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日報043:ギルドの騒乱と、総務部長の監査術

 薬師ギルドの本部に足を踏み入れた俺はすぐに眉をひそめた。予想していた静謐な学究の雰囲気とはまるで違う。そこには怒声と怯えたような声が飛び交う騒然とした空気が渦巻いていたのだ。


 ホールの中央で胸に派手な徽章をつけた小太りの役人風の男が数人の衛兵を背に若い薬師を大声で詰問していた。その周囲を他の薬師たちが遠巻きに囲み不安と怒りの入り混じった表情で成り行きを見守っている。


「だから! この薬はまだ国家の正式な認可を得ていない危険な薬品だと何度言えば分かるのだ! そのような危険物を王女殿下からの紹介状一つで安易に受け入れるなど、ギルドの管理体制はどうなっている!」


 役人の甲高い声がホールに響き渡る。その視線の先で腕を組み厳しい顔で立っているのはマスター・ドミニクその人だった。彼の顔は怒りで真っ赤になっているが役人の権威を前に手出しができず歯噛みしているのが見て取れた。


(……なるほど。分かりやすい。宰相の差し金と見て間違いないな)

 俺の【危機管理EX】が瞬時に状況を分析する。あの役人は内務省の監査官だろう。宰相が俺たちの動きを牽制し薬師ギルドとの連携を妨害するために送り込んできた駒だ。目的は俺の『高品質回復薬』を「危険な未認可薬」として公にしその信用を失墜させること。


「さあ、その『危険物』をこちらへ渡しなさい! 内務省の権限において然るべき処分を下す!」

 監査官がドミニクが持つ薬の小瓶を奪い取ろうと手を伸ばした。


 その瞬間、俺は静かにその腕を掴んで制止した。


「お待ちいただきたい、役人殿」


 俺の突然の登場にその場の全員の視線が一斉に俺に突き刺さる。

「な、何だ貴様は! 内務省の公務執行を妨害するか!」

 監査官が顔を真っ赤にして怒鳴る。


 俺は掴んだ手にぐっと力を込めた。見た目からは想像もつかない俺の握力に監査官の顔が苦痛に歪む。

「これは失礼。私、この薬の所有者、佐藤慎一と申します。辺境開拓を任されている勇者です」

 俺は【癒しの笑顔(C)】を浮かべながらしかしその目に一切の笑いは宿さずに続けた。


「それで、監査官殿。いくつかご確認させていただきたい。まず、あなた様のお名前と所属そして今回の立ち入り監査の根拠となる『王国法』の条文をお示しいただけますかな? 私の知る限り薬師ギルドは高度な自治権を認められた独立組織。内務省が一方的に立ち入り研究中の薬品を『危険物』と断定し没収する権限はなかったはずですが」


 総務部長として培ったコンプライアンス監査の経験がここで活きた。俺の理路整然としたしかし逃げ場のない質問に監査官の顔から血の気が引いていく。

「そ、それは……国家の安全に関わる緊急事態ゆえの、特例措置だ!」


「ほう、緊急事態ですか。ではその緊急事態とは具体的に何を指して?」

「そ、それは……この薬が民に害をなす可能性が……!」


「なるほど」俺は頷くとセシリアに目で合図した。彼女は一歩前に出て王国騎士の紋章を監査官の目の前に突きつけた。

「この薬は国王陛下とルナリア王女殿下の勅命のもと我が王国騎士団の負傷兵の治癒率を向上させるために開発が進められている国家機密レベルの『戦略物資』です。その共同研究の現場にあなたは今何の令状もなしに踏み込み公務を妨害している。これは王国に対する重大な反逆行為と見なされても文句は言えませんがよろしいですか?」


