日報028:新たな斥候と、森の主の影
辺境での十三日目の夜。
気を失った獣人の少女、ミオを保護した俺たちは、その夜、いつも以上に厳重な警戒態勢を敷いて、野営を行った。彼女が追っていたという『森の主』の存在が、俺の頭の片隅で、常に【危機管理EX】の警告灯を、微かに灯し続けていたからだ。
翌朝、十四日目の朝。
焚き火のそばで、俺たちが朝食の準備をしていると、ミオが目を覚ました。彼女は、自らの傷が完全に癒えていることに、改めて驚きながらも、俺たちが差し出した干し肉とスープを、警戒しながらも、静かに受け取った。
「さて、ミオ」俺は、彼女に話しかけた。「昨日も話したが、俺たちは王都へ向かっている。君には、この森を抜けるまでの道案内と、斥候としての協力を頼みたい。改めて、引き受けてくれるか?」
「……約束は、守る」ミオは、短く答えた。「その代わり、飯と、安全は、保証しろ。それと、あの変な水、まだあるのか?」
彼女は、自分の腕をさすりながら、俺の持つ『高品質回復薬』に、ちらりと視線を送る。
「ああ、もちろん。仲間が怪我をすれば、いつでも使うさ」
その言葉に、彼女は、少しだけ、安心したような表情を浮かべた。
朝食を終え、出発の準備を始める。そこで、警備最高責任者であるセシリアが、新たな人員配置を、全員に伝えた。
「これより、我々の斥候は、二人体制とする。先行斥候をハンス、後方および側面警戒をゲオルグが担当していたが、これにミオを加える。ハンスは、これまで通り、罠や、人の気配といった、人工的な脅威の発見に専念。ミオには、魔物や、危険な動植物の気配、そして、森の地形そのものが持つ、自然の脅威の察知を頼みたい。二人は、常に連携し、何かあれば、即座に、私に報告してほしい。」
セシリアの的確な指示に、ハンスは「へっ、おもしれえ。獣人の嬢ちゃんとお仕事か」と不敵に笑い、ミオは、自分が正式な役割を与えられたことに、少し驚きながらも、こくりと頷いた。
(素晴らしい。セシリアは、ミオの能力を正確に分析し、既存の戦力と組み合わせることで、チーム全体の索敵能力を、飛躍的に向上させた。これも、俺の【人材配置A】が、彼女に影響を与えた結果か……?)
俺は、頼もしい仲間たちの成長に、静かに満足した。
新たな布陣で、俺たちは、再び、古道を進み始めた。
そして、ミオが加わった効果は、すぐに、絶大なものとして現れた。
「シンイチ、待て」
ミオが、不意に俺たちの足を止める。彼女は、地面に鼻を近づけ、匂いを嗅ぎ、そして、道の脇に生えている、一見、ただの雑草にしか見えない植物を指差した。
「この草の根、毒だ。踏むと、痺れる胞子が飛ぶ。馬が踏んだら、一日、動けなくなる」
彼女の言葉に、トムが、顔を青くして、馬を後退させた。地図には、決して載ることのない、ミオの、森の知識が、俺たちの最初の危機を救った。
さらに、彼女は、道中、様々な発見をもたらしてくれた。
「そこのキノコは、食える。焼くと、肉みたいな味がする」
「あの木の樹皮は、煎じて飲むと、熱を下げる薬になる」
「この先に、綺麗な水が湧く泉がある。井戸水より、ずっと美味い」
彼女は、まさに『森の賢者』だった。その知識は、この旅だけでなく、今後の村の発展においても、計り知れない価値を持つだろう。ハンスも、最初は半信半疑だったが、ミオが、自分では到底感知できない、微かな獣の足跡や、匂いを次々と言い当てる様に、やがて、プロとしての尊敬の念を抱き始めたようだった。
順調に、そして、昨日までとは比べ物にならないほど、安全に、旅は進んだ。
このまま、何事もなく、森を抜けられるのではないか。
そんな、甘い考えが、俺の頭をよぎった、その時だった。
「……待て」
