日報070:天才たちへの投資と嵐を呼ぶ新戦力
辺境に来てから第五十日目の朝。
王都の空は、この街で過ごす最後の一日が始まることを告げていた。宿屋『金獅子亭』の一室は、旅立ちを前にした独特の熱気と、明確な目的意識に満ちている。俺は、この最終ミッションを完遂すべく、チーム全員での作戦会議を開いていた。
「皆、おはよう。今日が王都での最後の仕事になる。目的は『フィリアとマリーの才能を最大限に引き出すための、専門道具と素材の追加仕入れ』だ。この最後の『投資』を成功させ、我々は村へ帰還する」
俺はテーブルに広げた王都の地図を指し示し、チームを二つに分けることを告げた。
「まず、俺とセシリア、そしてセラフィナ殿。我々三名は、フィリアとマリーから預かった専門的な買い物リストを元に、職人街と薬師ギルドを回る『調達チーム』だ」
「は、はいっ! よろしくお願いします!」
セラフィナは元気よく返事をした後、少し照れたようにもじもじと付け加えた。
「あ、あの、シンイチ様! その、『殿』っていうの、なんだかすごく緊張しちゃうので……。私のことは、セラフィナって呼んでください!」
(また「殿」付けを嫌がられたか。どうやら、俺の周りには堅苦しいのが苦手な仲間が集まるらしいな)
俺は苦笑しながら頷いた。
「分かった、セラフィナ。これからよろしく頼む」
「は、はいっ! よろしくお願いします!」
俺がそう応えると、彼女は花が咲くような笑顔で頷いた。その目の下にはうっすらと隈ができており、手にはフィリアが描いた『熟成の小箱』の構造図が固く握られていた。
「次に、ミオとトム。君たち二人は『準備チーム』だ。村へ持ち帰る大量の一般物資、食料、布、日用品などの最終的な買い付けと、全ての荷物を二台の荷馬車へ効率よく、そして安全に積み込むための準備を頼む。特にトム、君の荷造りの腕が頼りだ」
「はい! お任せください!」「分かった!」
ミオとトムは、力強く応えた。
「では、会議は以上……」
俺がそう締めくくろうとした時、セラフィナがおずおずと手を挙げた。
「あのー、シンイチ様……。この図面、夜通し解析していたら、なんだか、とってもお腹が空いちゃいまして……。まずは朝食にしませんか? パンケーキが食べたいです!」
そのあまりにも場違いで天然な発言に、部屋の空気が一瞬固まる。ミオは「お前、頭の中どうなってるんだ……」と呆れ果てた顔をし、トムは「セ、セラフィナさん! 今は大事な会議の……!」と慌てふためいている。この嵐を呼ぶ新戦力の前途は、なかなかに多難なようだ。
その日の午前中。俺、セシリア、セラフィナの三人は、王都でも特に専門的な職人が集まる「魔導具職人街」へと足を踏み入れていた。通常の鍛冶師街の喧騒とは違う。そこは、静かで、しかし魔力と技術が融合した品々が放つ、濃密な空気が支配する場所だった。
フィリアのリストを元に、俺たちは一軒の古びた工房の扉を叩いた。看板には「黒鉄の金床亭」とだけある。中から現れたのは、背は低いが、その腕は丸太のように太い、見事な髭を編み込んだドワーフの老職人だった。
「……何の用だ。素人が冷やかしに来る場所じゃねえぞ」
店主は、俺たちの身なりを一瞥すると、吐き捨てるように言った。
「これはご主人。我々は、ある天才的な鍛冶師の代理として参りました」
俺はフィリアから一夜漬けで叩き込まれた知識を総動員し、リストに書かれた専門的な道具や素材について、丁寧に、しかし的確に説明を求めた。「ミスリルよりも硬く、魔力伝導率の高い合金を作るために、『オリハルコンの微粉末』を探しておりまして。純度は九等級以上のものを」
「オリハルコンだと?」店主は鼻で笑った。「そんなもんは、そこらのガキのおもちゃじゃねえ。あんたらにゃ、百年早いわ」
彼の態度は、頑なだった。本物の職人としての矜持が、素人とは話す価値もないと告げている。
(……まずいな。これでは交渉のテーブルにすらつけない)
俺が次の一手を考えていた、まさにその時だった。
「はわわわっ!?」
