日報062:戦利品と、古道の盟約
辺境に来てから三十二日目の昼下がり。
オーガの巨体が横たわる渓谷には、勝利の雄叫びの余韻が、まだ熱を帯びて漂っていた。人間と、銀狼族。二つの種族の戦士たちは、互いの健闘を称え、肩を叩き合い、その種族を超えた絆を、確かめ合っている。
だが、俺は、その歓喜の輪から一歩離れた場所で、すでに次の仕事に取り掛かっていた。総務部長として、プロジェクトの成功は、そのあと処理と成果の資産化までを含めて、初めて完了するのだ。
「皆、聞いてくれ!」俺は声を張り上げた。「感傷に浸るのは後だ! このオーガは、ただの魔物ではない。我々の村の未来を支える、貴重な『資源』の塊だ! これより、戦利品の解体、及び、回収作業を開始する!」
俺の、そのあまりにも即物的で、しかし的確な指示に、戦士たちは、一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにその意図を理解し、力強く応えた。
俺は、まずミオの兄であるガエルを呼び寄せた。
「ガエル殿。あなたたち銀狼族は、この森のあらゆるものを、無駄なく利用する知恵を、持っているはずだ。このオーガの体の、どこに、どのような価値があるのか、教えていただきたい」
「……ああ。分かった」
ガエルは、俺のそのどこまでも実利を追求する姿勢に、呆れたように、しかし、どこか感心したように頷くと、その長年の狩人としての知識を、語り始めた。
オーガの、その分厚く硬い皮膚は、どのような鉄の鎧よりも軽く、そして頑丈な、最高級の革鎧の材料となる。その巨大な牙や爪は、研ぎ澄ませば、ミスリルにも匹敵する硬度を持つ、武器や矢じりへと生まれ変わる。そして、その心臓。一頭から一つしか取れないその魔力の結晶は、高名な錬金術師が、喉から手が出るほど欲しがる、秘薬の材料になるのだという。
「なるほど。素晴らしい情報だ」
俺は、その全てを記憶し、各チームに、具体的な作業指示を出した。
「ハンス、ゲオルグ! 君たちは、ガエル殿の指示に従い、戦士たちと共に、オーガの皮剥ぎと、牙や爪の回収を、頼む!」
「トム! 君は、村から乗ってきた荷馬車を、ここまで移動させ、回収した資材を、次々と積み込んでくれ!」
「マリー殿! 君は、ガエル殿から薬効のある部位について聞き出し、今後の研究材料として、サンプルを採取してほしい!」
俺の、その淀みない指示に、人間も銀狼族も、一つの巨大な組織のように、整然と動き始めた。巨大なオーガの亡骸を囲み、二つの種族が、協力して作業を進める。その光景は、この森の歴史が、新たな一歩を踏み出したことを、象徴しているようだった。
その日の夜、銀狼族の集落では、オーガ討伐の成功を祝う、盛大な宴が催された。
焚き火で豪快に炙られたオーガの肉は、硬いが、滋味に溢れ、俺たちが持ってきていた『森の雫』が、戦士たちの喉を潤していく。
宴も、たけなわとなった頃。
俺は、銀狼族の長老たちが、俺たちの席へ挨拶に来たのを機に、彼らに、一つの重要な『交渉』を、持ちかけた。
「長老殿。そして、ガエル殿。この度の勝利、誠に喜ばしい。ですが、これで全てが終わった訳では、ありません」
俺は、皆の注目が集まる中、静かに語り始めた。
「オーガという最大の脅威は去った。ですが、この森には、まだゴブリンや、他の危険な魔物が、数多く生息している。この古道を、真に安全な道とするためには、継続的な管理と警備が、不可欠です」
俺は、そこで一度言葉を切り、長老の、その賢者のような目を、真っ直ぐに見据えた。
「そこで、ご提案が。我々、人間の村と、あなた方、銀狼族とで、この古道の、共同管理と安全保障に関する、正式な『盟約』を、結んではいただけないでしょうか?」
その、あまりにも大胆な提案に、長老たちは、ざわめいた。
「我々が、あなたたちのために、道を守れと、言うのか?」
「いいえ、違います」俺は首を横に振った。「これは、一方的な奉仕ではありません。双方に、大きな利益をもたらす『業務提携』です」
俺は、盟約の具体的な内容を、提示した。
「あなた方、銀狼族には、この古道一帯を、あなた方の縄張りとして認め、その安全を、保証していただく。その見返りとして、我々の村からは、二つのものを、定期的にご提供いたします」
