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日報066:奇跡の光

 辺境に来てから四十四日目の夜。

 執務室の蝋燭の火が静かに揺らめいていた。テーブルを囲む仲間たちの顔に、その光が深い影を落としている。

「……契約は、未達に終わるだろう。だが、これは誰のせいでもない。全ては、このプロジェクトを指揮した俺の責任だ」

 俺がそう告げた時、部屋の全ての音が死んだ。


 トランもガルフもエリナも。この無謀な計画に文句一つ言わず、己の限界を超えてついてきてくれた、頼もしい仲間たちが、ただ悔しそうに唇を噛み締めている。


 あと二本。

 たった二本。


 そのあまりにも近く、しかし絶望的に遠い壁。それを俺たちは越えることができなかった。


 会議が終わり、皆が重い足取りで部屋を出ていく。その背中の一つ一つが、俺には刃のように突き刺さった。

 皆は、完璧な仕事をしてくれた。トランは二日で工房を建て、フィリアはそこからわずか数日で、新型の蒸留器を二台も完成させた。エリナのチームは不眠不休で、百本以上の原酒を作り続けてくれた。


 問題は、皆の頑張りに応えられなかった俺自身だ。

(……皆の働きを、俺なら何とかできると過信していた……)

 自らの能力の限界という、最も基本的なリスクを見誤っていた。


 俺はよろめきながら立ち上がり、最後の悪あがきをするために、あの作業部屋へと向かった。

 MPはもうほとんど残っていない。体は鉛のように重く、頭はまるで熱に浮かされたようにぐらぐらする。


『熟成の小箱』を荷馬車に乗せて、移動中に作業をすればという案も、考えなかった訳ではない。だが、この古代のマジックアイテムは、あまりにも未知数すぎる。その原理も構造も、完全には理解できていない。移動の振動で壊れてしまえば、二度と修復はできないだろう。そして万が一、その存在が外部に漏洩したり、盗難にでも遭ったりすれば、我々の村の生命線は完全に絶たれる。あまりにもリスクが高すぎた。


 だが、それでも。

(……あと一本だけでも。せめて一本だけでも……)

 その無意味な意地だけが、俺の体を動かしていた。


 作業部屋の扉を開け、机の上に置かれた『熟成の小箱』に手を伸ばす。

 その時だった。


「……慎一、おじさん」


 か細い、しかし芯のある声。

 振り返ると、そこにリズが立っていた。その大きな瞳には、涙がいっぱいに溜まっている。

 扉の隙間から、会議の様子を見ていたのだろう。


「リズか。どうしたんだ? もう夜も遅い。早く部屋に戻って、お休み」

 俺は努めて優しく微笑んだ。この健気な少女に、これ以上心配をかけさせるわけにはいかない。


「……おじさん。辛そう」

「……大丈夫だよ。これは俺の仕事だからな」

 俺はそう言って、再び小箱に手を置こうとした。その手が、自分の意思とは関係なく、小刻みに震えている。


「……やだ」

 リズが小さな声で、しかしはっきりと言った。

「おじさんばっかり辛いのはやだ! 私も手伝う!」


 彼女は俺の制止を振り切り、作業台の上にある、あの不思議な箱へと駆け寄った。

「私にもやらせて! 私が代わりにやる!」


(……優しい子だな、リズは)


 そのあまりにも健気で、温かい彼女の想い。

 それが俺の疲れ切った心に、じわりと染みていく。

 俺は彼女に優しく、そして諭すように語りかけた。


「リズ、ありがとう。その気持ちだけで、おじさんは嬉しいよ。だけどこの箱は、特別な力、『魔力』がないと動かせないんだ。だから、気持ちだけ受け取っておくよ」


 俺がそう言って彼女の頭を撫でようとした、その時だった。

 彼女の小さな指先が、『熟成の小箱』の縁に、わずかに触れた。


 ゴオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!