工房の隅に積まれていた、高価そうな「鑑定用の魔晶石」の山に、セラフィナのローブの袖が引っかかった。ガラガラと音を立てて崩れ落ちる魔晶石。
「なっ!? てめえ、何しやがる!」
店主が怒声と共に槌を振り上げようとした瞬間、セラフィナはパニックに陥り、無意識に魔法を発動させた。
それは攻撃魔法ではない。ただ、無数の魔晶石を、空中でぴたりと静止させるだけの、単純な念動力。だが、その際に彼女の体から放たれた魔力の奔流は、工房全体の空気をビリビリと震わせるほど、圧倒的で純粋なものだった。
「…………な……」
ドワーフの店主は、その規格外の魔力を肌で感じ、完全に言葉を失っていた。その目は、目の前のドジな魔導士が、とんでもない存在であることを見抜き、驚愕と畏敬の色に染まっている。
「……お嬢さん。……あんた、一体、何者だ……?」
このハプニングが、膠着した状況を打ち破った。店主は、セラフィナという規格外の存在を前に、ようやく俺たちを対等な交渉相手として認めたのだ。
「……面白い。そのお嬢さんが使うというなら、品物の価値も分かるだろう。見ていきな」
交渉のテーブルについた俺は、すかさずレオンから預かっていた白帆商会の印が入った手形(信用状)を見せた。天文学的な金額が記されたそれに、店主の目がさらに大きく見開かれる。
最終的に、セラフィナが『解析魔法』で全ての素材の品質が最高のものであることを保証し、俺たちはフィリアが必要としていた全ての希少素材と専門道具の購入に成功した。店主は、代金を受け取ると、「……面白い客だった。また来な」と、ぶっきらぼうに、しかし、どこか満足げに呟いた。
その日の午後、俺たちが次に向かったのは、薬師ギルドだった。目的は、マリーが必要とする「オーガの心臓を安全に加工するための、最高級の錬金術道具一式」だ。
マスター・ドミニクは、俺たちの来訪を心から歓迎してくれた。
「うむ、来たかシンイチ殿。マリーから、例のMP回復薬の研究について、素晴らしい報告が届いておるよ。あの子の才能は、君の村で、さらに開花しつつあるようだ」
俺は、ドミニクにマリーからのリストを見せた。ガラスではなく、高純度の魔力水晶を削り出して作られた「クリスタル製蒸留器」や、魔力で温度を0.1度単位で制御できるという「精密錬金釜」。
「……うむ。あれ(オーガの心臓)を加工するには、並の道具では魔力に耐えきれず、暴走しかねん。最高の設備が必要だ」
だが、と彼は続けた。
「リストにある品は、ギルドの宝物庫に眠る、国宝級の古代遺物だ。とてもではないが、売り渡すことはできん」
(……やはり、そうきたか)
だが、それも想定内だった。
「もちろん、売っていただこうとは考えておりません。マスター。これは、我々の共同研究への、ギルドからの『投資』として、お貸しいただくことはできませんでしょうか?」
俺のその提案に、ドミニクは、にやりと笑った。
「そう来なくてはな」
彼は、俺の後ろに控えていたセラフィナの、その底知れぬ魔力の気配に気づいていたのだろう。
「……枢機卿殿は、とんでもないお宝を辺境に送り込んだものじゃわい。よかろう! その話、乗った! 我がギルドの至宝を、君たちの未来に投資しよう!」
全ての買い付けを終え、宿屋に戻ると、ミオとトムも大量の物資の荷造りを、完璧に完了させていた。二台の荷馬車は、もはや一つの小さな村が、冬を越せるほどの、希望で満ち満ちている。
俺は、頼もしい仲間たち全員の前で、高らかに宣言した。
「これですべての『投資』は完了した。王都での我々の仕事は、今度こそ全て終わりだ。――さあ、俺たちの村へ帰ろう!」
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「「「はいッ!!」」」
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新たな仲間と、山のような未来への希望を荷馬車に詰め込んで、一行は懐かしい故郷へと、その舵を切った。




