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日報052:金貨の重みと、第二の牙

 白帆商会の紋章を一切排した、地味な黒塗りの馬車は迎賓館を出て静かに王都の夜の闇へと滑り出す。御者も護衛も、レオンが選んだ手練れの者たちだ。彼の徹底した配慮に、俺は改めて商人としての底知れぬ実力を感じていた。


 車内には俺とセシリア、そして俺たちの足元に置かれた鉄の箱だけ。ゴトゴトと車輪が石畳を転がる音だけが、やけに大きく響いていた。鉄の箱の中には、村の未来を左右する莫大な資本、そして同時に、あらゆる悪党の欲望を刺激するであろう危険な火種が詰まっている。


「……信じられません」

 静寂を破ったのは、セシリアの夢見るような溜息だった。

「大金貨百六十五枚。十年分の俸給を、遥かに超える金額です。慎一様、あなたは、たった数日で、この国の歴史を動かすほどの富を、その知恵だけで生み出してしまったのですね」


 彼女の瞳は、足元の鉄の箱と俺の顔とを、尊敬と畏敬の念が入り混じった、熱っぽい眼差しで行き来している。


「俺一人の力じゃない。村の皆が、そして君たちがいてくれたからだ。これは、俺たち全員で勝ち取った成果だよ」

 俺はそう答えたが、心は完全にリラックスしている訳ではなかった。


(……静かすぎる)


 俺の【危機管理EX】が、脳の片隅で、まだ微かな警告を発し続けている。先ほどの衛兵による襲撃は、あまりにも拙速で見え透いていた。あの老獪な宰相が、これしきの失敗で引き下がるとは到底思えない。第二、第三の矢がすでに放たれていると考えるべきだ。


 俺たちの宿屋『金獅子亭』は、大通りから一本入った、比較的静かな場所にある。馬車は人目を避けるため、最短距離である、さらに細い裏路地へと差し掛かった。両側を高い建物の壁に挟まれた、月明かりも届かない、インクを流したような闇。

 その闇の奥から、何かが転がり出るのが見えた。


 ドンッ!

 樽や木箱が、馬車の前方の道を塞ぐ。

「ヒヒーンッ!」

 馬が驚いていななき、馬車が急停止した。同時に、後方からも同じように障害物が転がり出て、俺たちの退路は完全に断たれた。


「来たか……!」

 俺が呟くのと、闇の中から十数名の男たちが、じりじりと姿を現したのは、ほぼ同時だった。

 今度の連中は、先ほどの規律の取れた衛兵ではない。全員がボロをまとい、その手には錆びた剣や、折れた斧といった、粗末な武器。だが、その目には、飢えた獣のような切羽詰まった欲望と命知らずの暴力性がギラギラと輝いていた。ゴロツキだ。


「ヒャッハー! 止まりな! その馬車に積んでる、宝の箱を、置いていってもらおうか!」

 リーダー格の、ひときわ体の大きな、醜悪な傷跡を持つ男が、下卑た笑い声を上げる。


(……情報を、掴んでいる。それも、極めて正確に)

 俺は瞬時に状況を分析した。これは、偶然の強盗ではない。俺たちが、レオンから、金貨の詰まった鉄の箱を受け取ったことを、知っている者による、計画的な犯行だ。


「セシリア」俺は静かに、隣の戦友に告げた。「殺すな。情報を引き出す。リーダー格の男を、生け捕りにしてくれ」

「……承知」

 彼女は、短い返事と共に、音もなく馬車から躍り出た。夜会のための優雅なドレスが、夜の闇に、まるで銀色の残像を描く。


「なんだ、この女……! 死にに来たのか?……へっ!よく見れば綺麗な顔してやがる! 捕まえろ! 痛めつけてもいいが殺すなよ! 後で高く売れるぞ!」

 リーダーの号令で、ゴロツキたちが、一斉にセシリアへと殺到する。


 だが、彼らが踏み込んだのは、絶世の美女が待つ楽園ではなく、死そのものよりも恐ろしい、力の深淵だった。

 セシリアは、一切の無駄な動きなく、襲い来る男たちの懐へと、滑り込むように踏み込んだ。彼女は剣を抜かない。ただ、その華奢な体一つで、ゴロツキたちの暴力的なエネルギーを柳のように受け流し、そして、何倍にもして返していく。


 ドレスの裾が翻る。指先が的確に男の喉元の急所を突く。ヒールの先端が、別の男の膝の皿を、正確に砕く。肘がさらに別の男の鳩尾にめり込み、その巨体を「く」の字に折れ曲がらせた。

「ぐっ……!」「あがっ!」「ごふっ……!」

 悲鳴すら、まともに上げさせることなく、屈強な男たちが、まるで子供のように、次々と地面に崩れ落ちていく。


 その間、白帆商会の護衛たちも、馬車の側面や後方から襲いかかろうとする別のゴロツキたちを、冷静に、しかし、容赦なく無力化していた。彼らもまた、レオンが選び抜いた、本物のプロフェッショナルだった。