俺は、マリーに合図を送り、二つの小瓶を用意させた。
「一つは、これ。『高品質回復薬』です。今日の戦いで、この薬がどれほどの命を救ったか。それは、皆さんが一番ご存知のはず。これを、毎月一定数、お納めします」
その言葉に、負傷から救われた戦士たちが、喜び、息を呑む。
「そして、もう一つは、これ。『森の雫』です」
俺は、琥珀色に輝く液体を、長老たちの杯に注いだ。
「これもまた、我々の村でしか作れない、特別な酒。あなた方の祝いの席や、客人へのもてなしに、必ずや、お役に立つでしょう」
金貨ではない。彼らが、本当に必要としている実利と、そして、他では手に入らない特別な価値。
俺の提案に、長老たちは顔を見合わせ、そして、やがて最も年嵩の長老が、深く頷いた。
「……分かった、人間の長よ。その盟約、謹んでお受けしよう。我々、銀狼族は、今日この日より、お主たちの村の、同盟者となることを、ここに誓う」
こうして、俺は、この森の最も強力な先住民族との、揺るぎない同盟関係を築き上げることに、成功したのだ。
宴が終わり、それぞれが寝床へと戻っていく中、ミオが、兄であるガエルと共に、俺の元へやって来た。
「シンイチ」ガエルが口を開いた。「……ミオのことだが。こいつは、もう我々の集落の斥候というだけでは、収まらんだろう。こいつは、あんたたちと旅をすることで、外の世界を知った。そして、何よりも、あんたという新しい『ボス』を、見つけた」
「ミオ。お前が望むなら、行け」ガエルは、妹の頭を優しく撫でた。「お前は、もはやただの斥候ではない。我々、銀狼族と、人間の村とを繋ぐ、大切な架け橋だ。それが、お前の新しい役目だ」
「……兄貴」
ミオは、俺の方を向き直った。その蒼い瞳には、迷いはない。
「シンイチ。……私も、あんたの村に連れてって欲しい。あんたの群れの一員に、なりたい」
「……ああ、もちろんだ。ミオ」俺は微笑んで頷いた。「君は、今日から俺たちの正式な仲間だ。村の斥候部隊長として、そして、銀狼族との外交官として、君の力を貸してほしい」
こうして、俺たちの旅の仲間は、九人となった。
辺境に来てから三十三日目の朝。
オーガの亡骸から得られた戦利品を、荷馬車に満載し、俺たちは、銀狼族の盛大な見送りを受けながら、ついに、村への最後の帰路についた。
銀狼族の集落を出発してから、丸一日が過ぎたが。オーガも盗賊もいなくなった古道は驚くほど穏やかで、特に何も障害がなく、安全な道へと様変わりしていた。
道中、ミオは、フィリアとリズ、そしてマリーに、森の様々な植物や動物について、生き生きと語って聞かせ、すっかり、彼女たちのお姉さん役として、馴染んでいる。
ハンスとゲオルグも、久しぶりに心からの安堵の表情を浮かべ、故郷への期待に、胸を膨らませていた。
そして、辺境に来てから三十四日目の夕暮れ。
俺たちが、最後の丘を越えた、その時だった。
眼下に、懐かしい、俺たちの村の全景が、広がっていた。
王都へ出発した時とは違う。トランたちが修復を進めた家々からは、温かい生活の光が漏れ、真新しい建物の骨組みも、すでに、いくつか組み上がっていた。
それは、もはや廃墟の村ではない。俺たちが築き上げた、確かな生活の息吹に満ちた、故郷だった。
村の見張り台にいた若者が、俺たちの巨大なキャラバンに気づき、角笛を、高らかに吹き鳴らした。
村の門が、大きく開かれ、中から、エリナ、リリィ、トラン、ガルフ……村の仲間たちが、全員、その顔に満面の笑みを浮かべて、駆け寄ってくる。
「「「おかえりなさい、慎一様(大将)!!」」」
その、温かい出迎えの声に、俺は、心の底から安堵し、そして呟いた。
(……ああ。帰ってきたんだ)
四十路の総務部長は、仲間たちと共に、ついに、自らが築き始めた理想郷へと、凱旋したのだ。
長い、長い『出張』は、終わり、心から落ち着ける場所に、俺たちは帰ったのだった。
またまた、すみません。
帰り道の時間が以上に短い事に気が付いたので、片道五日の時間軸に修正しています。
オーガを倒してから村に着くまでが早すぎたので、帰路の描写を少し変更しました。




