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日報037:交渉のテーブルと、王宮の影

 王都の宿屋『金獅子亭』の一室は、静かながらも確かな熱気に満ちていた。俺は、王都での本格的な活動を開始するにあたり、改めてチーム全員での作戦会議を開いていた。


「さて、皆。今日の情報収集、ご苦労だった。ハンス、ゲオルグ。まずは、君たちが得た情報から、聞かせてもらおうか」

 俺がそう言うと、二人は悪どい笑みを浮かべた。

「大将。面白い話がいくつか聞けたぜ」

 ハンスが声を潜めて語り始めた。

「まず薬師ギルドのマスター・ドミニク。あの爺さん、確かに腕は王都一らしい。だが十年ほど前、新しい治療薬の臨床試験で患者を死なせた過去がある。それ以来、新しい薬や治療法には病的なまでに慎重になったとよ。だが今でも夜な夜な自らの研究室に籠り、その時の失敗を取り返そうと研究に没頭しているらしい」


(なるほどな。彼の頑なな態度は、単なる保守性からではなかったというわけか。むしろその逆。強い探求心と、過去への後悔。これは交渉の大きな突破口になる)


「次に白帆商会の若造、レオン・バルトだ」ゲオルグが続けた。「こいつは親父の代からの古参の幹部連中を、そのえげつない手腕で次々と切り捨てて今の地位にのし上がったらしい。敵は多い。だが奴の商売の才覚は本物だ。そして……」

 ゲオルグはさらに声を潜めた。

「……どうやら先月、南の国から香辛料を満載した商会の、一番でかい船が海賊にやられたと。かなりの損害額らしいが、奴はそれを外部には一切漏らさず、気取られまいと必死らしいぜ」


(……面白い。実に面白い情報だ)

 俺は二人のプロフェッショナルな仕事に深く頷いた。

「見事な情報だ、二人とも。その情報は明日の交渉で非常に有効なカードになるだろう。ありがとう」


 翌、辺境に来てから十九日目となる朝。

 俺とセシリアは、白帆商会へと向かった。今日はただの顔見せではない。具体的な条件を詰める、本番の交渉だ。


 最上階の当主執務室へ通されると、レオン・バルトは昨日と同じポーカーフェイスで俺たちを迎えた。

「お待ちしておりました、シンイチ殿。それで、昨日の『未来を売る』というお話の続きを、聞かせていただけますかな?」

 彼のテーブルの上には、俺が昨日置いていった『森の雫』10年物の小瓶が置かれている。おそらく一晩かけて、彼自身か、あるいは彼が最も信頼する鑑定士が、その味を確かめたのだろう。


「ええ。その前に一つお聞きしても?」

「何でしょう?」

「バルト殿のその素晴らしい執務机。南の銘木『黒鉄木こくてつぼく』とお見受けしますが、これだけの一枚板はさぞ高価だったでしょう。船で運ぶのも大変だったのでは?」

 俺の何気ない一言に、レオンの冷静な仮面がわずかに揺らいだ。

「……! なぜそれを……」

「いえなに。私も木材には少し興味がありましてね。聞けば南の航路は近頃物騒だとか。これほどの貴重品を運ぶとなると、さぞご心労もおありでしょう」

 俺は微笑みながら続けた。

「その点、我が『森の雫』は、ご覧の通りこの小瓶一つで金貨数十枚、あるいは数百枚の価値を生み出します。輸送のリスクは極めて低い。そして在庫を抱える心配もない。何せこの『時間』は、私の村でしか生み出せませんのでね」


 レオンはしばらく黙り込んだ。そしてやがて、観念したようにふっと息を吐いた。

「……参ったな。あなたは一体何者なんだ? 勇者というだけでは説明がつかない」

「しがない元・総務部長ですよ」

 俺は初めて、彼に対して本当の不敵な笑みを見せた。


 そこからは本格的なビジネスの交渉だった。

 俺は彼に、王都における『森の雫』の独占販売権を提案した。その代わり、売上の三割をロイヤリティとして我が村が受け取る。そして初年度の最低販売目標本数を設定し、それを下回った場合は契約を白紙に戻すという条件も付け加えた。

 レオンはそのあまりにも強気な条件に眉をひそめたが、同時にその目が商売人としての興奮に輝いているのを俺は見逃さなかった。


 レオン(……クソっ。面白い。面白すぎるぞ、この男は……! こちらの足元を見て買い叩こうと思っていたが、逆だ。こいつは俺の弱みも、そして俺がこの酒にどれほどの価値を見出しているかも、全てお見通しだ。だが……! このリスクとリターン! この痺れるような交渉……! これこそが商売だ!)


