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日報053:作戦名『鼠狩り』

 翌朝。王都の宿屋『金獅子亭』の一室は、夜の間に降り積もった緊張が、静かに空気を満たしていた。昨夜の二度にわたる襲撃と、それによってもたらされた衝撃的な情報。アドレナリンが抜けきった体は鉛のように重いが、俺の頭脳は逆に、この危機的状況を前にして、冴え渡っていた。


 部屋の中央には、昨夜レオンから受け取った鉄の箱が、重々しい存在感を放っている。それはもはや単なる富ではない。俺たちの成功の証であり、敵の憎悪を掻き立てる火種であり、そして今この瞬間からは、敵を誘い出すための最高の『餌』となった。


「皆、集まってくれ」

 俺の声に、それぞれの準備をしていた仲間たちが、テーブルの周りに集まった。夜明けの光が窓から差し込み、セシリアの真剣な横顔と、ハンスとゲオルグの獰猛な笑み、そしてトムの固い決意に満ちた表情を照らし出す。村を出てからの数日で、俺たちのチームには、もはや言葉を必要としない、確かな一体感が生まれていた。


「昨夜の襲撃で、敵の狙いと、その手口が明確になった」

 俺は、昨夜の出来事を改めて冷静に分析し全員に共有した。

「宰相はこちらの動きを完全に把握している。そしてその情報源は、レオン・バルトの組織内部にいる。このままでは、我々は常に後手に回り、いずれ致命的な一撃を食らうだろう」


「……どうするんだい、大将? その鼠とやらを探し出して喉笛を掻き切ってやろうか?」

 ハンスが、物騒な冗談を口にする。だがその目には、プロとしての冷徹な光が宿っていた。


「いや、殺すのはまだ早い」俺は首を横に振った。「殺してしまえば、情報源はそこで途絶える。それでは、トカゲの尻尾切りだ。俺たちがすべきは、その鼠を生かし、利用し、そして、最終的にその鼠を使って、宰相自身に毒を食らわせることだ」


 俺の言葉に、仲間たちは息を呑んだ。

「作戦名、『鼠狩り』を開始する」


 俺は、総務部長として幾度となく社内の情報漏洩調査や競合他社への対抗策を練ってきた。その経験の全てをこの作戦に注ぎ込む。

「まず、第一段階。ハンス、ゲオルグ。君たち二人には、昨日特定された、迎賓館の給仕の中から裏切り者の『鼠』を、さらに絞り込んでもらう」


 俺は、二人に銀貨がずっしりと入った袋を渡した。

「使える金は、惜しむな。迎賓館の周辺の酒場、賭博場。あらゆる場所に網を張れ。急に羽振りが良くなった者はいないか。誰かに、脅されているような素振りを見せる者はいないか。どんな些細な情報でもいい。今日の、日没までに容疑者を三名以内に絞り込んでほしい」


「応ッ!」「任せとけ!」

 二人は、獲物を与えられた猟犬のように獰猛な笑みを浮かべると、早速、王都の裏社会へと、その姿を消していった。


「セシリア、トム」

 俺は、残った二人に向き直った。

「俺たちは、第二段階の準備に入る。これから、白帆商会のレオン・バルトの元へ向かう。表向きの用件は、昨夜の金の安全な送金方法の相談と、村への定期連絡便の手配だ。だが、本当の目的は違う」


 俺は、声を潜めた。

「『鼠』を、罠に掛けるための餌を撒きに行く」

「餌、ですか?」セシリアが問い返す。


「ああ。俺は、レオンとの会話の中で、意図的に偽の情報を漏洩させる。例えば、『近々、村から第二弾のさらに高価な商品を王都へ輸送する計画がある』とかな。密偵が、もしその場にいれば、必ずや、その情報に食いつき宰相に報告するはずだ」


