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日報081:世界樹の賢者たち

 辺境に来てから第五十九日目の夜。

 ライラの先導で、俺たちは賢者の森の奥深く、数百年もの間、人間が足を踏み入れたことのなかった、伝説のエルフの里へと、歩みを進める。

 東屋の奥の木々が、再び、音もなく道を開く。その先には、淡い光を放つ苔に照らされた、幻想的な小道が、どこまでも続いていた。そこは、もはやただの森ではなかった。


 道は、人の手で固められたものではない。巨木の根が、自然に、しかし歩きやすいように、平らな回廊を形作っている。道の両脇には、見たこともない珍しい果実が、自ら光を放つように実り、夜にも関わらず、森は不思議な明るさと生命力に満ちていた。時折、リスのような小動物が俺たちの前を横切るが、その毛皮は白銀に輝き、その瞳には明らかな知性の光が宿っていた。


 やがて、俺たちの視界が開け、言葉を失う光景が広がった。


 エルフの里。それは、家々の集合体ではなかった。空を覆い尽くすほどの、一本の巨大な世界樹。その巨木そのものが、一つの都市として機能しているのだ。太い枝の上には、曲線的で美しい住居が、まるで果実のように木々と完全に一体化して点在している。枝と枝の間には、これまた生きた蔓で編まれた吊り橋が架かり、ランタンのように光る花々が、街全体を柔らかく照らし出していた。


「すごい……! なんて……なんて美しい……」

 セラフィナが、魔導士としての学術的な興奮とは違う、純粋な感嘆の声を漏らした。

「この里全体が、一つの巨大な魔法です。都市機能そのものが、自然魔法と高度な結界術式によって、完璧な調和を保ちながら維持されている……。こんな芸当、神々の御業としか思えません……」


 ライラは、道中、エルフの森の厳しい掟について、警告として語った。

「この森では、全ての生命が調和の中にあります。木々を傷つけることも、動物を無益に殺生することも、決して許されません。あなた方がもし、その調和を乱せば、長老たちの判断を待たずして、森そのものが、あなた方を排除するでしょう」


 その声には、一切の感情が乗っていなかったが、それ故に、絶対的な真実として、俺たちの心に重く響いた。


 どれほどの時間を歩いただろうか。俺たちがたどり着いたのは、世界樹の最も太い幹の根本に、自然に形成された広大な空洞だった。エルフの長老たちが待つという『謁見の間』だ。


 天井は遥か高く、見上げるほどの枝葉の間から、月明かりと、星の光が直接降り注ぎ、天然のプラネタリウムのように、空間全体を荘厳に照らし出している。

 その中央に、世界樹の根が自然に形作った、三つの玉座があった。そして、そこに、俺たちの運命を決めるといっても過言ではない、三人のエルフの長老が、静かに座していた。


 俺たちが、ライラに促されるまま、その中央に進み出ると、玉座の一人、最も厳しい顔つきをした武闘派の長老アリオンが、その冷たい声で口を開いた。

「人間よ。何の用だ。我らが、お主らに与えるものなど、何もない。お主らの来訪そのものが、この聖域への侮辱であると知れ」


 その、剃刀のような敵意に満ちた言葉に、セシリアとミオが、ぴくりと体を強張らせるのが分かった。


 だが、俺は動じない。まず、エルフの流儀に従い、彼らの長であるエララ議長に向かって、深々と頭を下げた。最大限の敬意を払う。それが、交渉の第一歩だ。

「賢者殿。我々を、この聖域へ招き入れてくださったこと、心より感謝いたします。私は、サトウ・シンイチ。辺境の地で、小さな村を治める者です」


 俺は、顔を上げると、静かに、しかし、その場にいる全ての者の魂に届くように、語り始めた。

「あなた方エルフが、我々人間を信用できないのは、もっともなこと。我々は、あなた方が『大裏切り』と呼ぶ、過去の過ちについて、伝承で知っております。我々は、その歴史を忘れろと申し上げるつもりはありません。ただ、我々は、あなた方が知る、過去の人間とは違うということを、証明するために参りました」


 俺は、隣に立つ仲間たちを、一人ずつ、長老たちに示すように語り始めた。


「まず、こちらに控えるは、王国騎士であるセシリア。彼女は、王国の法と秩序を体現する、誇り高き騎士です。ですが、我々の村では、ただの武力としてではなく、警備部門を統括し、多くの者たちの命を預かる、優れた指揮官でもあります」


「そして、こちらはミオ。あなた方と同じ、森の民、銀狼族の戦士です。我々の村では、彼女を亜人として蔑む者は一人もおりません。彼女は、その卓越した能力で、斥候部隊を率いるリーダーであり、我々と森の民を繋ぐ、かけがえのない外交官です」


 俺は、ここで一度、言葉を切った。


「我々の村は、こういった者たちの集まりなのです。王都で才能を持て余していた天才魔導士セラフィナ。騎士の誇りを失い、路頭に迷っていた者たち(ヴァレリウス)。法を犯してでも、生きるしかなかった鉱夫たち(ガルフ)。そして、誰からも顧みられず、路地裏で生き倒れる寸前だった、孤児の子供たち(リズ、フィリア)。」


「彼らは皆、人間社会の中では、居場所を失い、あるいは、その価値を認められなかった者たちです。ですが、我々の村では、彼ら一人一人が、かけがえのない専門家であり、未来を築くための重要なパートナーであり、そして何よりも、大切な『家族』なのです」


