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日報064:総力戦そして限界の壁

 辺境に来てから三十五日目の朝。

 昨夜、俺たちが交わした雄叫びは、単なる気勢を上げるためのものではなかった。それは、この村の全てを賭けた、11日間の総力戦の開始を告げる狼煙だった。


 村は、夜明けと共に、一つの巨大な生命体のように動き出した。

 その心臓部は、二つ。

 一つは、トランの建設現場。もう一つは、エリナの蒸留酒生産ラインだ。


「遅い、遅い! そんな手つきで、日が暮れるまでに壁が立つと思ってんのか!」

 トランの雷のような怒号が響き渡る。彼の建設チームは、村の男衆のほとんどを動員し、フィリアの工房となる建物の建設を急ピッチで進めていた。王都で買い付けた最新の工具と豊富な資材。そして何よりも「二日で仕上げる」という無謀な目標が、彼らの職人魂に火をつけていた。


 領主館の裏手にある作業小屋もまた、戦場だった。

 俺は、まずエリナと、彼女が選抜した村の女性たちを集め、そこに鎮座する蒸留器の操作方法を、一つ一つ丁寧に説明した。

「いいか、皆。この窯の温度管理が、何よりも重要だ。このメモリを超えても、下回ってもいけない。焦げ付かせたら、全てが台無しになるからな」

「はい、慎一様!」

 エリナの凛とした声に、女性たちが続く。彼女たちは、俺が昨日教えたばかりの複雑な操作方法を、驚くべき速さで習得し、24時間交代制で、蒸留器をフル稼働させていた。作業小屋は、甘く芳醇な香りと、女たちの熱気に満ちている。


 鉱山チームは、ガルフの号令一下、フィリアが要求する最高品質の鉄鉱石と銅鉱石を掘り出し続け、ジークの農業チームは、畑仕事の合間を縫って、工房で必要となる大量の木炭を生産していた。

 セシリアとリリィ、そしてミオたち戦闘部隊も例外ではない。彼女たちは、村の警備体制を強化しつつ、交代で建設や生産の手伝いに入っていた。


 誰もが自分の限界を超えて働いていた。

 食事は立ったまま交代で摂る。睡眠は数時間の仮眠のみ。

 だが、誰一人として弱音を吐く者はいなかった。

 全員の目が、一つの目標だけを見据えていたからだ。


 そして、その熱狂の中心から少し離れた場所。

 それぞれの天才たちが、自らの戦いを始めていた。


 マリーは、領主館の一室に急ごしらえした自身の研究室に籠りきりだった。彼女の前には、オーガの心臓から取り出された、禍々しいが強大な魔力を放つ『魔力の結晶』が置かれている。

「……すごい、魔力量。……これを慎重に砕いて、触媒となる薬草と調合し、そしてゆっくりと時間をかけて、魔力を抽出する……」

 彼女は、師であるドミニクから教わった全ての知識と技術を総動員し、この村の唯一の希望となるMP回復薬の製造に取り掛かっていた。その横顔は、極度の集中力によって、聖なる輝きさえ放っているようだった。


 そして、俺もまた、自らの持ち場へと向かった。

 領主館の一番奥にある、俺専用の作業部屋。そこには『熟成の小箱』が静かに置かれている。

「……やるか」

 俺は、エリナのチームが最初に作り上げた、蒸留したての原酒の瓶を手に取った。

 小箱の蓋を開け、古くなった光条樫のチップを取り出し、新しいチップと、原酒の瓶をセットする。そして、蓋を閉め、俺は自らのMPをその古代のマジックアイテムへと注ぎ込んだ。


【MPを10消費しますか?】

 YES。

 その瞬間、俺の生命力そのものがごっそりと吸い出されるような感覚。視界がぐらりと揺れ、額に冷たい汗が滲む。

 光が収まり、十年物が一本完成する。

 だが休んでいる暇はない。すぐに蓋を開け、完成した瓶を取り出し、次の原酒とチップをセットし、再びMPを注ぎ込む。

 YES。YES。YES。

 それを、ひたすら繰り返す。


 十本目の熟成を終えた時、俺のMPは完全に底を尽きた。立っているのもやっとの状態で、壁に手をつき荒い息を繰り返す。

(……きつい。だが、これが俺の仕事だ)

 俺はよろめきながら、作業部屋を後にした。


 _____

 そんな村の喧騒の中で。

 一人、リズは小さな不安を胸に抱えていた。

 王都で買ってもらった新しい服。お腹一杯の温かいご飯。そして優しい友達。

 村での生活は幸せだった。

 だが彼女は感じていた。自分だけがこの村の総力戦の中で何もできていないという焦りを。


 フィリアは毎日難しい顔で設計図とにらめっこしている。マリーは部屋に籠りきりだ。セシリアやミオ、他の大人たちも皆、自分の役割を持って必死に働いている。

(……私だけ、子供だからって、遊んでるだけ……)

 彼女は同じ年頃の子供たちと広場で遊んでいても、心の底から楽しむことができなかった。

(……私も、慎一おじさんの役に立ちたい。何か私にもできることはないかな……)

