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日報061:森の主オーガの討滅

 辺境に来てから三十二日目の朝。

 森の夜の闇が、白み始める頃。二つの種族からなる俺たちの混成部隊は、すでにそれぞれの持ち場へと散っていた。ひんやりとした朝霧が立ち込める森は、不気味なほど静かだ。だが、その静寂の下で、これから始まる死闘の予感が、張り詰めた糸のように、俺たちの神経を締め付けていた。


 俺は、セシリアと数名の銀狼族の弓兵と共に、作戦の最終段階の舞台となる渓谷を、見下ろせる高台の岩陰に、身を潜めていた。ここが、この戦いの司令部だ。眼下には、巨大な岩がいくつも乱立し、オーガの巨体ですら、その自由な動きを阻害するであろう、天然の迷路が広がっている。


(……頼んだぞ、ミオ)

 俺は、心の中で呟いた。

 作戦の成否は、まず第一段階である『誘引』が、成功するかにかかっている。


 その数分後だった。

 森の奥深くから、一本の甲高い矢が、空気を切り裂く音が響き渡った。

 ミオたちが、動いたのだ。


 _____


 その頃、ミオと彼女が選び抜いた五名の俊足の銀狼族の戦士たちは、オーガのねぐらである、巨大な洞窟の手前に潜んでいた。

 洞窟の前には、昨日までの殺戮の跡である、獣たちのおぞましい骨が、山となっている。そして、その中心で、巨大な岩塊の如きオーガが、地響きのようないびきをかき、眠っていた。


 ミオは、仲間たちに目で合図を送る。

 一斉に、六本の矢が放たれた。それは、オーガの分厚い皮膚を貫くためのものではない。その眠りを妨げ、怒りを煽り、そして確実に、こちらへとその憎悪を向けさせるための、挑発の一矢だった。


 矢は、オーガの硬い肩や背中に、カン、カン、と小気味よい音を立てて弾かれる。

「……グルル……?」

 オーガが身じろぎをし、その小さな、しかし残忍な光を宿した目を、ゆっくりと開いた。


「――今だ! 散開!」

 ミオの鋭い声と共に、戦士たちが一斉に四方へと散る。

 オーガが完全に覚醒するのと、彼らが森の木々の陰へと姿を消すのは、ほぼ同時だった。


「グオオオオオオオオオオオッ!!」

 自らの安眠を妨げられた森の主は、怒りに満ちた大咆哮を上げた。その声だけで、周囲の木々がびりびりと震える。

 オーガは、自分を起こした小さな虫けらどもを探し、その血走った目で、周囲を見渡した。

 その視線の先に、わざと一瞬だけ姿を見せた、ミオの銀色の尻尾が映る。


「グガアアアアアッ!」

 オーガは、一直線に、ミオが消えていった方向へと、凄まじい突進を開始した。

 ズシン! ズシン!

 大地が揺れる。木々がなぎ倒され、獣道が踏みしだかれていく。

 オーガは、もはやただの獣ではない。怒りに我を忘れた、破壊の化身と化し、陽動部隊を追い始めた。


 ミオたちは、驚異的な身のこなしで、森の中を駆け抜ける。彼らは、ただ逃げているのではない。オーガのその巨大な図体を巧みに誘導し、俺が待つ決戦の地、あの岩の渓谷へと、一直線に誘い込んでいたのだ。


 _____


「……! 来るぞ!」

 司令部となっている高台の岩陰で、見張りをしていた銀狼族の戦士が、声を上げた。

 俺は、手にした望遠鏡で、森の木々が、不自然に大きく揺れるのを、確認した。


 やがて、森の中から、ミオたちの陽動部隊が、飛び出してきた。彼らは、息を切らしながらも、その顔には、確かな達成感が浮かんでいる。

 そして、その数秒後。

「グオオオオオオオッ!!」

 地を揺るがす咆哮と共に、ついに、森の主が、その巨大な姿を現した。


 その圧倒的な威容。二度目とはいえ間近で見るその巨体に、俺は、思わず息を呑んだ。

 オーガは、ミオたちを追い、一直線に、渓谷の入り口へと、突進してくる。


(……かかったな)