「……良いでしょう、シンイチ殿。その無茶な条件、飲みましょう。ただしこちらからも一つ条件があります。」

「何ですかな?」

「我が白帆商会が総力を挙げて、この『森の雫』を王都の社交界にデビューさせていただきます。その最初の、お披露目パーティーの席に、あなたにも同席していただきたい。この酒の生みの親として、あなた自身の口からその『物語』を貴族たちに語っていただく」


 それは俺を表舞台に引きずり出すという、彼の切り札だった。

「……望むところです」

 俺はその挑戦的な提案を受けて立った。


 次に俺たちが向かったのは薬師ギルドの本部だった。

 マスター・ドミニクは研究室の奥で、目の下に濃い隈を作り、しかしその目は少年のような探求心に爛々と輝いていた。

「……来たか、勇者殿」

 彼の前には、俺が昨日渡した『高品質回復薬』の分析結果らしき羊皮紙が山のように積まれている。

「……信じられん。君が渡したこの製造記録レシピ……。私のこれまでの薬学の常識を全て覆す代物だ。薬草の配合自体は、ありふれたものだ。だが、この、蒸留器とかいう装置を使った、異常なまでの、純度を高めるという発想……。そして、その理論上の限界値を、いとも容易く実現させてしまう、その工程……。魔法ではない。これは、純粋な『技術』だ。一体、どうやって、こんな途方もない理論に……?」


「それが私の村の秘密、ということで」

 俺がそうはぐらかすと、ドミニクは悔しそうに唇を噛んだ。


「……よかろう。だがこれだけではまだ足りん。人体への影響、長期的な副作用の有無。全てを検証するにはまだまだ時間が必要だ。それに、これほどの薬品だ。安定して量産できるという保証がなければ、ギルドとして認可するわけには……」


「ええ、分かっております、マスター。だからこそご提案が」

 俺は彼に、共同研究を持ちかけた。俺たちの村で安定的にこの薬を生産し、ギルドはその品質管理と臨床試験を担当する。そしてこの薬で得られた利益の一部は、ギルドの研究資金として寄付すると。


 ドミニク(……共同研究だと? ギルドがこの薬の正当性を保証する代わりに、その恩恵を独占するのではなく、研究資金として還元する……? この男……。やはりただの金儲け主義ではない。彼の目的はもっと先にある。この国の医療そのものを変えるというのか……? 面白い。面白すぎるぞ、この若造は……!)


「……よかろう! その提案、飲んだ! 我々薬師ギルドの全威信をかけて、君の薬の有用性を証明してみせよう! そしていつか必ず、お前のその秘密、丸裸にしてやるわい!」

 彼はそう言うと、子供のように楽しそうに笑った。


 その夜、宿屋に戻った俺たちは王都でのビジネスが、最高の形でその第一歩を踏み出した事を祝う祝杯を挙げようと借りている一室で準備していた。その時だった。

 部屋の扉が慌ただしくノックされた。

 入ってきたのは血相を変えたトムだった。

「し、慎一様! 大変です! 王宮から使者が!」

「王宮から? また王女殿下か?」

「いえ、それが……! 今度は国王陛下からの正式なご召喚状です! そして……!」

 トムはゴクリと息を呑んだ。

「……宰相閣下もご同席なさる、と……!」


 その言葉に部屋の空気が凍り付いた。

 セシリアの顔からさっと血の気が引く。

(……宰相か。ついに来たな。本当の敵が……)

 俺の【危機管理EX】が、これまでのどんな危機とも違う、最大級の警報を鳴らしていた。


 俺たちの王都での「事業」は、最初の難関に直面したのだった。

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