 セシリアの氷のように冷たい声と『反逆行為』という言葉。それが決定打となった。

 監査官はもはや顔面蒼白でわなわなと震えている。


「この件、国王陛下と王女殿下には私からありのままをご報告させていただきます。あなたのその勇気ある『ご判断』について、ね」

 俺がとどめの一言を告げると監査官は「ひっ!」と短い悲鳴を上げ衛兵たちを置き去りにして蜘蛛の子を散らすようにギルドから逃げ去っていった。


 ホールは一瞬の静寂の後割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。薬師たちが俺とセシリアのその鮮やかな手腕に惜しみない賞賛を送っている。

 マスター・ドミニクはただ呆然とその光景を見つめていた。


 騒ぎが収まりかけた、まさにその時だった。

「誰か! 誰か助けてくれ! 娘が……娘が!」

 ギルドの扉が勢いよく開かれ一人の男が血相を変えて飛び込んできた。その腕にはぐったりとした小さな少女が抱かれている。少女の顔は土気色で唇は紫色に変色し浅く速い呼吸を繰り返していた。


「どうした!」ドミニクが即座に駆け寄る。

「子供が森で綺麗な赤い実を食べちまったんだ! そしたら急に……!」


 ドミニクは少女の瞳孔を確認し脈を取りそして苦渋の表情で首を振った。

「……まずい。『月光草げっこうそう』の毒だ。進行が早すぎる。ギルドの解毒薬では間に合わん……!」

 周囲の薬師たちからも絶望のため息が漏れる。


 俺は男が差し出した元凶である赤い実を一目見て脳内に電撃が走るのを覚えた。【異世界適応(固有)】スキルがその毒の性質を俺の知る元の世界の知識と結びつけたのだ。

(この毒の作用機序は……トリカブトのアコニチンに酷似している。神経毒だ。だが直接的な解毒剤はない。ならば……!)


「マスター!」俺は叫んだ。「対症療法に切り替えるんだ! もう毒は全身に回っている! 胃の洗浄や催吐は手遅れな上、今の彼女には心臓への負担が大きすぎる! まずは心臓を止めないこと、そして体外への排出を促すことが最優先だ! 強心作用のある薬草と、利尿作用のある薬草を!」


「な……!? なんだと小僧! 毒に別の薬草を混ぜるなど自殺行為だ!」

「信じてください! この毒は心停止を引き起こすのが最も危険なんです! 時間がない!」


 俺のあまりにも必死のそして確信に満ちた眼差しにドミニクは一瞬ためらった。だが目の前で刻一刻と弱っていく小さな命と先ほど俺が見せた常識外れの洞察力とを天秤にかけ彼はついに人生最大の賭けに出た。