 俺は、冷静にその動きを分析した。

 オーガが、完全に渓谷の中へ、その巨体を入れた、その瞬間。

 俺は、天に向かって、大きく手を振り下ろした。

「――今だッ! 第二段階、開始!」


 俺の合図と共に、渓谷の入り口の両脇の岩陰に潜んでいた、主力部隊が、一斉に姿を現した。

 ハンスとゲオルグ、そしてミオの兄であるガエルが率いる、銀狼族の精鋭たちだ。


「うおおおおおっ!」

「「「ガルルルルアアアッ!!」」」

 人間と獣人。二つの種族の雄叫びが、渓谷に響き渡る。

 彼らは、オークの巨大な胴体には目もくれず、ただ一点。その巨体を支える両足へと、殺到した。


 銀狼族の戦士たちが、その俊敏さを活かし、オーガの足元に、まとわりつくように駆け巡り、鋭い爪と短剣で、その足首を切り裂いていく。

「グギイッ!?」

 オーガは、足元の煩わしい虫けらどもに苛立ち、巨大な棍棒を振り回すが、その大振りな攻撃は、俊敏な彼らを捉えることはできない。


 その隙を、ハンスとゲオルグが見逃さなかった。

「そこだ、ゲオルグ!」

 ハンスが、長槍を巧みに操り、オーガの膝の関節を突き、その体勢を瞬時に崩させる。

「応ッ!」

 ゲオルグが、その好機に、渾身の力を込めて、二本の手斧を、オーガのアキレス腱へと叩きつけた!


 ゴキンッ!

 肉を断ち切る鈍い音と、骨が砕けるおぞましい音が、響き渡る。

「ギイイイイイイイイイアアアアアアアッッッ!!!」

 この世のものとは思えない、オーガの絶叫が、渓谷全体を揺るがした。

 その巨体を支えていた片足のアキレス腱を、完全に断ち切られ、オーガは、バランスを失い、轟音と共に、その場に片膝をついた。

 動きが、止まった。


「――第二部隊、前へ! 討滅を開始せよ!」

 俺は、最後の号令を下した。

 高台に潜んでいた、セシリアと残りの弓兵たちが、一斉に攻撃を開始する。

 無数の矢が、雨のように、オーガの頭部と、そして唯一残された片方の目へと、降り注いだ。


 だが、それはあくまで牽制だ。

 この戦いの最後の決め手となるのは、我々の『剣』。

 セシリア、その人だった。


 彼女は、高台の岩の突端から、一切の躊躇なく、眼下のオーガへと、その身を躍らせた。

 ドレスではなく、磨き上げられた王国騎士の白銀の鎧。その姿は、まるで天から舞い降りた、戦いの女神そのものだった。

 彼女は、渓谷の急な壁面を蹴り、その落下速度を殺しながら、オーガの目の前に着地する。


「グオオオッ!」

 片膝をつきながらも、オーガは、最後の力を振り絞り、セシリアへと、棍棒を薙ぎ払った。

 だが、セシリアは、その攻撃を紙一重で屈んでかわすと、オーガが振り下ろした、その巨大な腕を、踏み台にして駆け上がった。


 そして、天高く跳躍する。

 彼女の手にした愛剣が、朝日に反射し、まるで彼女を加護するかのような光を、放った。

「――これで、終わりです!」

 セシリアの、凛とした声が響き渡る。

 彼女は、空中でそのしなやかな体を回転させ、全ての体重を乗せた渾身の一撃を、オーガの弱点である頭頂部へと、叩きつけた。


 ズブリ、と、肉を貫く重い感触。

 光を纏った剣は、オーガの分厚い頭蓋骨を、まるで紙のように貫き、その脳髄まで達していた。


「…………グ……ォ……」

 オーガの巨体が、びくんと一度大きく痙攣し、そして完全に、その生命活動を停止した。

 轟音と共に、その巨体が、完全に地面に倒れ伏し、もう二度と動くことはなかった。


 静寂。

 一瞬の静寂の後。

「「「うおおおおおおおおおおおっ!!」」」

 人間と獣人。二つの種族の区別なく、全員の喉から、勝利の雄叫びが湧き上がった。


 俺は、その歓喜の輪を、司令部の高台から見下ろしながら、安堵の息を漏らした。

 作戦は、成功した。

 森の最大の脅威は、去ったのだ。

 銀狼族と俺たちの共同戦線が、確実に勝利したのだ。


 俺が、渓谷に降りていくと、ミオの兄であるガエルが、俺の前に進み出て、深く、そして恭しく頭を下げた。

「……シンイチ。あんたは、本物のリーダーだ。俺たち銀狼族は、あんたに心からの敬意と、感謝を捧げる」


 負傷者の手当てには、マリーが大活躍した。彼女の的確な処置と高品質な回復薬は、深手を負った何人もの銀狼族の戦士の命を救い、彼らから、絶大な尊敬を勝ち得ていた。


 こうして、辺境での戦いも、また一つの大きな勝利で、幕を閉じた。

 俺は、頼もしい仲間たちの、その誇らしげな顔を見渡し、静かに、そして確かな未来への手応えを、感じていた。

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