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日報034:王女との謁見と、未来への賭け

 王都の夜は、昼間の喧騒が嘘のように、静かで、そして、どこか冷たい美しさを湛えていた。俺たちは、月の光だけを頼りに、王城の、西側に位置するという、離宮へと、向かっていた。離宮は、王族が、公務を離れて、私的に過ごすための場所だと、セシリアが教えてくれた。


 高い塀に囲まれた、その壮麗な建物にたどり着くと、門の前には、昼間の使者とは別の、王家の紋章をつけた、近衛兵らしき男たちが、二人、直立不動で、立っていた。

 セシリアが、前に進み出て、身分を明かす。

「勇者、サトウ・シンイチ様を、お連れいたしました。ルナリア王女殿下との、お約束です」

 近衛兵は、無言で、しかし、深く、敬意のこもった一礼をすると、重厚な扉を、内側から、開けてくれた。


 通されたのは、広大な庭園に面した、ガラス張りの、テラスのような部屋だった。床には、異国のものと思しき、幾何学模様の、美しい絨毯が敷き詰められ、部屋の中央には、黒檀で作られた、優雅なテーブルと、椅子が、置かれている。そして、その、一番奥の椅子に、彼女は、座っていた。


 月明かりを、その身に浴びて、夜空を閉じ込めたような、深い青の瞳が、俺たちを、静かに、見つめている。昼間の、公的な謁見の場で見た、威厳に満ちたドレス姿とは違う。今は、もっと、ゆったりとした、しかし、気品を失わない、シルクの部屋着のようなものを、身にまとっていた。

 ルナリア・アースガルド王女。その人は、ただ、そこにいるだけで、周囲の空気を、支配する、圧倒的な存在感を、放っていた。


「……よく、いらっしゃいました、慎一殿。お待ちしておりました」

 彼女の、鈴を転がすような、美しい声が、静かな部屋に、響き渡る。


「滅相もございません、王女殿下。このような、夜更けにも関わらず、お会いいただける機会を賜り、感謝いたします。そして、何よりも、先日の、我々への物資のご支援と、国王陛下への、お取り成し、心より、御礼申し上げます。殿下のご支援という『投資』なくして、我々の、今日の成果は、あり得ませんでした」

 俺は、総務部長として、培った、最も、丁寧な所作で、彼女に、心からの感謝を込めて、深々と、一礼した。セシリアとトムも、俺の後ろで、深々と、頭を下げている。


 俺の言葉に、彼女は、満足げに、そして、どこか、嬉しそうに、微笑んだ。

「顔を上げてください、慎一殿。そちらでのご苦労、私も、報告で、伺っております。それに、これほど早く、王都へお戻りになったということは、最初の投資に対する、素晴らしい『見返り』を、お持ちくださったのでしょう? 期待しておりますわ」

「はい。必ずや、殿下のご期待に、お応えできるかと」


(……改めて見ると、やはり、本物の王女だな。謁見の間で見た、威厳のあるドレス姿とは違う、私的な、しかし気品のある姿。辺境で、泥と汗にまみれていたのが、まるで、違う世界の出来事のようだ)

 俺は、気持ちを、切り替えた。ここからは、交渉だ。


「では、早速ですが、こちらを」

 俺は、トムに、目で、合図を送った。トムは、緊張で、ガチガチになりながらも、トランが、魂を込めて作り上げた、見事な化粧箱と、ずっしりと重い、ミスリルの袋を、テーブルの上に、慎重に、置いた。


 まず、俺は、ミスリルの袋の、口を開いた。

「王女殿下。まず、ご報告すべきは、この『ミスリル』の、鉱脈の発見です。これは、その、サンプルとなります」

 鈍い銀色に輝く、不思議な金属塊が、月の光を浴びて、妖しく、光る。

 その、一塊を見ただけで、ルナリア王女の、表情が、変わった。

「……これが、本当に、ミスリル……!? それも、これほどの、純度のものを、あの、棄てられた土地で……?」

 彼女の声には、隠しきれない、驚愕の色が、浮かんでいた。


「はい。埋蔵量は、まだ、調査中ですが、かなりの規模であると、予測されます。これは、我が村から、王家への、最初の、そして、最大の『忠誠の証』として、献上いたします」