「……分かった! 君を信じよう! お前たち、すぐに『竜胆りんどうの根』と『天南星てんなんしょう』を持ってこい! 高純度のものをだ! 急げ!」

 ドミニクの檄に若い薬師たちが一斉に走り出す。


 そこからはまさに戦場だった。ドミニクが長年の経験と勘で驚異的な速さで薬草をすり潰し俺はその配合比率を元の世界の知識を基に瞬時に指示していく。

「竜胆の根を三、天南星を一の割合で! 粘度を上げるための賦形剤は使わないでください!」


 数分後即席のしかし二人の知恵が結集した新たな治療薬が完成した。ドミニクはそれを震える手で少女の口へと流し込む。

 ギルドの全ての人間が固唾をのんでその様子を見守っていた。

 一分、二分……。永遠にも感じられる時間が過ぎる。

 少女の浅く速かった呼吸がふと止まった。


「……だめか」

 父親がその場に崩れ落ちる。

 だが次の瞬間。

「……ふぅー……すぅー……」

 少女は深く穏やかな呼吸を取り戻したのだ。土気色だった顔にわずかに血の気が戻り紫だった唇も薄い桜色へと変わっていた。


「…………助かった……のか?」

 ドミニクが信じられないといった声で呟いた。


「「「うおおおおおおおっ!!」」」

 その日二度目のしかし先ほどとは比べ物にならない心からの歓喜の雄叫びが薬師ギルドのホールに響き渡った。


 マスター・ドミニクの研究室で俺と彼は改めて向き合っていた。

「……勇者殿。君は一体何者なんだね?」

 彼の問いにはもはや疑念の色はない。ただ純粋な畏敬の念だけがそこにあった。

「私の数十年の薬学の常識を君は二度も打ち砕いてくれた。一度は純度の高い回復薬の生成。そしてもう一度はわしが諦めかけた小さな命をその革命的な発想で救ってくれた」


 彼は立ち上がり俺の前に来ると今度は彼の方から深々と頭を下げた。

「……完敗だ。君との共同研究。いや君に教えを乞わせてほしい。このドミニクの全てを賭けて君のその未知なる知識の一端に触れさせてはくれまいか」


 偉大な薬師のあまりにも謙虚な申し出。だが俺は静かに首を横に振った。

「マスター、顔を上げてください。俺にはあなたに教えられる事など有りません。俺が望むのは対等な『ビジネスパートナー』です」


「……ビジネスパートナー?」


「はい」俺は頷いた。「マスター。あなたのその卓越した知識と経験、そしてこのギルドの権威は、王都でこそ最大限に活かされるべきです。あなたが辺境の村に来てしまっては、この国全体の損失に繋がる」

 俺の言葉にドミニクは虚を突かれた顔をした。彼はてっきり俺が自分を村に連れて行きたがっていると思っていたのだろう。


「俺が提案するのは、より効率的で、持続可能な共同研究体制です。マスターには、引き続きこの王都で、ギルドのトップとして、そして我々の研究開発の最高責任者として、腕を振るっていただきたい。そして、マスターが最も信頼する、優秀な薬師を一人、我が村へ派遣してはいただけないでしょうか」

「……弟子を、派遣しろと?」


「ええ。その方には、村での『高品質回復薬』の生産管理と、品質の第一次チェックをお願いしたい。そして、現地でしか手に入らない薬草のサンプルや、新たな製造データを、定期的に王都のマスターの元へ報告する。我々は辺境で生産と一次開発を、マスターは王都で最終的な分析と臨床試験を行う。いわば、王都と辺境にまたがる、一つの巨大な『製薬会社』を、我々二人で立ち上げるのです」


 俺のその、あまりにも近代的で組織的な提案にドミニクは、しばらく呆気に取られていた。そして、やがて腹の底から楽しそうに笑い出した。

「がっはっは! そう来たか! そう来たか、勇者殿! 君は、本当に、わしの想像を、遥かに超えてくるわい!」


 彼は笑いすぎて出てしまった涙を拭うと、力強く頷いた。

「……分かった。その話、乗った! 君は、ただの勇者ではない。未来を作り出す、本物の『経営者』だ! よかろう! 私の、一番弟子を君の村へ遣わそう! 奴は、まだ若いが腕と知識そして何より、薬学への情熱は、このわしが保証する! 奴を、君の元で、さらに育ててやってくれ!」


 俺はその偉大な薬師の決断に、静かに、そして力強く、頷いた。

「ええ。こちらこそ、よろしくお願いしますよ、マスター」


 俺とセシリアが薬師ギルドを後にする頃には王都の空は美しい夕焼けに染まっていた。

「……慎一様」

 セシリアが隣で夢見るような声で呟いた。


「あなたは剣を振るうことなく役人の不正を正しそして薬を調合することなく人の命を救い、『高品質回復薬』の生産ラインまで作ってしまわれました。……私にはあなたがどんな伝説の勇者よりも輝いて見えます」

 その熱のこもったまっすぐな言葉に俺は少し照れながら答えた。


「俺はただの総務部長だよ。トラブルの火消しとイレギュラーへの対応と事業拡大が仕事なだけさ」


 宰相の妨害を逆手に取り薬師ギルドという王都で最も信頼篤い組織を完全なそして強固な味方につけた。


 あとは、三日後の夜会。

 そこが王都での次なるそして最大の戦場となる。俺は恐らく王都で二度目の宰相との戦いに備えるための計画を考え始めていた。総務部長としての情報戦はまだ始まったばかりだった。

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