日報045:鍛冶師街の片隅で
宿屋『金獅子亭』の一室。仲間たちはそれぞれの任務へと散っていった。セシリアは招待客リストの分析、ハンスとゲオルグは宰相の裏を探るため王都の闇へ。トムは部屋と荷物の警備。誰もが自分の役割を完璧に理解し自律的に動いている。理想的な組織の姿だ。
だが俺一人が抱える問題は依然として重くのしかかっていた。
(……一ヶ月で百本の納品。今のままでは不可能だ)
生産能力の増強。それもただ数を揃えればいいという話ではない。あの複雑怪奇な蒸留器を寸分違わず再現できる天才的な技術者が必要不可欠だ。
俺は宿の主人に王都で最も腕利きの職人たちが集まるという『鍛冶師街』の場所を尋ねると、一人活気のある、しかしどこか油と鉄の匂いがするその区画へと足を向けた。
鍛冶師街はまさに鉄と炎のシンフォニーが鳴り響く場所だった。道の両脇には間口の広い工房がずらりと並び、その奥では上半身裸の屈強な男たちが真っ赤に焼けた鉄塊を力強く叩いている。カン! カン! というリズミカルな槌音。火花が激しく飛び散りもうもうと立ち上る蒸気。その全てがこの国の武具を支える職人たちの荒々しい生命力に満ち溢れていた。
俺は懐から蒸留器の構造を簡略的に描いた羊皮紙を取り出し手当たり次第に工房を訪ねて回った。
「ご主人、少しよろしいか。このような精密な金属部品の製造は可能だろうか?」
だが返ってくる反応はどれも似たようなものだった。
「あぁ? なんだこりゃ。筒だか歯車だか知らねえが、こんなもん何に使うんだ」
「悪いがうちは剣と鎧専門でな。そんなままごとみてえな細工は他を当たってくれ」
「そもそもこんな複雑なもん作れるわけがねえだろうが。あんた、どこの素人だ?」
彼らは屈強な戦士の体を守る分厚い鉄を叩くことには長けている。だがミリ単位の精度が要求される精密機械の部品となると話は全く別のようだった。彼らの目には俺が示す図面がまるで理解不能な異世界の設計図のように映っているらしかった。
十数軒の工房を回った頃には俺の心は焦りとそしてかすかな絶望に包まれ始めていた。
(……駄目か。この世界にはまだ精密加工という概念そのものが存在しないのかもしれない。トランは大工仕事の天才だが金属加工は専門外だ。万策、尽きたか……)
俺が諦めかけて賑やかな鍛冶師街を後にしようとした、その時だった。
ふと視界の隅に見覚えのある小さな人影が映った。
路地裏で何かを拾い集めている痩せこけた少女。先日俺がパンを渡したあの少女だ。彼女は地面に落ちている小さな金属のクズを大切そうに布の袋に集めている。
俺の存在に気づいたのか少女はびくりと肩を震わせると警戒心に満ちた目で俺を睨みつけ、そして脱兎のごとく路地の奥へと走り去っていった。
(……待て。なぜ金属クズを?)
好奇心というよりも総務部長としての僅かな違和感を見過ごせない習性が俺の足を動かした。俺は少女の小さな背中を気づかれぬよう距離を置いて追い始めた。
彼女が向かった先は鍛冶師街の喧騒から完全に取り残されたような寂れた裏通りだった。そこは打ち捨てられた家屋が並び人の気配もほとんどない。
少女はその一番奥にある今にも崩れ落ちそうな小さな鍛冶工房の中へと吸い込まれるように消えていった。
俺は工房の壊れかけた扉の隙間からそっと中の様子を窺った。
中は薄暗くそして静かだった。他の工房のような熱気や活気はない。だが俺はその光景に息を呑んだ。
工房の壁や作業台の上には剣や鎧ではなく俺が元の世界でしか見たことのないような無数の精密な機械部品が整然と並べられていたのだ。大きさの違う歯車、複雑に組み合わさったバネ、そして用途不明のしかし明らかに高度な技術で作り上げられた奇妙な金属のオブジェ。
その一つ一つが職人の狂気にも似た探求心と卓越した技術力の高さを雄弁に物語っていた。
工房の奥で先ほどの孤児の少女が誰かに話しかけている。
「……これ、今日の分。あんまり良いのは、なかった」
少女が金属クズの入った袋を差し出すとその相手は黙ってそれを受け取った。
そこにいたのはもう一人の少女だった。
歳は十六か十七くらいだろうか。顔には煤がつき作業着はあちこちが擦り切れている。だがそのあどけない顔立ちに不釣り合いなほど豊かな胸が作業着を内側から押し上げていた。
彼女は俺の存在には気づかずただ黙々と作業台の上の小さな部品をヤスリで磨いている。その真剣な横顔はまるで祈りを捧げているかのようだった。
(……この子がこれを、作っているのか?)
