日報074:凱旋と事業報告会
辺境に来てから第五十四日目の朝。
森を抜ける風の匂いが、変わった。湿った土と深い木々の香りから、畑の土と、生活の煙が混じった、懐かしい香りへ。銀狼族の護衛の下、俺たちの長い帰路は、ついに終わりを告げようとしていた。
「……見えた」
ミオが、丘の上から前方を指差す。
その先には、俺たちが築き上げた村の全景が広がっていた。王都へ出発した時とは、明らかにその姿を変えている。トランたちが建てた新しい家屋の屋根が陽光を反射し、村の一角には、ひときわ大きく、真新しいフィリアの工房が、力強い存在感を放っていた。その煙突からは、彼女が早速何かの研究を始めているのか、うっすらと煙が立ち上っている。開墾された畑はさらにその面積を広げ、何本もの煙突から、人々の生活を物語る白い煙が、まっすぐに昇っていた。
「……すごい。聞いていたより、ずっと……」
セラフィナが、感嘆の声を漏らす。ヴァレリウスたち元騎士団も、想像していた「廃村」とは全く違う、活気に満ちた開拓村の姿に、言葉を失っていた。
「シンイチ殿、我らの任務はここまでだ」
丘の麓で、ガエルが俺に告げた。
「いや、ガエル殿」俺は、彼とその部下たちに向き直った。「ぜひ、村へお立ち寄りいただきたい。あなた方への報酬と、友好の証をお渡ししたい。今夜は、我々の勝利を、共に祝おうではないか」
俺のその申し出に、ガエルはその白い牙を見せて笑った。
「……ほう。それは、ありがたい。ならば、お言葉に甘えさせてもらおう」
こうして、慎一の一行、ヴァレリウスの元騎士団、そしてガエルの銀狼族という、巨大で異質な合同キャラバンが、村の門へと向かう。その威容は、もはや辺境の一開拓村ではなく、小国の王の凱旋パレードのようだった。
俺たちの巨大なキャラバンを認めた見張り台から、凱旋を告げる角笛が高らかに鳴り響く。
村の門が大きく開かれ、中からエリナ、リリィ、トラン、ガルフ、そしてフィリアやマリー、リズ……村の仲間たちが総出で駆け寄ってきた。
「「「おかえりなさい!!」」」
その歓迎の声は、以前の凱旋の時と同じ、心のこもった温かいものだった。だが、その後の光景は、全く違っていた。
エリナが一歩前に出て、深々と一礼する。その手には、帳簿らしき革のファイルが抱えられていた。
「慎一様、ご帰還、心よりお待ちしておりました。まずはご報告いたします。慎一様のご不在中、村の運営に一切の問題は発生しておりません。現在の食料備蓄は、全員が三ヶ月は暮らせる量を確保。原酒の生産も計画通り、いえ、フィリアさんの蒸留器のおかげで、計画を15%上回るペースで進んでおります」
その、淀みない報告。彼女は、もはやただの村娘ではない。この村の経営を預かる、有能な内務責任者そのものだった。
「大将!」続いてトランが、その無骨な顔を誇らしげに輝かせた。「例の工房と新しい住居、図面通りに完成済みだ。いつでも稼働できるぜ!」
「リリィです! 村の警備体制も万全です! 村に残ってくださったハンス殿とゲオルグ殿に教官役をお願いし、村人による自警団の実戦的な対人訓練を完了させました! 彼らの指導は、驚くほど的確でした」
次々と上がる、完璧な業務報告。
(……すごいな。俺がいない間も、この村は、完璧に機能し、成長し続けていた)
俺は、その頼もしい仲間たちの姿に、深い満足感を覚えていた。
そして、この光景に最も圧倒されていたのは、新参者たちだった。
(……なんだ、この村は。まるで、軍隊のように統率が取れている。……いや、違う。これは恐怖による支配ではない。一人一人が、自らの役割を誇りに思い、そして、あの男を心から信頼している……)
ヴァレリウスは、自らが知る、貴族の領地経営とは全く違う、この村の異様なまでの組織力に、ただ戦慄していた。
その日の昼過ぎ。領主館の執務室は、さながら大企業の役員会議室と化していた。
各部門の責任者と、新たな仲間、そして来賓であるガエルを前に、俺は公式な「事業報告会」を開いた。
まずは、王都での最大の成果である「未来への投資」の開梱だ。
「フィリア、マリー。君たちのためのプレゼントだ」
荷馬車の荷が解かれ、中からドワーフ製の精密工具や、薬師ギルドの古代の錬金釜が姿を現すと、二人の天才は、全ての言葉を失い、ただその輝きに目を奪われていた。
「……すごい……。これさえあれば、私の、作りたかったものが……!」
「マスターが、これを……! これで、あのお薬が……!」
二人は、子供のようにはしゃぎ、その宝物に駆け寄った。
そして、俺はヴァレリウスたち臨時警備隊の処遇について、正式な辞令を出す。
だが、俺が向き直ったのは、ヴァレリウスではない。セシリアだった。
「セシリア指揮官」
俺が、その新しい役職名で彼女を呼ぶと、彼女は「はっ!」と、力強く応えた。
「臨時警備隊を、本日付で村の正式な『警備部門』として発足させる。貴官を、その初代・警備最高責任者に任命する。リリィ副官、そして、そこにいるヴァレリウスを警備隊長とし、村の防衛計画の再構築を、一任する。以上だ」
「拝命いたしました!」
セシリアは、完璧な騎士の礼で応じると、今度は彼女が、ヴァレリウスに向き直った。
「ヴァレリウス隊長。聞こえたな。早速、君の部下たちの能力査定と、装備の再編成案を、明日の朝までに私に提出しろ。これが、君への最初の命令だ」
