日報038:王宮への召喚と、宰相の貌
辺境に来てから十九日目の夜。
王都の宿屋『金獅子亭』の一室は、トムが持ってきた国王陛下からの正式な召喚状によって、祝杯を挙げようとしていた陽気な雰囲気から一転、氷のような緊張感に包まれていた。
「……宰相閣下もご同席か」
俺は羊皮紙に記された重い一文を繰り返した。
「セシリア。その宰相閣下というのは、どういう人物だ?」
俺の問いに、セシリアは青ざめた顔で答えた。
「……宰相デューク・バレッタス。このアースガルド王国において、国王陛下に次ぐ権力を持つ人物です。古くからの大貴族の出身で、その怜悧な頭脳と冷徹な政治手腕で、現在の地位に上り詰めました。そして……」
彼女はそこで一度言葉を切った。
「……ルナリア王女殿下の、最大の政敵とも噂されています」
「へっ。つまり王女様と仲が悪いってことかい、大将」
ハンスが軽口を叩くが、その目にはいつものからかうような色はない。
「ああ、そういうことだ」俺は頷いた。「王女殿下は俺という異世界の勇者を『投資』の対象として高く評価してくれた。だが、その政敵である宰相はどう見るか……」
俺の【危機管理EX】が、考えうる全てのリスクシナリオを瞬時に弾き出す。
(俺を王女派閥の新たな危険分子と見なし排除しようとするか、あるいは俺の生み出す富と技術を自らの派閥の力とするために取り込もうとするか。いずれにせよレオン・バルトやマスター・ドミニクとは比較にならない、本当の化かし合いが始まるということだ)
「……面白い」
俺は不敵な笑みを浮かべていた。
「相手が誰であろうとやることは変わらない。俺たちの価値を認めさせ、最高の条件を引き出す。それだけだ。皆、今夜はゆっくり休め。明日は長丁場になるぞ」
俺の落ち着き払った態度に、仲間たちの緊張も少しだけ和らいだようだった。
翌、二十日目の朝。
俺たちは王宮へ向かう準備を整えていた。
今日の謁見は離宮での非公式なものではなく、王城の玉座の間で行われる公式な召喚だ。俺は商人風の旅装束の中から最も仕立ての良い一着を選んだ。セシリアも騎士団の式典用の、美しくも威厳のある鎧に身を包んでいる。
「セシリア。護衛は君だけでいい。ハンス、ゲオルグ、トム。三人は昨日と同様、宿で荷物の警備と情報収集を続けてくれ」
「「「応ッ!」」」
「……ですが慎一様。王城には何があるか……」
「大丈夫だ」俺は心配そうなセシリアの肩を軽く叩いた。「今日の交渉相手は剣や槍ではない。言葉と権謀術数だ。その戦場では人数は意味をなさない。むしろ少数精鋭の方が動きやすい」
俺の言葉にセシリアは納得したように頷いた。
王宮からの迎えの馬車に乗り、俺とセシリアは王城へと向かった。
壮麗な城門をくぐりいくつもの回廊を通り抜け、俺たちが案内されたのは天井がどこまでも高く、巨大なステンドグラスから荘厳な光が差し込む玉座の間だった。
磨き上げられた大理石の床には俺たちの足音だけが響き渡る。その両脇には王国の精鋭であろう近衛兵たちが微動だにせず整列していた。
そしてその奥。
巨大な玉座に深く腰掛けている一人の老人。彼がこの国の王。その傍らには息を呑むほど美しい正装のドレスをまとったルナリア王女が、緊張した面持ちで控えている。
そしてその反対側。
王女と対をなすように一人の男が立っていた。
歳は六十代だろうか。痩身で背筋がまっすぐに伸びている。その切れ長の冷たい瞳は、まるで獲物を品定めする蛇のように俺を見つめていた。その男から放たれる圧倒的な威圧感。彼こそが宰相デューク・バレッタス。
俺とセシリアは玉座の前まで進み、深く膝をついた。
「……面を上げよ」
王の威厳のある、しかしどこか疲れたような声が響いた。
「勇者サトウ・シンイチとやら。ルナリアからそなたの目覚ましい働きについては報告を受けておる。辺境での任務、大儀であった」
「はっ。もったいないお言葉にございます」