「なるほど……。その、偽情報に食いついた鼠をハンスたちが張り込み尻尾を掴む、という訳ですね」

 セシリアは、俺の作戦の意図を瞬時に理解した。


「そういうことだ。だからこそ、レオンには、まだ、スパイの件は悟られてはならない。あくまで、俺たちの会話は、自然なビジネスの話でなければならない。頼んだぞ、セシリア」

「はい。承知いたしました」


 白帆商会の本部は、昨日と同じように王都の活気の中心で白く輝いていた。

 最上階の当主執務室へ通されると、レオンは、俺たちの姿を見るなり、驚いたように、しかし、すぐに、面白いものを見るような笑みを浮かべた。

「おやおや、シンイチ殿。昨夜ぶりですな。何か、緊急のご用件ですかな?」


「ええ、少し」俺は、彼の執務机の前に座ると、単刀直入に切り出した。「レオン殿。昨夜いただいた、莫大な手付金ですが、これを、安全に我々の村の運営資金として送金する何か良い方法はないかと、ご相談に上がりました」


「なるほど。確かに、あれだけの大金貨を、そのまま、辺境まで運ぶのは危険が伴いますな」

 レオンは、腕を組み、少し考える素振りを見せた。

「よろしいでしょう。我が白帆商会の、決済システムをお使いください。王都の、我が商会の金庫に、金貨を預けていただければ、辺境に最も近い、我が商会の支店で、同額の金貨を、あなたの代理人が引き出せるように手配できます。もちろん、手数料は、いただきませんよ。これもパートナーへの『投資』ですのでね」


「それは、ありがたい。ぜひ、お願いする」

 俺は、礼を述べると、ここで、計画通り本題の「餌」を会話に混ぜ込んだ。


「実は、ちょうど良かった。あなたとのお約束通り、村から第二弾の『森の雫』を輸送する計画でして。今度は、二十年物と、三十年物の現物も含まれる。それらも、同じ方法で、取引させていただけると、非常に助かるのですが」


 俺が、そう何気なく言うと、レオンは「ええ、もちろんですとも」と快く請け負った。

 その、俺たちの会話を、部屋の隅でお茶の準備をしていた若い給仕の男が聞き耳を立てているのを、俺の【危機管理EX】は、見逃さなかった。彼のカップを持つ手が、ほんのわずかに震えていた。


(……こいつか? あるいは、他にも……)


 用件を済ませた俺たちは、白帆商会を後にした。

「セシリア。今の、給仕の男。覚えておいてくれ」

「はい。顔と、特徴は記憶いたしました」


 宿屋に戻ると、陽が、西に大きく傾き始めていた。

 それから、さらに数時間が経過し、街が、夕闇に包まれ始めた頃、ハンスとゲオルグが獲物を仕留めた猟犬のような、鋭い目をして帰ってきた。


「大将。絞り込んできたぜ」

 ハンスが、一枚の羊皮紙をテーブルに広げる。そこには、三人の男の名前と、その特徴が記されていた。

「迎賓館の昨夜の夜勤スタッフの中から、洗い出した。一人は、最近、大負けした博打狂い。もう一人は、故郷に重い病気の妹がいる、若い男。そして、最後の一人が……」

 ゲオルグが、続けた。

「……さっき、大将たちが商会で会った、給仕の男だ。レオンの親父の代から、商会に仕えていたがレオンが当主になってから、冷遇されていることに不満を漏らしていた、とよ」


 三人の容疑者。動機は、それぞれだ。

「……ご苦労だった。見事な仕事だ」

 俺は、羊皮紙を、指でなぞった。


 餌は、撒かれた。罠にかかる可能性のある鼠も特定できた。あとは、どの鼠がいつ罠にかかるか。

俺は、静かに、そして、冷徹にその瞬間を待つことにした。


 宰相との、本当の情報戦。

 その、第二ラウンドのゴングは今、鳴らされたのだ。

 俺は、窓の外に広がる王都の美しいが、どこか、胡散臭い夜景を見下ろし、静かに闘志を燃やしていた。

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