「はっ! 承知いたしました、指揮官殿!」
ヴァレリウスもまた、新たな上官であるセシリアに、寸分の隙もない騎士の礼で応えた。
新たな指揮系統が確立されたその空気を引き締めるように、俺はパン、と一度手を叩いた。全員の視線が、再び俺に集中する。
「そして、これが王都での最大の成果だ」
俺は、机の上に広げられていたレオン・バルトとの契約書の写しを、指し示した。
「白帆商会と、新たな、そして長期的な独占販売契約を締結することに成功した」
その言葉に、執務室に安堵と喜びの空気が広がる。だが、俺が次に告げた言葉が、その空気を驚愕へと一変させた。
「契約内容は、こうだ。第一に、納品数。月産三百本。内訳は、熟成酒百本、そしてカクテル用の原酒が二百本だ」
「さ、三百……!?」
エリナが、思わずといった様子で声を上げた。その顔からは血の気が引き、村の生産能力を預かる責任者として、その数字の持つ圧倒的な重圧を瞬時に理解したのだろう。彼女は、すぐさま指を折り、必要な人員、資材、そして時間を脳内で計算し始めている。
俺は、構わず続けた。
「第二に、支払い方法。代金は、白帆商会の決済システムを通して、安全に受け取れることになった。もう、大量の金貨を危険を冒して運ぶ必要はない」
その近代的なシステムに、皆が感心の声を漏らす。
「そして、最後に、最も重要な項目だ」
俺は、そこで一度、言葉を切った。
「白帆商会が、我々の村に、正式な支社を設置する」
「「「なっ……!?」」」
今度こそ、その場にいた全員が、息を呑んだ。
「お、おいおい大将、マジかよ……! あの、王都一の白帆商会の建物を、この俺が、この村に建てるってのか!?」
トランが、職人としての魂をこれ以上なく燃え上がらせ、その巨体をわなわなと震わせている。
来賓であるガエルも、同盟相手である俺たちの村が、王国経済の中枢と直接繋がったという事実に、驚きを隠せないでいた。
そして、ヴァレリウスたち元騎士団は、ただただ圧倒されていた。自分たちが仕えることになった新しい主人は、辺境の村のリーダーというだけではない。王国の経済そのものを動かす、とんでもない傑物なのだと。彼らの目に宿る光は、もはや単なる忠誠心ではなく、狂信に近いほどの輝きを帯び始めていた。
その巨大な契約内容に沸き立つ仲間たち。だがその中で、エリナだけが冷静に、そして現実的な懸念を口にした。
「ですが慎一様、月産三百本となると、毎月王都へ輸送の度に出られるということですか? 村の指揮系統が、その度に…」
その言葉に、俺は待っていましたとばかりに頷き、これまで静かに成り行きを見守っていたトムに向き直った。
「その通りだ。だからこそ、村に新たな『部門』を設立する」
俺は、トムの肩に手を置き、全員に宣言した。
「これより、トムを村の『輸送・兵站部門』の最高責任者に任命する。今後の王都への月例納品は、すべて彼に一任する」
突然の大役に、トムは「ええっ!? ぼ、僕がですか!?」と、素っ頓狂な声を上げて狼狽える。だが、俺は彼の目を真っ直ぐに見据え、力強く言った。
「君の馬と荷馬車を扱う技術、そして何よりその誠実な仕事ぶりを、俺は誰よりも信頼している。君ならできる」
俺からの絶対的な信頼。それが、トムの中で燻っていた自信の火を、確かな決意の炎へと変えた。彼は、感極まって涙ぐみながらも、その背筋をぴんと伸ばし、これまでで一番力強い声で応えた。
「は、はいっ! 謹んで、お受けいたします!」
続けて俺は、輸送隊の護衛メンバーを発表する。
「輸送隊の護衛は、斥候長としてミオ、遊撃兵としてハンスとゲオルグが主力となる」
そして、来賓であるガエルに、同盟者として正式に依頼した。
「ガエル殿。この月例輸送の際、森の古道区間を、あなた方銀狼族の部隊に護衛していただくことは可能だろうか。もちろん、これは盟約とは別の、正式な業務依頼として、追加の報酬を約束する」
ガエルは、その申し出に、誇らしげに胸を叩いた。
「当然だ、シンイチ殿。同盟者として、その任、喜んで引き受けよう」
「感謝する、ガエル殿。これで、村の未来はさらに盤石なものになる」
俺は、彼のその心強い言葉に、心からの礼を述べた。
「そして、今回の護衛任務への報酬を、約束通り受け取ってほしい」
俺は、トムに合図を送り、用意させていた木箱をガエルの前に置かせた。中には、最高級の『森の雫』三十年物を十本。そして、もう一つの小さな箱には、ガラスの小瓶がいくつも詰められている。
「……そして、こちらが、我々の村で正式に生産ラインが稼働した『高品質回復薬』だ。君たち、森の戦士の力になってくれると嬉しい」
ガエルは、その小瓶の一つを手に取り、そのあまりにも高い純度に、驚きの表情を浮かべた。
「……感謝する、シンイチ殿。この御恩は忘れん」
彼は、報酬に満足げに頷くと、「今宵は、この村の酒で、共に勝利を祝わせていただく。明日の朝には、森へ帰らせてもらう」と、村での一泊を申し出た。
全ての報告と辞令が終わり、執務室は、新たな決意と、確かな未来への希望に満ちていた。
俺は、頼もしい「事業部長」たちと、新たな「戦力」たちを見渡し、自らが作り上げた「組織」の、確かな成長を実感する。
王都への百本の納品という過酷な仕事は終わった。
だが、本当の意味での「村づくり」は、今、始まったばかりなのだ。




