日報040:王室勅許状と、次なる戦場
辺境に来てから二十日目の昼過ぎ。
国王陛下からの絶対的な、しかしあまりにも重い言葉を賜り、俺とセシリアは再び深く膝をつき頭を垂れた。
「……はっ。そのご期待、必ずやこの身に代えてもお応えしてみせます」
俺がそう静かに力強く応えると、王は満足げに一度だけ頷いた。
謁見は終わった。
俺たちが立ち上がり踵を返して玉座の間を去ろうとしたその時、俺はその背中に突き刺さる二つの対照的な視線を感じていた。一つはルナリア王女からの熱を帯びた信頼と期待に満ちた眼差し。そしてもう一つは宰相デューク・バレッタスからの、決して許さないという蛇のような冷たく燃えるような憎悪の視線。
(……これで敵と味方がはっきりしたな)
俺は内心で不敵な笑みを浮かべた。総務部長としてこれほど分かりやすい状況はむしろやりやすい。
王城の長い長い回廊を歩きながら、隣に立つセシリアの横顔を盗み見る。彼女はまだ緊張が解けないのかその美しい顔を硬くこわばらせていた。
「……セシリア。大丈夫か?」
「は、はい、慎一様。……申し訳ありません。私としたことが宰相閣下のあの気迫に気圧されてしまい……。あなた様が、あれほど堂々と渡り合われているというのに、私はただ隣で震えていることしか……」
彼女は悔しそうに唇を噛んだ。
「気にするな。君が隣にいてくれるだけで俺は心強かった。それに君には君にしかできない仕事がある。そうだろ?」
俺がそう言って優しく微笑みかけると、彼女ははっとしたように顔を上げ、そして力強く頷いた。
「……はい!」
宿屋『金獅子亭』に戻ると、ハンス、ゲオルグ、そしてトムが息を詰めて俺たちの帰りを待っていた。
「大将!」「慎一様!」
俺が部屋に入るなり三人が駆け寄ってくる。
「……どうだったんだ?」
「ああ。交渉は成立だ」
俺は事の顛末を簡潔に、しかし正確に彼らに伝えた。俺が国王陛下から辺境の地の全権委任と、事業の自由を保証する『王室勅許状』を勝ち取ったことを。
そのあまりにも信じられない成果に三人はただ呆然としていた。
「……はっ。マジかよ大将。あんた一体何者なんだ……。国王陛下とあの蛇みてえな宰相を相手に、一歩も引かなかったってのか……」
ハンスが心の底から感嘆したように呟いた。
「これで俺たちの村は王国公認のお城になったみてえなもんだな!」
ゲオルグが快活に笑う。トムもその大きな目を尊敬の色でキラキラと輝かせていた。
その日の残りの時間、俺たちはそれぞれの任務に没頭した。
俺は部屋に籠り、今日の謁見の内容とそこで得た新たな情報を頭の中で整理し、今後の具体的な行動計画を練り直していた。レオン・バルトとのお披露目パーティー、マスター・ドミニクとの共同研究。そして何よりも警戒すべき宰相派閥の動き。その全てが複雑に絡み合うチェス盤を、俺は頭の中で組み立てていた。
セシリアは今日の謁見で精神的に消耗したにも関わらず、すぐに王都の地図を広げ、パーティー会場となるであろう貴族街の警備体制や周辺の地理の分析を始めていた。彼女のプロ意識の高さには頭が下がる。
ハンスとゲオルグは早速街に出て、「宰相閣下のお気に入りの店」や「最近羽振りのいい貴族の名前」といった、より深くそしてきな臭い情報の収集に向かった。彼らの働きが、今後の俺の重要な武器になる。
俺たちが宿屋一階の食堂で、今日の成果を報告し合いながら夕食を取っていた。テーブルの上には、久しぶりの温かいシチューと、焼きたてのパンが並んでいる。
「……という訳で、パーティー会場となるであろう貴族街の、主要な通りと、警備兵の配置については、大まかですが、地図に書き起こしました」
セシリアが、羊皮紙を広げながら報告する。彼女は謁見の緊張からすっかり立ち直り、警備最高責任者としてのプロの顔に戻っていた。
「ですが、貴族の私有地内となると警備体制は全くの未知数です。特に、レオン・バルト殿の屋敷となれば、彼が独自に雇った傭兵などもいるはず。一筋縄ではいきません」
