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日報050:勝利の祝杯と、最初の牙

今日1日で結構、書き溜めが出来たので、明日には大量放出いたします。

お待ちいただいている方々には申し訳ありませんが、もう少しだけお待ちください。

とりあえず、今日はこの1話の投下になります。

 白帆商会が所有する迎賓館を包んでいた、宝石箱をひっくり返したような喧騒と熱狂は、夜の帳が深くなるにつれて、まるで夢の残り香のように静寂へと溶けていった。きらびやかな馬車が次々と去り、最後の招待客をレオン・バルトと共に見送った俺とセシリアは、ひんやりとした夜の空気に、ようやく安堵の息を吐いた。


「……終わったな」

「はい。見事な夜会でした、慎一様」

 隣に立つセシリアが、心からの感嘆を込めて呟く。彼女の頬は、まだ興奮と成功の高揚感で、ほんのりと薔薇色に染まっていた。月の光を浴びたそのドレス姿は、今夜、俺の言葉以上に、雄弁に『森の雫』の価値を物語ってくれた、最強のパートナーそのものだった。


「君のおかげだ。ありがとう、セシリア」

 俺が素直な感謝を口にすると、彼女は嬉しそうに、しかし、はにかむように俯いた。その仕草の一つ一つが、騎士としての彼女とは違う一人の女性としての魅力を放っている。


「いやはや、見事なものでしたよ」

 主催者であるレオンが、満足げな溜息と共に俺たちの元へやって来た。

「立ち話もなんです。一度、中へ戻りましょう。今宵の成功を祝して、私からも秘蔵の酒を振る舞わせていただきたい」


 レオンの誘いに頷き、俺が再び迎賓館の重厚な扉に手をかけようとした、まさにその瞬間だった。

 その穏やかな夜の空気を無遠慮に引き裂くように、統率の取れた複数の足音が、俺たちの背後から近づいてきた。


 ザッ、ザッ、ザッ……。

 闇の中から、十数名の武装した兵士たちが姿を現し、俺たち三人を、瞬く間に包囲したのだ。彼らの装備は、磨き上げられた王国軍の制式な鎧。その手には鋭い光を放つ長槍が握られている。その動きには一切の無駄がなく、明らかに高度な訓練を受けていることが窺えた。しかし、その統率の取れた動きとは裏腹に、彼らの目には、公務を遂行する兵士のそれではない、明確な敵意と、獲物を追い詰めるような、ねっとりとした光が宿っていた。


「慎一様!」

 セシリアが、即座に俺とレオンを庇うように一歩前に出た。ドレス姿であっても、彼女の全身から放たれる騎士としての鋭い闘気が、周囲の空気を張り詰めさせる。


「お待ちください、セシリア様」

 分厚い胸当てをつけた屈強な男が進み出た。リーダー格の男だ。その顔に法の執行者たる厳格さはない。あるのは力で弱者をねじ伏せる者の傲慢な笑みだけだった。

「我々は宰相デューク・バレッタス閣下のご命令により参上いたしました。勇者サトウ・シンイチ殿にいくつかお伺いしたいことがある、と。……ご同行願えましょうか?」


 言葉こそ丁寧だが、その内容は紛れもない脅迫であり拉致の宣告だった。

(……来たな。早速牙を剥いてきたか)


 俺は内心で呟くと、前に出ようとするセシリアの肩にそっと手を置き制した。ここで騎士の力に頼れば公務執行妨害という相手の罠に嵌ることになる。この戦場は剣ではなく言葉で戦う場所だ。


「宰相閣下からのご命令ですか」

 俺は一切の動揺を見せず、むしろ面白がるような余裕の笑みを浮かべてみせた。


「それはご苦労様です。ですがいくつかご確認させていただきたい。まずあなた方のお名前と所属部隊をお聞かせ願えますかな? そしてその『ご命令』とやらを証明する正式な召喚状はお持ちなのでしょうか?」


 俺のあまりにも冷静な反論、そして法と手続きの正当性を問う言葉にリーダーの男の顔がわずかにひきつった。

「……我々は宰相閣下直属の部隊だ。召喚状がなくとも閣下のご意志を遂行する権限を持つ」

「ほう、それは初耳ですな。私の知る限りこのアースガルド王国は法治国家であると国王陛下より伺っております。たとえ宰相閣下であっても一個人を令状もなしに夜陰に乗じて拘束する権限はないはずです」


