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日報036:若き商人と、気難しき薬師長

 王都の宿屋『金獅子亭』の一室は、静かながらも確かな熱気に満ちていた。俺は王都での本格的な活動を開始するにあたり、改めてチーム全員での作戦会議を開いていた。


「さて皆。昨夜ルナリア王女殿下から絶大なご支援の約束を取り付けることができた。だがこれはあくまでスタートラインに立ったに過ぎない。今日からは我々が自らの力で、この王都に我々の村の価値を証明していくフェーズだ」

 俺はテーブルに広げた王都の地図を指し示した。


「本日の目的は二人のキーパーソンとの接触だ。一人は王女殿下にご紹介いただいた有力商人レオン・バルト。もう一人は薬師ギルドのマスター・ドミニクだ」

 俺は三人にそれぞれの役割を指示した。


「まずセシリア。君には俺と共にこの二つの会談に同席してもらう。君が王国騎士として隣にいてくれるだけで、俺の交渉相手に対する信用度は大きく変わる」

「はっ! 承知いたしました、慎一様」


「ハンス、ゲオルグ。君たち二人には引き続き情報収集を頼む。今日のターゲットはこの二人だ。『白帆商会』のレオン・バルトと、薬師ギルドのマスター・ドミニク。彼らの性格、経歴、最近の動向、金の流れ、弱み……どんな些細な情報でもいい。すべて集めてきてくれ。これが活動資金だ。有益な情報には追加で報酬を出す」

 俺は銀貨を数枚彼らの前に置いた。二人はその銀貨を満足げに懐にしまうと、不敵な笑みを浮かべた。


「トム。君はハンスとゲオルグと連携し、この部屋と残りの荷物を命に代えても守ってくれ。俺たちが留守の間、ここが我々の城だ」

「は、はい! お任せください!」


 こうして俺たちはそれぞれの任務を開始した。

 最初の目的地は『白帆商会』の本社だ。商人街の一等地で、それ自体が富の象徴であるかのように、白亜の美しい輝きを放っている。


 ルナリア王女直筆の紹介状を受付で見せると、俺たちは待たされることなく最上階の当主執務室へと通された。

 部屋の中央には巨大な黒檀の執務机があり、その向こうに一人の若い男が座っていた。

 歳は二十代半ばだろうか。仕立ての良い、しかし華美ではない実用的な衣服を身にまとっている。その鋭い知的な瞳が、俺とセシリアを値踏みするように静かに見つめていた。

 彼がこの巨大な商会を率いる若き当主、レオン・バルト。


「……お待ちしておりました、勇者殿。それにセシリア騎士殿も。王女殿下からはお話を伺っております。それで、私に一体どのような『お話』が?」

 彼の丁寧な言葉遣いとは裏腹に、その瞳の奥には俺たちの価値を冷徹に見極めようとする商人の打算が渦巻いているのを、俺の【交渉術S】は見抜いていた。


「単刀直入に申し上げましょう、バルト殿。私はあなたに、この世界の誰も見たことがない『未来』を売りに来ました」

 俺は、肩にかけていた革鞄の中から、トランが精魂込めて作り上げた、芸術品のような化粧箱を取り出し、彼の目の前のテーブルに置いた。

 その見事な出来栄えに、レオンの目がわずかに見開かれる。


 俺はゆっくりと蓋を開け、『森の雫』10年物の小瓶を取り出した。そして彼の目の前でその栓を抜く。

 部屋中に一瞬で、芳醇でどこまでも澄み切った果実の香りが広がった。

 レオンは香りに驚きを隠せない様子だったが、すぐにポーカーフェイスに戻り、俺が注いだ琥珀色の液体を静かに見つめている。


「……見事な香りだ。だが勇者殿、酒であれば我が商会も南の国々から最高級のものを取り扱っておりますが?」

「ええ。ですがこれはただの酒ではありません。これは『時間』そのものを商品にした、全く新しい嗜好品です。……これは十年もの。ですが私の村では、これを理論上、百年、二百年と熟成させることも可能です」