「うむ」王は頷くと、俺たちの目の前のテーブルを顎で示した。
その上には、昨夜俺が王女に献上した、ルビーのように輝く『森の雫』50年物と、ずっしりと重いミスリルの原石が、すでに恭しく置かれている。「ルナリアより、この驚くべき品々についての報告は受けた。改めて、そなたの口から、その詳細と、辺境での成果について聞かせてもらおうか」
俺はセシリアと共に立ち上がり、まず、テーブルに置かれた二つの「奇跡」を指し示した。
「はい。こちらが、我が村で発見されたミスリル鉱脈のサンプルと、我々の技術が生み出した最高級の熟成酒『森の雫』にございます。これらは、我が辺境開拓村から王家への揺るぎない忠誠の証として、ルナリア王女殿下を通して、献上させていただきました」
俺はそこで言葉を切り、今度は自分が持参した鞄からトランの作った見事な化粧箱を二つ取り出した。
「そして、こちらが今後の我が村の新たな『事業』の柱となる品々にございます」
一つ目の箱から、無色透明の『高品質回復薬』を取り出す。
「こちらは、既存のポーションを遥かに凌駕する治癒効果を持つ回復薬。そして……」
二つ目の箱から、琥珀色に輝く『森の雫』10年物を取り出す。
「こちらが、王都の皆様にもお楽しみいただくために用意した、10年物の熟成酒にございます」
俺がそれぞれの価値と村の将来性を説明する度、王の目には驚きと関心の色が浮かんでいく。ルナリア王女はその様子を安堵の表情で見守っていた。
全ての説明を終えたその時だった。
これまで黙って腕を組んでいた宰相が初めて口を開いた。その声は滑らかで丁寧だったが、氷のような冷たさを含んでいた。
「……素晴らしいお話ですな、勇者殿。あの誰もが見捨てた不毛の地が、わずか半月でこれほどの宝の山に変わるとは。……まるで出来すぎた物語のようでございますな」
そのねっとりとした嫌味な物言い。
「一体どうやってこれほどの奇跡を? その失われたはずの蒸留技術とやらも都合よく見つかり、見たこともない薬や酒を作り出す。そして極めつけはこのミスリル。王家の調査団が幾度となく調査しても見つけられなかった鉱脈を、いとも容易く発見するとは。……何か特別な『カラクリ』でもおありなのではございませんか?」
彼の疑念に満ちた言葉は、明らかに俺を詐欺師か、あるいは何か別の意図を持った危険人物として断定していた。
俺はしかし動じなかった。
「宰相閣下。私はただそこにあった事実をご報告したまで。あるいは転移時に私に与えられた【幸運S+】というステータスが働いた結果かもしれませんな。私はこの世界の理に疎い異世界人ですので」
俺がそう笑顔で切り返すと、宰相の目がわずかに細められた。
彼はさらに追撃を加えてくる。
「ほう。ステータスの恩恵ですか。ならばその素晴らしいステータスをお持ちの勇者殿と技術は、ぜひとも王国が直接管理すべきではありますまいか? 一勇者殿の私的な事業としておくには、あまりにも重要すぎる国家機密かと。例えば我が内務省の管轄下にその村を置くというのは、いかがでしょうかな?」
(……来たな。本性を現しやがった)
俺の全ての利権を奪い取り、自らの支配下に置こうという魂胆だ。
セシリアが隣で悔しそうに唇を噛む。ルナリア王女も反論しようと口を開きかけた。
だがその全てを制したのは、玉座の王の一言だった。
「……そこまでだ、宰相」
静かだが有無を言わせぬその威厳に満ちた声に、宰相は不満げに、しかし恭しく口を閉ざした。
王は、その鋭い、しかしどこか疲れた目で、まっすぐに俺を見つめていた。
「……勇者よ」
その声に玉座の間の空気が再び張り詰める。
「そなたの報告、そして宰相の懸念、どちらも聞いた。その上でそなたに問う」
王はゆっくりと言葉を続けた。
「そなたがその類稀なる力で成し遂げたい、真の『目的』は、何じゃ?」
それは俺という存在の本質を見極めようとする、為政者としての最後の問いだった。