「へっ、そのレオン・バルトの坊っちゃんについてだがよ、大将」
ハンスが、肉をナイフで切り分けながら、にやりと笑った。
「今日、一日探りを入れたが面白いことが分かったぜ。奴さん、父親が死んだ後、商会を継ぐために邪魔な叔父貴や古参の幹部連中をスキャンダルをでっち上げて、次々と追放しやがったらしい。そのやり方が、えげつなくてな。今でも、奴を恨んでる連中が結構いるみてえだ」
「それと、宰相閣下だ」ゲオルグが、エールを一口飲んでから続けた。「あの爺さん、清廉潔白を気取っちゃいるが、裏では自分の派閥の貴族に便宜を図ってあちこちの利権を牛耳ってるらしい。特に、この王都の建設事業や食料品の流通には必ず一枚噛んでるとよ。俺たちの村の事業も、いずれ必ず横槍を入れてくるはずだ」
(……なるほどな。レオン・バルトは敵が多い。つまり、俺たちが交渉で有利なカードを手に入れられる可能性がある。そして、宰相の資金源は建設と食料流通……。俺たちの村の事業と見事に競合するわけか。これは最初から敵対する運命だった、ということだ)
俺が新たな情報を頭の中で整理していたその時だった。
宿の主人が、慌てた様子で俺たちのテーブルへと駆け寄って耳打ちしてきた。
「お客様、 王宮から使者の方がお見えです」
「王宮から?」
俺たちが顔を見合わせていると、食堂の入り口に王家の正式な制服をまとった一人の若い使者が立っていた。
「わざわざすまないな。部屋へお通しして欲しい。」
俺がそう言うと、主人は静かに頷き使者を案内してくれた。
俺たちは部屋に戻り、改めて使者と向き合った。
そして彼は一つの豪華な羊皮紙の巻物を俺に差し出した。巻物は王家の紋章が刻印された蝋で固く封じられている。
「慎一様。王女殿下よりお預かりして参りました。『王室勅許状』の草案にございます。内容をご確認の上もし問題がなければ、明日国王陛下の御璽が押され正式に発行されるとのことです」
そのあまりにも迅速な仕事ぶりに、俺は改めてルナリア王女の有能さと俺にかける期待の大きさを実感した。
俺はその場で封を切り内容を確認する。そこには俺が要求した全ての権利が、王国法に則った正確な言葉で記されていた。完璧な仕事だ。
「……素晴らしい。王女殿下に心より感謝申し上げる、とお伝えください」
俺がそう言うと、使者はにこりと微笑んだ。
「それともう一つ殿下からの伝言がございます。『レオン・バルト殿が主催する三日後の夜会ですが、元々南の国からの新作香辛料を披露する予定だったものを、急遽シンイチ様の『森の雫』のお披露目の場として変更したい、と連絡があったそうです。急な社交界となるので、その衣装についてはこちらで最高の物をご用意させていただきますので、ご心配なく』とのことです」
ルナリア王女からの事前情報を聞き、隣にいたセシリアの肩がピクリと動いたのを俺は見逃さなかった。
使者が去った後、俺は改めて仲間たちの顔を見渡した。
「……さてと。これで我々の村の立場は完全に保証された。だが同時に我々はもう後戻りのできない大きな舞台に上がってしまったということだ」
俺はトムが大事そうに抱えている『森の雫』の化粧箱に目をやった。
「明日はレオン・バルトに連絡を取り、パーティーの具体的な日程と招待客のリストを提示させる。ハンス、ゲオルグ、君たちの次の仕事だ。そのリストを基にパーティーに出席する貴族や商人、全員の身辺調査を徹底的に行ってもらう」
「応ッ!」
「レオン・バルトは抜け目がない。彼が元々予定していた夜会に我々の商品をねじ込むことで、自らのリスクとコストを最小限に抑えつつ、最大の利益を狙っている。その彼の土俵の上で戦う以上、こちらも万全の準備をする必要がある。これからがの本当の腕の見せ所だ」
それは剣でも魔法でもない。
情報と知略、そして交渉術が全てを決める、俺という存在が最も輝ける戦場だった。