これまでで、最も、鋭く、低い声で、ミオが、俺たちの足を止めた。彼女の銀色の髪が、逆立ち、獣の耳が、ぴんと、前方の、ある一点に向けられている。尻尾は、警戒を示すように、硬直していた。
「……血と、鉄の匂い。それに、……濃い。すごく、濃い、魔物の匂いがする……」
その場の全員に、緊張が走る。セシリアと、ハンス、ゲオルグが、即座に、俺とトム、そして荷車を庇うように、陣形を組んだ。
俺たちは、ミオの先導で、音を殺し、慎重に、匂いの元へと近づいていった。
そして、開けた場所にたどり着いた俺たちは、息を呑んだ。
そこは、凄惨な、戦いの跡だった。
地面はえぐられ、数本の大木が、まるで、巨大な力で、へし折られている。そして、その中心に、昨日、俺たちが交渉した、あの盗賊団の、無残な骸が、五つ、六つ、転がっていた。
「……ひでえな」ゲオルグが、吐き捨てるように言った。「刃物でやられた傷じゃねえ。まるで、獣に、引き裂かれたみてえだ」
ハンスが、地面に残された、巨大な足跡を、険しい顔で見つめている。
「……この足跡。間違いない。オーガだ。それも、並の奴じゃねえ。とんでもねえ、デカさだ……」
その時、ミオが、蒼白な顔で、震える声で、呟いた。
「……私が、追っていた匂い。こいつだ。『森の主』が、ここにいたんだ……」
【危機管理EX】が、俺の脳内で、最大級の警報を鳴らしていた。
脅威レベル、SS。現在のパーティーでの戦闘は、全滅のリスクが、極めて高い。
「……迂回しますか、慎一様」
セシリアが、冷や汗を流しながら、俺に判断を仰ぐ。
「ああ。迂回するしかねえ。あんな化け物と、まともにやりあうのは、自殺行為だ」ハンスも、同意する。
だが、迂回すれば、最低でも、丸一日は、余計に時間がかかる。食料も、体力も、消耗する。そして、その迂回ルートが、安全であるという保証は、どこにもない。
(戦うのは、愚策。逃げるのは、次善策。だが、最適解ではない。ならば……)
俺は、意を決して、ミオに向き直った。
「ミオ」
「……なんだ?」
「君は、奴を追っていたんだな?」
「……ああ」
「ならば、分かるはずだ。奴の行動パターン、縄張り、そして、ねぐらは、どこだ?」
俺の問いに、ミオは、驚いたように、目を見開いた。
「……あんた、まさか、奴の巣を、叩く気か? 無茶だ! 死ぬぞ!」
「いや、違う」俺は、首を振った。「戦うんじゃない。『避ける』んだ」
俺は、地図を広げ、皆に、俺の考えを伝えた。
「奴にも、行動のリズムがあるはずだ。狩りに出る時間、巣に戻って、眠る時間。それを、君の追跡能力で、正確に把握してほしい。俺たちは、奴の縄張りを、奴が、最も、油断している時間に、最も、警戒が薄いルートを通って、一気に、駆け抜ける」
それは、あまりにも、大胆不敵な、作戦だった。
巨大な獣の、喉元を、眠っている間に、そっと、通り抜けるようなものだ。
だが、セシリアも、ハンスも、ゲオルグも、俺の言葉に、反論しなかった。彼らは、この数日間で、俺の【危機管理】と、その計画性の高さを、理解し始めていた。
「……面白い」
ミオが、初めて、その口元に、獰猛な笑みを浮かべた。
「ただ、逃げるんじゃない。敵の、懐に、あえて飛び込んで、出し抜く。……あんた、やっぱり、普通の人間じゃないな。いいだろう。その話、乗った。私の、一族の斥候としての、全てを賭けて、奴の動き、丸裸にしてみせる」
こうして、俺たちの、この森での、最大の試練が始まった。
それは、力と力のぶつかり合いではない。
四十路の総務部長の、危機管理能力と、銀色の獣人の、追跡能力。
二つの、異質な知性が、森の絶対的な捕食者に、挑む、静かで、しかし、熾烈な、情報戦の、始まりだった。