 その健気な想いが、彼女の小さな胸を締め付けていた。

 _____


 辺境に来てから三十六日目の夕暮れ。

 トランの建設チームが奇跡を起こした。

 わずか二日でフィリアの工房の骨組みと壁、そして屋根を完全に完成させてみせたのだ。

「へっ、どうでえ、大将! 約束は守ったぜ!」

 トランのその誇らしげな声に村中から歓声が上がった。


 工房を与えられたフィリアはもはや誰にも止められなかった。

 彼女は水を得た魚のようにガルフたちが運び込んだ高品質の鉄と銅を使い、王都で買い揃えた、新しい最高の工具で蒸留器の製造を開始した。

 カン、カン、という小気味よい槌の音。キーン、という金属を削る甲高い音。その全てが村の未来を奏でる希望の音色に聞こえた。


 そして、三十八日目の朝。

 工房から、二日間ほとんど姿を見せなかったフィリアが、ふらつきながらも、俺たちの元へやって来た。

「……まずは一台。作った。確認して」

 そう小さな声で、彼女は呟いた。本来であれば、どれだけ腕の良い職人でも、数週間はかかるはずの複雑な装置。それを、たった二日で彼女は完成させてしまったのだ。


 俺たちが工房に足を踏み入れると、そこには、朝日を浴びて鈍い輝きを放つ、一台の真新しい蒸留器が鎮座していた。

 それは、俺が設計した改良版よりも、さらに洗練され、効率化された、フィリア・スペシャルとでも言うべき芸術品だった。


「短期間で、ここまでの物が作れるとは……。フィリア、やはり君は、本当に天才だ」

 俺の心からの賞賛に、フィリアは、ほぼ二日間徹夜で作業をしていたのであろう、疲れ切った顔をしながらも、わずかに誇らしげに微笑んだ。


「フィリア、まずはありがとう。そして、ゆっくり休んでくれ。十分休みが取れたら、もう一台こいつを用意してくれると助かる」

「……大丈夫。任せて」

 そう言うと、彼女は、「少し寝る」とだけ言い残し、自室の方へと歩いていった。


 その日を境に、俺たちの原酒の生産ペースは、一気に加速した。

 エリナのチームは、新型の蒸留器の、その圧倒的な生産効率に驚きながらも、交代でそれをフル稼働させ、次々と原酒を作り出していく。

 そして、三日後の夜には、フィリアが二台目の蒸留器を完成させた。これにより、原酒の生産速度は、もはやこれまでとは比べ物にならない程、向上した。


 全てが、順調に進んでいるように見えた。

 だが、問題の本質は、解決されてはいなかった。


 辺境に来てから四十四日目の夜。

 納品期限まであと二日。輸送にかかる日数を考えれば事実上今日が最後の製造日だった。

 俺は執務室に各チームのリーダーたちを集め最後の生産状況の確認会議を開いていた。


「……まず原酒の生産状況だ。エリナ殿」

「はい。フィリアさんの新しい蒸留器のおかげで原酒はすでに百本分確保できております」

「素晴らしい。次に熟成の進捗だ」

 俺は震える手で羊皮紙に数字を書き込んだ。

「……十年物は七十本全て完了した。二十年物も二十本完了。問題は三十年物だ。現在七本まで完了している。だが……」


 俺は顔を上げた。

「……俺のMPがもう持たない。今夜最後の力を振り絞ってもあと一本熟成させるのが限界だ」

 つまり、三十年物は八本。

 契約の十本に対し、二本足りない。


 広間に重い沈黙が流れる。

「……マリー殿。魔力回復薬の方はどうだ?」

 俺のその問いにマリーは悔しそうに顔を俯かせた。

「……申し訳ありません。オーガの魔力の抽出は想像以上に困難で……。完成まであと丸一日はかかります。……到底間に合いません……」


 誰もが言葉を失った。

 あと二本。

 たった二本。

 だがその二本が越えられない絶望的な壁となって俺たちの前に立ちはだかっていた。


 俺は立ち上がり仲間たちに告げた。

「……皆、聞いてくれ。ここまで本当によく頑張ってくれた。心から感謝する」

 俺は深々と頭を下げた。

「契約は未達に終わるだろう。だがこれは誰のせいでもない。全てはこのプロジェクトを指揮した俺の責任だ。レオン殿には俺から誠心誠意謝罪しロイヤリティの減額を受け入れる」


 その俺の言葉に誰もが悔しそうに唇を噛んだ。

 だが彼らは知っていた。これが今の俺たちにできる全てだったと。


 会議が終わり皆が重い足取りで部屋を出ていく。


 _____

 その光景をリズは扉の隙間から涙を浮かべて見つめていた。

(……おじさん、あんなに頑張ってたのに。……みんな、あんなに頑張ってたのに。……私のせいだ。私が何もできなかったから……)

 彼女の小さな心は張り裂けそうだった。


 そして彼女は決意した。

(……分からない。でもやるしかない。私にも何かできることがあるなら……!)

 _____


 彼女は涙を拭うと静かにそして力強く俺が一人残るあの作業部屋へと向かった。

 村の運命を左右する奇跡の光が灯るその瞬間が刻一刻と迫っていることをまだ誰も知らなかった。

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