信じられなかった。だが俺の【人材配置A】スキルが彼女がSランク級の『精密加工技術』とAランクの『発明』スキルを持っていることを明確に示していた。
間違いない。彼女こそ俺が探し求めていた天才だ。
俺は意を決して工房の中へと足を踏み入れた。
「……邪魔をする」
俺の声に二人の少女がびくりと肩を震わせこちらを振り返った。孤児の少女は即座にもう一人の少女を庇うように前に立つ。
「……何の用」
鍛冶師の少女が低いそして感情の読めない声で尋ねてきた。その瞳は他人を一切受け付けない硬い壁で覆われているようだった。
「君に頼みたい仕事がある」
俺は単刀直入に切り出した。そして蒸留器の簡易的な図面を彼女の前の作業台に広げた。
「このような装置を作れる職人を探している」
彼女は図面にちらりと視線を落とした。その次の瞬間だった。
彼女の無感動だった瞳が初めて強い光を宿した。
「……これは」
彼女は俺から図面をひったくるように手に取るとその隅々まで食い入るように見つめ始めた。そしてこれまで一言も発しなかったのが嘘のように早口で呟き始めた。
「……面白い。この冷却管の螺旋構造。熱効率を最大化するための完璧な設計。……それにこの圧力弁の仕組み。単純だが合理的だ。……これを考えた奴は天才か……?」
彼女は完全に自分の世界に入り込んでいた。その姿はもはやただの少女ではない。自らの専門分野について語る真のプロフェッショナルの顔だった。
「……作れるか?」
俺がそう尋ねると彼女ははっと我に返りそして再び硬い表情に戻った。
「……作れる。だが仕事は受けない」
「なぜだ」
「……あんたも他の奴らと同じだ。どうせこんなガラクタ何の役に立つのか分からないくせに物珍しさで声をかけてきただけだろ。私は剣も鎧も作らない。作りたいものしか作らない」
彼女の言葉にはこれまで誰にも自分の技術を理解されてこなかった深い孤独と絶望が滲んでいた。
「いや、違う」俺は首を振った。「俺は君の技術が必要だ。君が天才だと分かっているからここに来た」
俺は彼女にこの蒸留器が何を生み出しそれがどれほどの価値を持つのかを丁寧にそして情熱を込めて説明した。
俺の話を聞き終えた彼女はしばらく黙り込んでいた。そしてやがてぽつりと呟いた。
「……私の技術が……誰かの役に立つ……?」
「ああ。君の技術は俺たちの村の未来そのものになる」
彼女は俯きその小さな肩を震わせていた。
その時隣にいた孤児の少女が彼女の手をぎゅっと握った。
「……行くの?」
鍛冶師の少女はこくりと頷いた。そして決意を固めたように顔を上げ俺を真っ直ぐに見つめた。
「……分かった。あんたの仕事受ける。その代わり条件がある」
「何だ」
「……この子も一緒に連れて行ってくれ。この子が安全に腹一杯飯を食える場所をくれるなら、私はあんたのために何でも作る」
そのあまりにも健気なそして力強い二人の絆。
俺は二人の少女の前に膝をつきその小さな手を両手で包み込んだ。
「……ああ、もちろんだ。約束する。君たち二人に世界一安全で温かい家を俺が作ってやる」
こうして俺はこの王都の片隅で二つのかけがえのない宝物を見つけ出した。
一人は常識を超えた天才的な技術を持つ鍛冶師の少女。
そしてもう一人はその孤独な天才の心を支え続けた優しい心の持ち主。
夜会までの残り二日。
俺たちの王都での戦いはまだ終わらない。だが俺はこの大きな大きな一歩に確かな勝利を確信していた。




