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日報047:決戦前夜

 夜会を明日に控えた王都での滞在二十四日目の朝。

 宿屋『金獅子亭』の一室は静かなしかし熱を帯びた緊張感に支配されていた。それはまるで決戦を前にした作戦司令室のようだった。


 朝食を終えたフィリアとリズが俺の元へとおずおずとやって来た。昨日までの怯えたような表情は消えその瞳には新しい生活への確かな光が宿っている。


「あの、シンイチ……」


 フィリアが意を決したように口を開いた。

「私たち工房に戻る。……父さんの大事な道具や作りかけの物がある。王都を出る前に全部まとめておきたい」


「そうか。分かった」

 俺は彼女たちの自立心と過去を大切にする想いを尊重した。


「荷物を積み込む必要もあるだろうからトムと一緒に荷馬車で帰るといい。それとこれは村へ来るまでの当面の生活費として使ってくれ。他にも何か必要なものがあれば買うといい」


 俺が金貨を数枚フィリアの手に握らせると彼女は驚いたように目を見開きそして深々と頭を下げた。リズもその隣で嬉しそうに真似をしている。

「……ありがとう。……必ず役に立つもの作ってみせるから」

 フィリアのその力強い言葉に俺はこの村の未来はさらに明るくなったと確信した。


 二人がトムと共に宿を出ていくと部屋には再び情報戦の空気が満ちた。


 テーブルの上にはハンスとゲオルグがこの二日間で王都の裏側から命懸けで集めてきた情報が羊皮紙の束となって山をなしている。セシリアも王国騎士としての知識と人脈を駆使し主要な貴族の家系図や公式な役職、領地の情報を完璧にまとめてくれていた。


「……皆、ここまでの情報を揃えてくれてありがとう。最高の情報だ」

 俺は全ての情報に目を通しそして目を閉じた。

 ここからが俺の真骨頂だ。


【書類作成B】スキル、発動。


 俺の脳内で膨大な情報が高速で整理、分析、再構築されていく。招待客リストの一人一人の名前が単なる文字列から生々しい個性と欲望を持つ立体的な人間像へと変わっていく。


 マルクス伯爵の賭博による負債額と彼の派閥内での焦りの色。

 イザベラ女侯爵の古代文明への偏執的なまでの蒐集癖。

 宰相派閥の将軍の一人息子の素行不良の噂。

 王女派閥の若き魔導師の革新的な魔法理論への渇望。


 それらの情報が線で結ばれ複雑なしかし明確な人間関係の相関図を描き出していく。


(……見える)


 俺は頭の中に夜会の会場を完璧に再現した。

 誰がどのテーブルにつき誰とどのような会話を交わすのか。

 俺がどのタイミングで誰に声をかけどの『森の雫』をどの『物語』と共に提示すれば最大の効果を生むのか。


 その完璧なシナリオとあらゆる不測の事態に対応するための複数のコンティンジェンシープランが俺の脳内で数時間かけて構築されていった。


 俺が目を開けた時そこにはもはや一切の迷いはなかった。

「……できた」

 俺はその完璧な戦略を誰にも見せることなくただ自分の頭の中に深く刻み込んだ。


 その日の夕方。

 俺たちが最後の作戦会議を終えようとしていたその時だった。

 コン、コンと部屋の扉が控えめにノックされた。

 入ってきたのは先日俺たちの採寸を行った王宮お抱えの老仕立屋だった。その手には二つの巨大な衣装箱が恭しく抱えられている。


「シンイチ様、セシリア様。お約束の品をお届けに上がりました」


 ついに俺たちの『戦闘服』が完成したのだ。

 まず俺が用意された燕尾服に袖を通した。

 黒を基調としたその上質な生地は体に吸い付くようにフィットする。しかし窮屈さは一切ない。動くたびに裏地の深い青が星のようにきらめき俺というただの四十路の男に不思議なほどの威厳と知性を与えてくれた。