 わずか数十秒。

 路地裏には、十数名の、呻き声すら上げられない男たちの体が折り重なるように転がっていた。

 その中心に、セシリアは、ドレスの裾を一筋たりとも乱すことなく、静かに立っている。その姿は、もはや、戦いの女神そのものだった。

 残されたのは、恐怖に腰を抜かし、その場にへたり込んでいる、リーダー格の男だけだった。


 俺は、ゆっくりと馬車を降り、震える男の前に立った。

「さて、と。いくつか、聞きたいことがある」


 馬車の中は、先ほどまでの黄金の輝きとは対照的な、鉄と血の匂い、そして、恐怖に満ちていた。

 俺たちは、捕らえたリーダー格の男を、車内に引きずり込んでいた。


「……言えねえ。言ったら、殺される……」

「そうか」俺は、冷たく言い放った。「だが、言わなければ、今、ここで、この女騎士に八つ裂きにされる。どっちがいい?」

 俺の言葉に、セシリアが、氷のような目で、男を一瞥する。それだけで、男は、ヒッと、喉を引きつらせた。


「お前に、選択肢をやろう」俺は、彼の絶望に、一条の光を差し込むように、交渉を始めた。

「正直に、雇い主の名を話せば、命だけは助けてやる。金も少し付けてやろう。この王都から、永久に姿を消すための退職金だ。だが、もし、嘘をつくか黙秘を続ければ……」


 俺は、そこで、言葉を切った。


「白帆商会に、お前を引き渡す。彼らが、自分たちの客を襲ったゴロツキを、どう扱うか。……まあ、想像に難くないだろうな」


 その言葉が、決定打となった。宰相という、遠い権力者の恐怖よりも目の前の白帆商会という、もっと現実的で残酷な報復の恐怖が彼の心を折ったのだ。

「……わ、分かった! 話す! 話すから、命だけは……!」


 男が語った内容は、衝撃的だった。

「……直接、頼まれた訳じゃねえ。いつも、俺たちに汚れ仕事を回してくる仲介人の男からだ。『今夜、迎賓館から、大金を持ったカモが出てくる。そいつらを襲ってブツを奪え。依頼主は、絶対に口外するな』……と」


「その、仲介人は俺たちの情報をどうやって?」

「……し、知らねぇ。ただ、俺たちの業界では大体、給仕をしながら情報を集める。だから、今回も給仕をしている密偵から情報が入ったんじゃねぇか……。『鉄の箱に、金貨が、ぎっしりだ』ってな……」


(……やはりか。レオンの組織に、鼠が紛れ込んでいた、ということだ)

 俺の脳内で、全てのピースが一つの形にはまった。

 宰相は、公的な衛兵を使った脅しが失敗した場合に備え、第二の牙として、このゴロツキたちを用意していた。そして、その引き金を引くための情報を、レオンの組織内に潜ませたスパイから、得ていたのだ。


 俺は、男に金貨を数枚、投げ渡した。

「約束通り、命は助けてやる。だが、今すぐ、この王都から消えろ。もし、二度、俺の前に現れたら……その時は、どうなるか分かるな?」

 男は、何度も、何度も、頭を地面に擦り付け、闇の中へと這うように逃げていった。


 宿屋に戻ると、ハンス、ゲオルグ、トムが、息を詰めて、俺たちの帰りを待っていた。

 俺は、彼らに、今夜の二度目の襲撃と、そこで得た新たな情報を共有した。


「……なるほどな。宰相の野郎、レオンの兄ちゃんの中にまで、手を突っ込んでやがったか。こりゃあ、思った以上に根が深いぜ、大将」

 ハンスが、吐き捨てるように言った。


「ああ。だが、同時に好機でもある」俺は、不敵な笑みを浮かべた。「敵はこちらがスパイの存在に気付いているとは思っていない。この、情報の一方的なアドバンテージ。これを利用しない手はない」


 俺は、足元に置かれた、金貨の詰まった鉄の箱を見下ろした。


 それは、もはや、ただの富ではない。

 敵を欺き、罠に嵌めるための、最高の『餌』だ。


「……ハンス、ゲオルグ。明日の、最優先任務だ。レオンには、まだ、この件は伝えるな。まず、君たちの力で、その鼠を特定しろ。泳がせるだけ、泳がせて、尻尾を掴むんだ」


「「応ッ!」」

 二人の、頼もしい返事が、部屋に響く。


 宰相との、情報戦は、新たな局面へと突入した。

 俺は、この複雑に絡み合ったチェス盤の全体像を静かに見据えていた。


 次の一手で、この王都での戦いを完全に終わらせる。

 総務部長としての、俺の本当の腕の見せ所が来た。

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