 俺は一歩彼に近づいた。

「そもそも私は国王陛下より直々に辺境開拓を任された勇者です。その身柄の扱いについては本来陛下の勅許が必要となる。まさか宰相閣下が陛下の勅許も得ずにこのような強引な手段に出られるとは、にわかには信じがたい」


 俺の理路整然とした追及に男の額にじわりと汗が滲む。俺はさらに畳み掛けた。

「ちなみに此度の夜会、そして私の王都での活動はすべてルナリア王女殿下のご後見をいただいております。今、私があなた方に連行されれば王女殿下に、ご心配をおかけすることになるでしょう。この件はもちろん王女殿下もご承知の上での、宰相閣下のご命令ということで、よろしいのですな?」


 国王、そして王女。二人の王族の名前を盾にした完璧なカウンター。リーダー格の男は完全に言葉に詰まった。彼らは武力を持たない、弱い勇者と侮り力で脅せば怯えて従うと高を括っていたのだろう。まさかこれほど王国の法と権力構造を理解しているとは。そしてそれを逆手に取って反撃してくるなど夢にも思わなかったに違いない。


「……よろしい。ならば今から私の方で王宮に使者を出し、宰相閣下とルナリア王女殿下に直接ご確認いたしましょう。あなた方の忠勇なるお働きぶりと、今この場で私に突きつけている槍の穂先の鋭さについてもありのままご報告いたします。……ここでしばらくお待ちいただけますかな?」


 俺がとどめの一言を悪魔的な微笑みと共に告げた、まさにその時だった。


「おやおや。これは一体何の騒ぎですかな?」

 これまで俺たちのやり取りを衛兵から見えない位置で、面白そうに眺めていたレオン・バルトが悠然と前に出た。

「私の最も大切なお客様に何かご無礼でも?」


 レオンは衛兵たちを一瞥するとその目を蛇のように細めた。

「近頃、王都では宰相閣下の名を騙り狼藉を働く不届き者がいると聞いておりましたが……まさかあなた方がそうだとは思いませんでしたな、衛兵殿」


 王都一の大商会、白帆商会当主であり貴族社会にも無視できぬ影響力を持つレオン・バルト。そのあまりにも重く皮肉に満ちた言葉が衛兵たちの最後の砦を粉々に打ち砕いた。

「……我々は何も……」

「何もない、と? それは良かった。ではお引き取り願おうか。これ以上、我が賓客を不快にさせるというのであれば、白帆商会としても看過できませんのでな」


 リーダー格の男はもはや顔面蒼白だった。俺一人であればまだ強引に連れ去る選択肢もあったかもしれない。だがレオン・バルトを敵に回すことは宰相本人ですら望まないはずだ。

「…………失礼、した」

 彼はそれだけを吐き捨てるように言うと部下たちに撤退の合図を送った。衛兵たちはまるで潮が引くようにあっという間に夜の闇へと姿を消していった。


 後に残されたのは俺とセシリア、そしてレオンの三人。

 レオンは、やれやれと肩をすくめると俺に向き直り心の底から楽しそうな笑みを浮かべた。


「……見事な切り返しでしたよ、シンイチ殿。まさか腕力ではなく法と権力の力学で彼らを追い詰めるとは。あなた本当に面白いお方だ」

「あなたこそ。最高のタイミングでのご登場でしたな」

「ふふ。あなたのことですから私がいなくとも切り抜けていたでしょう。ですが万が一ということもあります。それに……」


 彼は挑戦的な目で俺を見つめた。

「……あなたという『金の卵を産むガチョウ』に早々に死なれては困りますのでね」

 その言葉に俺たちは顔を見合わせ笑った。


「それでは、私の部屋で今宵の本当の『祝杯』を挙げに行きましょう。今後の忌々しい蝿を追い払うための作戦会議も必要でしょうしな」


 レオンの誘いに俺は頷いた。

 迎賓館の彼が私的に使う最上階の一室。そこで俺たちは改めて互いのグラスを打ち合わせた。


 それはただの祝杯ではない。宰相という巨大な敵を前に固く結ばれた、ビジネスパートナーとして、そして共に戦う「戦友」としての契約の杯だった。

 王都での俺たちの本当の戦いは今、まさにその幕を開けたのだ。

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