「……素晴らしい。こんな短期間でこれほどの……さすがは王宮の仕立屋だ」

 俺が感嘆の声を漏らすと仕立屋は満足げに深く頷いた。


「次はセシリア様の番ですな」

 セシリアは意を決したように衣装箱を受け取り着付けるため数人で隣の部屋へと姿を消した。

 待つこと数分。

 俺のそして部屋に残っていたハンスたちの息を呑む音が聞こえた。


 そこに立っていたのはもはや俺たちが知る女騎士ではなかった。

 月の光をそのまま溶かして織り上げたかのような銀糸の刺繍が施されたマーメイドラインのドレス。その優雅な曲線は彼女の鍛え上げられたしなやかな体の線を完璧に描き出している。普段は無骨な鎧に隠されている白い滑らかなうなじと美しい鎖骨が惜しげもなく晒されていた。


 凛とした騎士の気品と圧倒的な美貌。そしてその二つが混じり合った時に生まれるどこか儚げで触れることすらためらわれるような聖なる色香。


 彼女は一人の絶世の美女としてそこに存在していた。


「……ど、どうでしょうか慎一様……。……似合いますか……?」

 彼女は自分の姿に戸惑っているのか、潤んだ瞳で俺を見つめ、か細い声で尋ねてきた。その頬は熟れた果実のように真っ赤に染まっている。


「……ああ」

 俺はただ一言そう答えるのが精一杯だった。

 言葉はいらなかった。俺のその驚愕と賞賛に満ちた表情が何よりも雄弁に答えを物語っていただろう。


 部屋の隅で成り行きを見守っていた、あの百戦錬磨の傭兵コンビも、今はただの男に戻っていた。


「へっ……」


 ハンスは、いつも軽口を叩いているその口をだらしなく半開きにしたまま完全に固まっていた。手にしていたエールのジョッキを危うく取り落としそうになっている。


「おい、ゲオルグ……。俺は夢でも見てんのか……? あの、鉄の塊みてえだった姐さんが……」

 その隣で、ゲオルグは無言だった。ただ、その無骨な手で自分の目をごしごしと何度も擦っている。やがて彼は深くため息をつくと、心の底から絞り出すように一言だけ呟いた。


「……とんでもねえ、お宝だぜ、大将」

 その言葉はもはや呆然というよりも畏敬の念に近かった。


 全ての準備は整った。

 最高の商品。

 完璧な情報分析。

 そして最高のパートナー。


 俺は俺の隣ではにかむように俯いているこの世で最も美しい騎士を見つめた。

 彼女こそが明日の俺の最強の『切り札』だ。


 俺は招待客リストを見下ろした。その一人一人の名前を見るたびに、頭の中に刻み込んだ完璧な戦略が、鮮明に蘇ってくる。


 そして、最後の指示を出すために、仲間たちに向き直った。


「セシリア」


「は、はい!」


「明日の君の役目は、ただの護衛ではない。俺の『パートナー』だ。その美しさで、まず会場の全ての男たちの目を惹きつけろ。だが、その瞳の奥には常に王国騎士としての鋭い光を宿しておけ。君のその気品と威圧感が俺への、そして俺たちの『商品』への、無言のしかし何よりも強力な信用保証になる」


「……承知いたしました。慎一様の最高のパートナーとして、この身、恥ずかしきことなきよう務めさせていただきます」


 彼女は、ドレスの裾を、優雅につまみ、完璧な淑女の礼をしてみせた。


「ハンス、ゲオルグ」

「「応ッ!」」


「君たち二人は、会場の警備員か、あるいは、給仕人にでも紛れ込んでもらう。レオンに言って、手配させよう。君たちの任務は、会場の物理的な警備だけではない。むしろ、本当の仕事は情報収集だ。貴族たちの何気ない会話、商人たちの腹の探り合い。その、生きた情報をリアルタイムで俺に伝えてくれ。そして、万が一俺のプレゼンの邪魔をするような『事故』が起きそうになった場合は……」


 俺は、そこで言葉を切り冷徹な目で二人を見た。

「……その『事故』を別の『事故』で未然に防いでくれ。分かるな?」


「へっ。任せとけ、大将」ハンスが、獰猛な笑みを浮かべる。

「そういう『掃除』は、得意でな」ゲオルグも、静かに、しかし、確かな殺気をその目に宿していた。


 舞台は整った。

 あとは主役である俺が人生最高のパフォーマンスを披露するだけだ。


 四十路の総務部長の異世界での晴れ舞台の幕が今上がろうとしていた。

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