 部屋が揺れた。

 いや、世界が揺れたと錯覚した。

『熟成の小箱』が絶叫するような轟音と共に、黄金色の光を放ったのだ。

 それはもはや光ではない。純粋な、そして無限とも思える魔力の奔流。

 俺がこれまで注ぎ込んできた、ちっぽけな魔力など、まるで蝋燭の灯火のように矮小に思えるほどの、圧倒的な力の顕現。

 小箱がそのあまりにも強大な魔力に耐えきれず、ギシギシと悲鳴を上げている。


「なっ……!?」

 俺はそのあまりにも非現実的な光景に、言葉を失った。

 そしてその光の中心で、リズの小さな体が、淡い光のオーラに包まれているのを見た。

 俺の脳内に、直接声が響いた。


【人材配置A、強制起動。対象:リズ。魔法適性:S++。潜在魔力量:EX。……警告。対象の魔力量、計測限界を大幅に超過。再計測、不能】


(……嘘、だろ……)

 S++。EX。

 俺のスキルですら計測不能だと?

 この小さな少女が、この世界の理すら超える様な、規格外の才能を秘めていたというのか。


 やがてその嵐のような光が、すーっと収まっていく。

 部屋にはまた蝋燭の静かな光が戻ってきた。

 俺は恐る恐る、小箱の蓋を開けた。


 中に入っていた原酒は、深く、どこまでも透き通ったルビーのような、真紅の液体へと変貌していた。そのあまりにも気高い香りは、俺がこれまで作り出してきたどのヴィンテージをも、遥かに凌駕している。おそらくこれは百年物、いや、それ以上だ。


「……あ……れ……?」

 リズは自分の小さな手を、不思議そうに見つめている。

「……できた。……かな……?」


 俺はその小さな奇跡の少女を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。

 俺たちが抱えていた最大のボトルネック。魔力量の不足。

 その絶望的な問題をこの小さな少女の健気な想いが、あまりにもあっさりと、そして完璧な形で解決してしまったのだ。


 俺は震える手でリズの頭を優しく撫でた。

「……ありがとう、リズ。君はとんでもない力で、俺たちを救ってくれた」


 その夜、俺はすぐにリーダーたちを再び執務室に集めた。

 そしてテーブルの真ん中に、あの真紅に輝く蒸留酒の小瓶を置いた。


「……これはリズが今さっき作ってくれた。しかも百年以上の品だと思う」


 俺がそう言うとみんなの視線が一斉にリズに集まった。

 恥ずかしそうにフィリアの後ろに隠れるリズ。


 俺はリズがどれほどの力を持っていたのかを皆に説明した。

 そのあまりにも信じがたい事実に部屋中がしんと静まり返る。

 そして次の瞬間。


「「「うおおおおおおおおっ!!」」」


 この夜一番の大きな、大きな歓声が上がった。

 ハンスとゲオルグがリズをひょいと持ち上げ、わっしょいわっしょいと胴上げを始めた。


 トランもガルフも、その無骨な顔をくしゃくしゃにして笑っている。

 エリナとセシリア、リリィ、ミオ、マリー、そしてフィリアも、泣きながらリズの元へ駆け寄り、その小さな体を優しく抱きしめ、頭を何度も何度も撫でていた。


 その温かい光景を眺めながら俺は確信した。

(……これで、もう大丈夫だ!)


 辺境に来てから四十五日目の朝。

 村の製造期限最終日。

 リズの規格外の魔法適性と魔力量というチート能力のおかげで、残りの三十年物の熟成は瞬く間に完了した。

 彼女はまるで水遊びでもするかのように軽々と小箱に魔力を注ぎ込み、俺が一日がかりでやっていた作業をわずか数分で終わらせてしまったのだ。そして彼女の魔力量は底無しの様で全く疲れてもいないらしい。熟成が終わった後なのに笑顔で嬉しそうに、はしゃいでいた。


 俺は最後の仕上げとして、完成した百本の『森の雫』を一本一本丁寧に検品し、トランが魂を込めて作り上げた最高の化粧箱に詰めていく。


 俺は村人全員を広場に集め、宣言した。

「これより王都へ出発する! この百本の我々の未来を、レオン殿の元へ届けるぞ!」

「「「オオオオオオッ!!」」」


 全ての準備は整った。

 百本の『森の雫』。その一本一本が俺たちの血と汗と涙、そして奇跡の結晶だった。

 俺はこの完璧な成果を手に静かにそして確かな勝利を確信していた。

 四十路の総務部長の本当の「会社経営」は今、本当の意味でその軌道に乗ったのだ。

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