 俺の言葉に、王女は、ゴクリと、息を呑んだ。

 彼女は、この、一塊の金属が、王国の、軍事バランスを、どれほど、大きく、変える力を持っているか、即座に、理解したのだ。


「次に、こちらを」

 俺は、もう一つの、小さな、しかし、精巧な、化粧箱を、彼女の前に、滑らせた。

「これは、『高品質回復薬』。我が村で、開発した、新しい薬です」

 俺が、蓋を開けると、中には、無色透明の液体が、満たされた、小瓶が、鎮座していた。

「……美しい。ですが、回復薬は、王宮にも、最高のものが、ございますが?」

「ええ。ですが、その、効果は、王宮の、いかなる薬をも、凌駕すると、自負しております。深い切り傷であれば、数分で、完全に、塞がるでしょう」

 俺の、自信に満ちた言葉に、王女は、半信半疑、といった、表情を浮かべた。


 そして、俺は、最後に、最も、荘厳な、化粧箱を、彼女の前に、置いた。

「そして、これが、我が村の、未来そのものです」

 俺は、ゆっくりと、蓋を開けた。中には、ルビーのように輝く小瓶が、ビロードの布に、大切に、守られている。


「これは……?」

「『森のフォレスト・デュー』と、名付けました。辺境の森の、恵みと、我々の技術の、結晶です。これは、50年もの、月日を経て、熟成された、特別な、一本です」

「50年……!?」

 王女は、その言葉に、再び、驚愕の表情を浮かべる。

 俺は、その小瓶を、恭しく、手に取り、彼女の目の前で、小さなガラスの栓を、静かに、抜いた。


 その瞬間。

 部屋中に、信じられないほど、芳醇で、甘く、そして、複雑な香りが、満ち満ちた。それは、もはや、ただの酒の香りではない。凝縮された、森の歴史と、時間そのものが、解き放たれたかのような、官能的な、香りだった。


「……なんという、香り……」

 ルナリア王女は、その、あまりにも、気高い香りに、うっとりと、目を閉じた。

 俺は、その液体を、用意されていた、クリスタルのグラスに、ほんの、少量だけ、注いだ。


 彼女は、その、ルビー色の液体を、しばらく、見つめていたが、やがて、意を決したように、グラスを、手に取り、その香りを、確かめ、そして、一口、静かに、口に含んだ。


「…………っ!」

 次の瞬間、彼女の、深い青の瞳が、これ以上ないほど、大きく、見開かれた。

 その、あまりにも、気高く、複雑で、そして、官能的な味わいに、彼女は、言葉を、完全に、失っていた。


 ルナリア王女(……これは、一体、何……? お酒、なの……? 違う……。これは、歴史そのもの。時間と、森の魂を、一滴の雫に、閉じ込めた、芸術品……。これほどのものを、あの、辺境の地で、たった、半月で、生み出したと、いうの……? この方……サトウ・シンイチは、一体、何者なのかしら……? ただの、勇者ではない。この方は……未来を、創造する御方……!)


 長い、長い、沈黙の後、彼女は、ようやく、口を開いた。その声は、わずかに、震えていた。

「……シンイチ殿。あなたが、この、わずかな期間で、成し遂げたことは、奇跡、としか、言いようがありません。いえ、奇跡、という言葉すら、陳腐に聞こえますわ」

 彼女は、立ち上がり、俺の、目の前まで、歩み寄ってきた。

 そして、彼女は、王女としてではなく、一人の、女性としての、潤んだ瞳で、俺を、見つめた。


「……シン-イチ殿。私は……私は、あなたという『未来』に、賭けてみたい」


 その、熱を帯びた、申し出。

 それは、もはや、ビジネスの交渉ではなかった。

 四十路の総務部長は、異世界に来て、初めて、自らの「商品」で、一人の、美しい女性の「心」を、完全に、射止めたのだった。

 俺たちの、本当の「出張」は、今、まさに、最高の形で、その幕を開けた。

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