 レオンの冷静な仮面が初めてピクリと動いた。


 レオン(……面白い。この男、ただの田舎商人ではないな。商品の価値もさることながら、その『物語』の作り方が実に巧みだ。『時間を売る』だと? 馬鹿げている。だが……もしそれが真実であれば……。この一本の酒が持つ価値は計り知れない。これは……化けるぞ)


「……結構。そのお話、実に興味深い。ぜひ前向きに検討させていただきたい。今日はまずそのサンプルをこちらでお預かりしても?」


「ええ、もちろん。ですがバルト殿、この『未来』に投資する商人はあなただけではないかもしれません。近々他の商会にも声をかけるつもりですので、ご決断はお早めの方がよろしいかと」

 俺はそう言って不敵に微笑んだ。俺たちの最初の腹の探り合いは、互角といったところか。


 次に俺たちが向かったのは薬師ギルドの本部だった。

 そこは『白帆商会』とは対照的に、古く厳格な空気が支配していた。


 薬師ギルドのマスター・ドミニクは、紹介状を一瞥すると、俺たちを値踏みするような厳しい目で見つめた。彼は白髪の痩せた老人だったが、その背筋はまっすぐに伸び、その瞳には長年の経験とプライドが宿っていた。


「……王女殿下からのご紹介状、確かに拝見した、勇者殿。して、その『高品質回復薬』とやらはどこかな?」

 俺が鞄からもう一つの化粧箱を取り出し、中の小瓶を差し出すと、彼はそれを受け取り、光にかざし、匂いを嗅ぎ、そして顔をしかめた。


「……ふむ。不純物がほとんどない。驚くべき精製技術だ。だが……」

 彼は俺を真っ直ぐに睨みつけた。

「……新しい薬には常に未知の『リスク』がつきまとう。私は過去に、新しい、しかし不完全な治療法を試し、救えるはずの命を救えなかった苦い経験がある。私は効果が不確かな得体の知れないものを、ギルドの名において認めるわけにはいかんのだよ」


(なるほど。これが彼のトラウマか。単なる石頭の爺さんではないということだな)

 俺は彼の医師としての誠実さに、むしろ好感を持った。


「お気持ちはお察しします、マスター・ドミニク。だからこそ私は今日、これを売りに来たのではありません」

「……ほう?」

「この薬をあなたに託したいのです。この国の誰よりも薬を知り尽くしたあなたの目で、この薬を徹底的に研究し、分析し、その真の価値と危険性を見極めていただきたい。これが私の製造記録です。すべて包み隠さずお渡しします」


 俺が薬草の配合から蒸留の工程まで記した羊皮紙を差し出すと、ドミニクの目が見開かれた。


 ドミニク(……この男、自分の薬の製法を分析しろ、だと? これほどの機密をあっさりと……。自信か、あるいは愚かさか……。だがこの製法……私の知らない全く新しい理論だ。もし万が一これが本物で、そして安全なものだと証明できれば……あの時の過ちを……繰り返さずに済むかもしれない……!)


 彼の研究者としての探求心が、過去のトラウマという分厚い壁を打ち破った瞬間だった。

「……よかろう。その挑戦、受けて立つ。このドミニクの全知識をもって、君の薬の真贋、見極めさせてもらうぞ」

 彼はそう言うと、俺から薬とレシピをひったくるように受け取り、研究室の奥へと消えていった。


 その夜、宿屋に戻った俺たちは今日の成果を共有していた。

「……手応えは十分だ。レオン・バルトもマスター・ドミニクも、間違いなく俺たちの『商品』に食いついた。あとはこちらがどう主導権を握るかだ」


 俺たちの王都でのビジネスは、最高の形でその第一歩を踏み出した。明日からは、いよいよ本格的な交渉が始まる。

 四十路の総務部長の腕の見せ所だ。

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