「我々の村の強さは、血の純潔さや、生まれ持った身分にあるのではありません。出自も、種族も、過去も違う。その、全く違う者たちが、互いの違いを認め、その能力を尊重し、一つの目標のために手を取り合うこと。それこそが、我々の力の源です」


「そして、我々が今日、この聖域を訪れた、真の目的についてお話しいたします」

 俺は、セシリアの後ろに控えていたセラフィナを、長老たちの前に促した。


「彼女は、セラフィナ。王都から、我々の理念に共感し、仲間となってくれた天才魔導士です。彼女は今、我々の村が発見した、ある古代の魔道具の解析を進めております」

 俺は、長老たちに、フィリアが描いた『熟成の小箱』の図面を、広げて見せた。


「この魔道具は、液体を入れると、その内部で時間の流れを疑似的に加速させ、熟成を進めるという、驚くべき力を持っています。ですが、一度に熟成できるのは、この小瓶一本分のみ。我々の村の経済を支えるには、あまりにも非効率です」


「ですが、セラフィナは、その問題を解決する、画期的な方法を考案してくれました。この小箱を制御の中枢コアとし、床一面に巨大な『熟成魔法陣』を描くことで、部屋の空間そのものを、巨大な熟成庫へと変貌させるというのです」

 その、あまりにも常識外れな発想に、穏健派の長老リラエルの瞳が、強い興味の光を宿したのが分かった。


「しかし、その魔法陣を完成させるには、いくつかの、我々の知識では到底知り得ない、極めて希少な魔法触媒が必要不可欠なのです」

 俺は、セラフィナが作成したリストを取り出した。

「例えば、『星屑のミスリル』『夢見うさぎの涙腺』『常闇苔』……。これらが、どのような物で、どこに存在するのか、我々には見当もつきません」


 俺は、再び長老たちに深く頭を下げた。

「我々は、あなた方に、これらの希少な品々を、ただ譲ってほしいと願い出ているのではありません。森の全てを知るという賢者である、あなた方に、その『知恵』をお貸しいただきたいのです。これらの素材が、本当にこの世に存在するのか。そして、もし存在するのなら、どこで手に入る可能性があるのか。我々が求めるのは、その情報です」


「この技術が完成すれば、我々の村は、盤石な経済基盤を築くことができます。それは、先ほど申し上げた、行き場のない者たちが、平和に、そして誇りを持って生きていくための、大切な礎となるのです」


 俺の、そのどこまでも実直な言葉と、リズとセラフィナという二つの巨大な魔力の存在を前に、長老たちの間で意見が激しく対立した。


「見ろ! やはり罠ではないか!」強硬派の長老アリオンが声を荒げる。「我らを欺くために、無垢な子供と、見たこともないほどの魔力を持つ魔導士、規格外の人間を二人も用意周到に連れてきおった! これは、我らの聖域に対する、計算され尽くした侵略行為だ!」


「逆です、アリオン」穏健派の長老リラエルが、静かにそれを制した。「一人の奇跡なら、偶然かもしれぬ。ですが、これほどの特異点が、同時に二つも現れるというのは、もはや偶然ではない。世界の理が、我らの知らぬところで、大きく変わろうとしている証拠。その変化の使者が、我らの前に現れたのです。その意味を、見極めずして、賢者とは言えますまい」


 議長エララが、森の番人ライラに問う。

「ライラよ。お主の魂は、何を感じた?」

「はい。リーダーである男は、魔導士を『村の技術顧問』、子供を『大切な家族』と、明確に役割を分けて紹介しました。彼らは、この二つの力を、無作為にではなく、明確な意思を持って管理しているように見えました。そこに、我らを欺こうという、邪な意図は感じられませんでした」


 長い、長い沈黙の後。

 最後に、議長であるエララが、その決断を下した。

「……良かろう、人間よ。お主らの言葉が真実か否か、我らが試させてもらおう」


 彼は、エルフたちが長年抱える、ある深刻な問題を提示した。

「我らの森の南端に、いかなる浄化魔法も受け付けぬ、呪われた沼がある。その沼は、年々その汚染を広げ、森の生命を蝕んでおる。我らの力をもってしても、その進行を遅らせることしかできぬ。……もし、お主らが、本当に森と共存する者であると、そして、その言葉に偽りがないと証明したいのであれば、その力を、我らのために使ってみせよ」


 エララは、その古木の如き、静かな目で、俺を射抜いた。

「その沼を、浄化する術を見つけ出し、我らの森を救うことができた時。その時こそ、我らはお主らを、真の『森の友』と認め、お主らの求める知恵と、助力を約束しよう」


 それは、交渉の成功でも、失敗でもない。

 エルフという、誇り高い種族から、対等な存在として認められるための、あまりにも困難な『試練』の提示だった。

 セシリアやミオが、その課題のあまりの重さに、息を呑むのが分かった。


 だが、俺は、その無謀とも思える要求に、しかし、不敵な笑みを浮かべて応えた。

「承知いたしました、賢者殿。その『試練』、謹んでお受けいたします。つきましては、その沼に関する、全てのデータと、これまでの観測記録をご提供いただけますかな? 早速、対策案の立案に取り掛かりたい」


 俺の、その即答と、あまりにもビジネスライクな返答に、今度はエルフたちの方が、驚く番だった。

 俺たちの、本当の「交渉」は、ここから始まるのだ。

 物語は、次なる大きな課題解決のフェーズへと、突入した。

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