日報049:総務部長のプレゼンテーション
割れんばかりの拍手と好奇の視線が俺に突き刺さる。
俺はセシリアにエスコートされながらゆっくりとステージへと向かった。一歩一歩、深紅の絨毯を踏みしめるたびに会場の全ての視線が俺たち二人に集中するのが分かる。それは値踏みするようなあるいは侮るようなそして僅かな期待が入り混じった複雑な視線だった。だが俺の心は不思議なほど静かだった。
(……大丈夫だ。これはただの少し規模が大きいだけの役員会議だ)
俺は隣を歩くセシリアにだけ聞こえるようにそっと囁いた。
「セシリア。笑ってくれ」
「え……?」
「最高の笑顔で俺の隣にいてくれ。君の美しさが俺の言葉に何よりも強い説得力を与える」
「……はい、慎一様」
彼女は一瞬驚いたように目を見開いたがすぐに俺の意図を理解したのだろう。ふわりと聖母のようにしかしどこか挑戦的な完璧な微笑みを浮かべた。その笑顔だけで会場の男たちの半数は骨抜きになったはずだ。
ステージの中央に立ち俺は百人を超える王都の権力者たちをゆっくりと見渡した。マイクの役割を果たす魔道具が俺の呼吸音すらも拾い上げる。
静寂。誰もがこの辺境から来た素性の知れぬ勇者が何を語りだすのかを固唾をのんで見守っていた。
「皆様、ご紹介にあずかりました、佐藤慎一と申します」
俺はまず深々と一礼した。
「今宵は白帆商会当主レオン・バルト様のご厚意によりこのような華やかな席に、お招きいただき誠に光栄です。そしてお集まりの皆様。私のささやかな話に、お付き合いいただく機会を賜り心より感謝申し上げます」
丁寧な、しかし、堂々とした俺の第一声に会場の空気がわずかに変わった。彼らはもっと野卑なあるいは緊張で、しどろもどろになるような男を、想像していたのだろう。
「私は、皆様がご存知の通り異世界より勇者としてこのアースガルドに召喚されました。ですが私に与えられた力は剣でも魔法でもありません。私がこの世界で唯一誇れるもの。それは元の世界で二十年間培ってきた、『総務部長』としての経験だけでございます」
そのあまりにも意外な自己紹介に会場からくすくすと失笑が漏れた。宰相派閥のテーブルに座る恰幅のいい貴族などはあからさまに鼻で笑っている。
(……いいぞ。もっと笑え。もっと油断しろ。その心の隙間こそが俺の言葉が最も深く突き刺さる場所だ)
「皆様は辺境の森にどのような印象をお持ちでしょうか。魔物が跋扈する危険な場所。あるいは文明の光も届かぬ未開の地。……ええ、その通りです。私が最初に彼の地に立った時そこにあったのはただ打ち捨てられた廃墟とどこまでも続く深い深い森だけでした」
俺は語りかけるように続けた。
「ですが、その森はただ厳しいだけではなかった。そこには王都では決して見ることのできない生命の力強い輝きが満ち溢れていたのです。夜明けと共に木々の間からこぼれ落ちる朝露。雨上がりに土の匂いと共に立ち上る若葉の香り。そして何よりも……」
俺はそこで一度言葉を切った。
「……そこには『時間』がありました。人の手が入らぬ悠久の時。我々が忘れ去ってしまった自然の雄大なリズムがそこには息づいていたのです」
俺の言葉に会場は静まり返っていた。誰もが俺の語る辺境の森の情景に引き込まれている。
「今宵、皆様にご紹介するこの酒『森の雫』は、その辺境の森の恵みと、そして悠久の『時間』そのものを一滴の琥珀色に封じ込めた奇跡の結晶でございます」
俺が合図をすると給仕人たちが一斉に動き出した。ハンスとゲオルグがその中心となり他の給仕人たちに的確な指示を飛ばしている。
招待客一人一人の前に小さなクリスタルのグラスが置かれていく。そしてそこにトランの作った見事な化粧箱から取り出された『森の雫』10年物がとくとくと注がれていった。
琥珀色の液体がシャンデリアの光を反射しきらきらと輝く。そして、栓が抜かれるたびに芳醇で甘い香りが会場の隅々まで満たしていく。
「皆様、どうぞ。まずはその香りをお楽しみください。それは森の記憶の香りです」
促されるままに貴族たちがグラスに鼻を近づける。
次の瞬間会場のあちこちから驚嘆のため息が漏れた。
「な……なんという香りだ……」
「ただ甘いだけではない。複雑で奥深い……」
特に芸術を愛するイザベラ女侯爵はその香りにうっとりと目を閉じ恍惚の表情を浮かべていた。
「そして、どうぞ、その一滴を舌の上で転がしてみてください。それは十年の月日が育んだ時の味わいです」
人々が、おそる、おそる、その琥珀色の液体を口に含む。
