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日報076:未来への仕込みと三つの工房

 辺境に来てから第五十五日目の朝。

 昨夜の喧騒が嘘のように、村は静かで、しかし活気に満ちた新たな一日を迎えていた。宴の後片付けは、夜のうちにエリナたちが中心となって済ませてくれていたようだ。俺は、朝日が差し込む執務室の窓から、二日酔いの気配もなく、すでにそれぞれの仕事の準備を始めている仲間たちの姿を、頼もしく眺めていた。


 村の門の前には、森へと帰るガエルたち銀狼族の部隊が集まっていた。俺は、エリナやミオ、そして昨夜すっかり彼らと打ち解けたヴァレリウスたちと共に、その見送りに出た。

「ガエル殿。昨夜は楽しんでもらえただろうか」

「ああ、シンイチ殿。素晴らしい宴だった。お主の村の酒も、肉も、そして何より、仲間たちの活気も。全てが一級品だ」


 ガエルは、満足げにそう言うと、俺に真剣な目を向けた。

「今後の月例輸送の護衛についてだが、具体的な連携方法を詰めさせてもらいたい。七日周期で、俺の部下を斥候としてこの村へ派遣する。輸送の日程が決まり次第、その斥候に伝えてくれれば、古道の入り口で、必ず我らの本隊が出迎えるように手配しよう」


「それは助かる。よろしく頼む」

 俺とガエルは、同盟者として固い握手を交わした。

「次は、あんたたちの村の酒を、俺たちの森で酌み交わそう」

 その言葉を残し、ガエルたち銀狼族は、風のように森の中へと姿を消していった。


 頼もしい盟友たちを見送った後、俺は村の中心広場に、各部門の責任者たちを集めた。その顔ぶれは、もはや単なる村の寄り合いではない。一つの巨大な企業の、経営戦略会議の様相を呈していた。


「さて、皆。祝賀ムードはここまでだ」

 俺のその一言で、全員の表情が引き締まる。

「今日から、我々の村は、レオン殿との巨大な契約を履行するための、新たなフェーズに入る。月産三百本。これは、我々がこれまでに経験したことのない、未知の領域への挑戦だ。――」


 その日の午前中。俺は、CEOとして各部門の進捗を確認するために、村の視察を始めた。まず向かうべきは、この村の未来そのものを生み出す、三つの技術開発拠点ラボラトリーだ。


 最初に訪れたのは、フィリアの工房だった。中は、すでに鉄と炎の熱気に満ちている。彼女は、既存の新型蒸留器二台の定期メンテナンスをしながら、トランと何やら真剣な議論を交わしていた。


「フィリア、トラン殿。朝から熱心だな」

「シンイチ!」俺に気づいたフィリアが、目を輝かせて一枚の設計図を広げた。「このドワーフ工具があれば、既存器の魔力効率をさらに10%は改善できる。それと、トランさんと相談している……」


 彼女が示したのは、複数の蒸留釜を連結させ、熱エネルギーを循環させて再利用する、大規模な『連結式・連続蒸留プラント』の初期設計図だった。


「大将、嬢ちゃんのこの発想はとんでもねえぜ。これなら、今の倍の原酒を半分の人員で生産できるかもしれねえ」

 トランも興奮気味に語る。


 俺は、その頼もしい報告に頷くと、トランに新たな極秘プロジェクトを依頼した。

「トラン殿には、このプラント計画とは別に、もう一つ、村の未来を支える重要なものを作ってもらいたい」

 俺が彼に説明したのは、伝統製法のための『オーク樽』の開発だった。元の世界の知識を元に、樽の構造や、水漏れを防ぐための高度な木工技術、そして、酒に独特の風味を与える、樽の内側を焦がす「チャーリング」という工程の重要性を語った。

「……へっ。そいつは、面白え……!」

 未知なる挑戦。それも、ただの箱ではない、液体を一滴たりとも漏らさず、何十年と寝かせるための、究極の木工品。トランの職人としての魂が、ごう、と音を立てて燃え上がるのが分かった。

「やってやらあ! 大将! 最高の樽を、この俺が作って見せてやらあ!」


 次に訪れたのは、マリーの研究室だった。フィリアの工房の熱気とは対照的に、そこは薬草の匂いと、知的な静寂に満ちている。薬師ギルドから譲り受けた古代の錬金釜が、静かに青白い魔力の光を放っていた。

