日報048:社交という名の戦場で
白帆商会が所有する迎賓館は王都の喧騒から離れた高台にあり、まるで宝石箱のように輝いていた。王宮から貸し出された豪奢な馬車を降りると、俺とセシリアはその圧倒的な光景にしばし言葉を失った。
磨き上げられた大理石のアプローチ、無数の魔法の灯りに照らされた庭園、そして次々と到着する王都の権力者たちを乗せたきらびやかな馬車の列。その全てがこれから始まる夜会がただの宴ではないことを雄弁に物語っていた。
「……すごいな」
俺が素直な感想を漏らすと隣に立つセシリアがこくりと頷いた。
「ええ。白帆商会の財力の誇示でもありますね。レオン・バルト……恐ろしい男です」
燕尾服に身を包んだ俺と月の光を纏ったかのようなドレス姿のセシリア。俺たちは互いの覚悟を視線だけで確かめ合うと、ゆっくりとその光の渦の中へと足を踏み入れた。
会場の扉が開かれた瞬間、弦楽器の優雅な音色と人々の洗練された会話のざわめき、そして高級な香水と料理の香りが俺たちを包み込んだ。
天井には巨大なシャンデリアが無数のクリスタルを輝かせ、壁には有名な画家の手によるであろう壮大な絵画が飾られている。床には足が沈み込むほど柔らかな深紅の絨毯が敷かれていた。
そこにいるのはリストで見た王都のそうそうたる顔ぶれだった。美しいドレスや高価な宝飾品でその身を飾った貴婦人たち。威厳のある軍服や仕立ての良い礼服を着こなした貴族の男たち。そして彼らに決して引けを取らないしたたかな目を光らせる商人たち。
俺とセシリアの登場は会場の全ての視線を一瞬で奪い去った。
特にセシリアのその神々しいまでの美しさには誰もが息を呑んだ。男たちは露骨なあるいは盗み見るような賞賛と欲望の眼差しを彼女に注ぎ、女たちは嫉妬と好奇の入り混じった鋭い視線を送ってくる。
(……よし。狙い通りだ)
俺は内心でガッツポーズをした。セシリアという最強の『切り札』は最高の形でその効果を発揮している。
「ようこそ、シンイチ殿、セシリア様」
人波を掻き分けるように今夜の主催者レオン・バルトが姿を現した。彼もまた白を基調とした非の打ち所がない礼服に身を包み、その若き当主としてのカリスマを存分に発揮していた。
「素晴らしいお衣装ですな。特にセシリア様のその美しさは今宵のどの宝石よりも輝いておられる」
「お褒めに預かり光栄です、バルト殿」
セシリアは完璧な淑女の礼で応じた。
「さあ、まずは喉を潤してください」
レオンの合図で給仕人がシャンパンのような黄金色の発泡酒を運んでくる。
俺はそれを受け取りながら会場全体を素早く見渡した。
(……ハンスとゲオルグはうまく紛れ込んでいるようだな)
給仕人の中に見慣れた、しかし今は完璧にその気配を消している二人の姿を確認する。
「シンイチ殿。今宵の主役はあなたとあなたの『森の雫』です。存分にこの社交という名の戦場をお楽しみください」
レオンはそう言うと挑戦的な笑みを俺に残し、他の有力な貴族への挨拶へと向かっていった。
ここからが本番だ。
俺はセシリアを伴い頭の中に完璧にインプットされた戦略シナリオに従って動き始めた。
最初のターゲットはマルクス伯爵。賭博で多額の負債を抱え金の匂いに最も敏感になっているはずの男だ。
「これはマルクス伯爵。今宵はお会いでき誠に光栄です」
俺が声をかけると彼は明らかに格下の見知らぬ男からの挨拶に、いぶかしげなしかし無下にはできないという貴族特有の曖昧な表情を浮かべた。
「……うむ。君は?」
「私、佐藤慎一と申します。辺境の地でささやかながら新しい『事業』を始めた者でして」
俺は酒の話は一切しなかった。ただこう付け加えただけだ。
「近頃王都では新しい『投資』先が不足しているとお聞きしましてね。もしご興味がおありでしたら後ほど、リスクはほぼゼロでしかしリターンは計り知れないという面白いお話ができるかと」
『投資』『リスクゼロ』『リターン』。その甘美な単語に伯爵の目がギラリと光った。
「……ほう。それは興味深いな。後ほどぜひ聞かせてもらおう」
「では、後日お時間を……伯爵様が必ずご興味のあるお話をさせて頂ければと…」
そう告げ、一人目の後日の面談日程を確保した。
よし、一人目確保。
次に俺が向かったのは扇子で優雅に顔を隠しながら周囲の男たちを品定めするように眺めている妖艶な美女、イザベラ女侯爵の元だった。
「これは美しいイザベラ様。その扇子はもしや古代エルダール文明の様式では?」
俺がハンスから仕入れた付け焼き刃の知識で声をかけると彼女の興味なさげだった瞳が初めて俺を捉えた。
「……まあ。あなたお詳しいのね?」
「いえとんでもない。ただ私の故郷にも似たような失われた技術がございまして。例えば時間そのものを封じ込めるという古代の蒸留技術などですが」
『失われた技術』『古代』。そのキーワードに彼女の蒐集家としての魂が激しく揺さぶられているのが手に取るように分かった。
「……まあ! 時間を封じ込めるですって? 面白いお話。ぜひ詳しくお聞かせ願えるかしら?」
「ええ!ぜひ。それでしたら、今日のメインイベントもきっとお楽しみいただけると思いますよ。」
「侯爵様がきっとご興味を持つ品が出る事かと。また、その商品についての詳しいお話も…」
そう告げ、二人目の後日の面談日程を確保した。
順調だ。二人目も無事に面談時間を確保した。
俺はその後も次々とリストアップしたターゲットに声をかけていった。
宰相派閥の将軍には彼の悩みの種である一人息子の素行不良をそれとなく窘めるような人生の先輩としてのアドバイスを。
王女派閥の若き魔導師には俺の元の世界の物理法則に基づいた全く新しい魔法理論の可能性を。
一人一人に合わせ話題を変えペルソナを変え彼らが最も欲しているであろう餌を絶妙なタイミングで撒いていく。
俺の【交渉術S】が完全にこの華やかな戦場を支配していた。
そしてついにその時が来た。
会場の音楽が止みスポットライトがステージの上に集中する。
レオン・バルトがマイクのような魔道具を手に登壇した。
「皆様本日はお集まりいただき誠にありがとうございます! 今宵は皆様にこのアースガルド王国の歴史が変わる瞬間に立ち会っていただきます!」
彼のカリスマに満ちた声が会場に響き渡る。
「ご紹介しましょう! 辺境の地より現れた我らが勇者! そして奇跡の酒『森の雫』(フォレスト・デュー)の生みの親! サトウ・シンイチ殿です!」
割れんばかりの拍手と好奇の視線が俺に突き刺さる。
俺はセシリアにエスコートされながらゆっくりとステージへと向かった。
四十路の総務部長の人生最大のプレゼンテーションが今始まろうとしていた。