「「…………っ!!」」
次の瞬間会場は、完全な静寂に包まれた。そしてその静寂はすぐに熱を帯びたざわめきへと変わっていった。
「美味い……! なんだこの酒は!?」
「口当たりは絹のように滑らかなのに喉を通った後腹の底から燃えるように熱くなる……!」
「これほどの酒は生まれて初めてだ……!」
マルクス伯爵は、目を血走らせ自分のグラスを食い入るように見つめている。彼のギャンブラーとしての本能がこの酒が莫大な富を生み出すことを確信したのだろう。
俺はその熱狂の中心で静かに微笑んだ。
(……よし。第一段階成功だ)
俺は、プレゼンテーションを続けた。
「皆様が今味わっていただいたのは十年という時間を封じ込めたもの。ですが『森の雫』の真価はここからでございます。我々の技術は時の封印をさらに長く深くすることも可能なのです。例えば二十年、三十年……」
俺がそう言って含みを持たせると会場の熱気はさらに高まった。十年物ですらあれほどの衝撃だったのだ。その先のヴィンテージとは一体どれほどのものなのか。誰もが想像もつかずただゴクリと喉を鳴らした。
「そして、この『森の雫』が五十年の時を経た時……どのような至高の雫となるのか。その答えは国王陛下とルナリア王女殿下のみがご存知でございます」
俺が国王への献上品について触れると会場は畏敬の念に満ちたどよめきに包まれた。王家が認めたという事実がこの酒の価値を絶対的なものへと押し上げたのだ。
「ですが、皆様。この奇跡の酒はまだ生まれたばかり。その本当の価値はまだ誰にも分かりません。そこで今宵は主催者であるレオン・バルト様のご厚意により、この歴史の証人である皆様の手でその最初の『価値』を決めていただきたく存じます」
俺はレオンに視線を送った。彼は満足げに頷き返しステージへと上がってきた。
「皆様!」レオンが高らかに宣言する。「今宵は特別に、今後、我が白帆商会が独占的に取り扱うことになる『森の雫』三十年物、その記念すべき【最初の一本を購入する権利】をオークションにかけさせていただきます! この歴史の最初の所有者となる栄誉は一体どなたの手に!」
『購入する権利』のオークション。その前代未聞の形式に、しかし会場の誰もが熱狂していた。実体のない権利にこそ、真の価値と名誉が宿ることを、彼らは知っていたからだ。
壮絶な入札合戦が始まった。
「金貨十枚!」「いや二十枚だ!」「三十五!」「五十!」
マルクス伯爵が狂ったように声を張り上げる。他の富裕な商人たちも負けじと値を吊り上げていく。金貨五十枚の声が上がった時点で、会場の熱気は一旦の落ち着きを見せた。それでも、通常のオークションでは考えられないほどの高値だ。
だが、本当の戦いはここからだった。
「……金貨八十枚」
静かに、しかし、会場の隅々まで響き渡る声で、そう告げたのは、イザベラ女侯爵だった。
「なっ……! 金貨九十!」マルクス伯爵が、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「……白金貨一枚」イザベラは、涼しい顔で、扇子の向こうから微笑んでいる。金貨百枚に相当するその額に、会場が大きくどよめいた。
「白金貨一枚と金貨二十!」
「白金貨一枚と金貨五十!」
もはや、それは、狂乱の宴だった。
そして、最終的に、そのたった一つの権利は誰もが想像だにしなかった、驚愕の価格で落札された。
「……は、白金貨三枚ッ!! イザベラ女侯爵様が落札されました!」
白金貨三枚。それは、小さな貴族の屋敷が一つ買えるほどの金額だ。
会場は、熱狂と興奮のるつぼと化した。
俺たちの商品は、この一夜にして、伝説となったのだ。
夜会が終わる頃には俺の周りには黒山の人だかりができていた。誰もが、俺と言葉を交わし次のヴィンテージを手に入れる約束を取り付けようと必死だった。
その喧騒の片隅で宰相派閥の貴族たちが、苦虫を噛み潰したような顔で俺を睨みつけているのを俺は見逃さなかった。
そして、給仕人に扮したハンスが、俺の耳元でそっと囁いた。
「大将。宰相閣下の息のかかった衛兵が数名、会場の外で何か嗅ぎ回ってるぜ。……お帰りの際は気をつけな」
(……やはり、来たか)
俺たちの完全な勝利。
それは、同時に宰相という巨大な敵との本格的な戦争の始まりを告げるゴングでもあったのだ。
俺は、隣で誇らしげに、しかし、警戒を解かずに微笑んでいる絶世の美女セシリアを見つめた。
王都の夜会での戦いは、まだ、始まったばかりだった。