「マリー殿。例の件、進捗は?」

「は、はい、シンイチ様! オーガの心臓の魔力は、私の想像以上に強大で、安定させて抽出するのに、少し時間がかかっていますが……。ですが、この錬金釜があれば、必ず成功させます! 完成すれば、おそらく、一日分のMPを、半日で完全に回復させられるお薬が……!」

 彼女の目は、極度の集中力で赤く充血していたが、その奥には、天才薬師としての確かな自信が宿っていた。


 そして、最後に訪れたのは、村の地下に新設される【熟成庫】の予定地だった。そこでは、セラフィナが、巨大な羊皮紙を地面に広げ、リズに、自らが設計した『熟成魔法陣』の理論を、身振り手振りを交えて、興奮気味に説明していた。


「いいですかリズさん! あなたの無限ともいえる魔力を、この魔法陣の中心にある制御基盤、つまり、オリジナルの『熟成の小箱』を通して、この魔法陣全体に流すのです! そうすると、共振した魔力が空間そのものに作用して、この部屋全体が、一個の巨大な『熟成の小箱』になるのですよ!」

「わー! すごい! じゃあ、いっぱいいっぺんに、美味しくなーれ!ってできるの!?」

「その通りです!」

 二人の天才が、その才能を完璧に融合させ、シナジーを生み出している。俺は、その光景に、村の未来を確信した。

「シンイチ様!」俺に気づいたセラフィナが、一枚のリストを手に駆け寄ってきた。「この魔法陣を完成させるのに必要な、魔法触媒のリストです! これさえあれば、史上最高の熟成庫が完成しますよ!」


「よくやってくれた、セラフィナ。見事な仕事だ」

 俺は、その羊皮紙に書かれた、見たこともない鉱石や魔法生物の素材らしきリストを一瞥すると、彼女のその大きな成果を称えた。

「このリスト、確かに受け取った。すぐに調達ルートの確保に取り掛かろう」


 天才たちのその目覚ましい働きに満足し、俺は他の視察へと向かった。


 午後になると、俺の元へ、各部門の責任者から、次々と報告が上がってきた。

 執務室にやってきたエリナは、その理知的な顔を、わずかに曇らせていた。

「慎一様。ご報告が。今開発中の新型蒸留器が稼働すれば、原酒の生産量は、これまでの五倍以上に跳ね上がります。ですが、原料となる果実の備蓄が、このままでは一ヶ月で底を突きます。農業部門との連携強化と、新たな原料調達ルートの開拓が、急務です」

(……なるほど。新たなボトルネックは、原料の供給か)


 次にやってきたのは、トムだった。その姿は、もはやただの農家の少年ではない。

「慎一様。初の月例納品に向けた、詳細な輸送計画書です。ご確認を」

 彼が差し出した羊皮紙には、輸送ルート、日程、必要な食料や馬の飼い葉の量、そしてミオが作成した最新の安全マップに基づいた、完璧なロジスティクス計画が記されていた。


 最後に、訓練場を視察すると、そこではセシリアの号令一下、ヴァレリウスが、自らの部下と村の自警団を、一つの部隊として鍛え上げていた。

「ヴァレリウス隊長。今週の警備報告を」

「はっ、指揮官殿! こちらが、自警団との合同警備シフトの改定案です!」

 そのやり取りには、すでに上官と部下としての、確かな信頼関係が築かれていた。


 全ての視察を終え、俺は自らの執務室に戻る。机の上には、各部門からの報告書と、セラフィナとエリナから提示された、新たな課題のリストが並んでいた。

 魔法陣の材料調達、原料不足、そして以前からの懸案である、樽と小瓶の量産体制の確立……。問題は、山積みだ。


 だが、俺は、その課題の山を見て、絶望するどころか、不敵な笑みを浮かべていた。

「なるほど。問題が山積みだ。――全く、総務部長の仕事は、どこへ行っても尽きないな」


 俺は、その全ての課題を、一つの巨大なプロジェクトとして、どう効率的に、そして最適に解決していくか、新たな事業計画書の作成に、取り掛かるのだった。

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