然書けませんでした!

本当にすみません!!


とりあえず、新しいエピソードです。

楽しんでください。

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