日報026:古道の制圧と、獣人の少女
辺境での十三日目の朝。
冷たい夜気の名残が、森の木々の間を漂っている。俺たちは、昨夜の野営地を、元あった痕跡すら残さないように、手際よく片付けていた。これは、元傭兵であるハンスとゲオルグの、徹底した指導の賜物だ。
「さて、皆、聞いてくれ」
朝食の干し肉をかじりながら、俺は、今日の行程について、最終的な確認を行った。
「斥候の報告と、昨夜の盗賊からの情報を総合すると、彼らの本拠地である洞窟は、この先、半日ほどの距離にある。これを、どう攻略するかだ」
「慎一様」セシリアが、真剣な眼差しで俺を見る。「いかがなさいますか? 拠点ごと、叩き潰しますか? それとも、危険を避けて、大きく迂回しますか?」
彼女の問いに、ハンスとゲオルグも、戦士の顔つきで、俺の判断を待っている。
「いや、どちらでもない」俺は、きっぱりと首を振った。「叩き潰せば、我々にも無用な損耗が出る可能性がある。迂回すれば、背後を突かれるリスクが残る。どちらも、効率的ではない」
俺は、皆の顔を見渡し、告げた。
「正面から、堂々と行く。そして、彼らと『交渉』する」
「交渉、ですと!?」
セシリアが、驚きの声を上げた。
「相手は、十人を超える盗賊団です。昨夜の者たちのように、話が通じる相手とは……」
「大丈夫だ」俺は、彼女の不安を打ち消すように、自信を持って頷いた。「これも、ビジネスだ。彼らの事業は、この古道を通る、弱い旅人から、金品を奪うこと。だが、我々という『競合他社』の出現で、彼らの事業環境は、昨日、激変した。彼らのビジネスは、もはや、成り立たない。俺は、彼らに、その『事業からの撤退』を、提案しに行く」
俺の、あまりにも突飛な理論に、セシリアは、まだ納得しきれない顔をしている。だが、ハンスとゲオルグは、ニヤリと、面白いものを見るような笑みを浮かべていた。
計画通り、俺たちは、盗賊の拠点である洞窟へと、堂々と向かった。
ハンスとゲオルグの斥候により、洞窟の入り口には、見張りが二人いることを確認済みだ。俺たちは、彼らに、あえて姿を晒して、近づいていく。
「な、何だ、てめえら!?」
見張りの盗賊が、慌てて武器を構える。その声に、洞窟の中から、ぞろぞろと、十人ほどの、いかにも柄の悪い男たちが姿を現した。その中心には、ひときわ体格が良く、顔に大きな傷跡のある、リーダー格の男がいた。
「昨日の奴らが、まだ戻ってこねえと思ったら……。てめえらが、やったのか?」
リーダーの男が、地を這うような声で、俺たちを睨みつける。
「そうだ」俺は、一歩前に出た。「俺は、佐藤慎一。この辺境の地の、新たな統治責任者だ。君たちの仲間には、昨夜、丁重にお引き取り願った」
俺は、セシリア、ハンス、ゲオルグを、背後に従え、腕を組んで、彼らと対峙する。その圧倒的な態度は、盗賊たちを、明らかに動揺させていた。
「さて、単刀直入に言おう。君たちの、この古道での『事業』は、本日をもって、終了だ。俺が、この道を、安全な商業ルートとして、再開発することになった」
俺は、彼らに、二つの選択肢を提示した。
「一つは、今すぐ、ここで、我々と戦い、全滅するか。もう一つは、俺からの『退職金』を受け取り、武器を捨て、この森から、永遠に立ち去るか。どちらか、選ばせてやろう」
「ふざけたことを!」リーダーの男が、斧を構え、怒りに顔を歪ませる。「たった数人で、俺たちをどうこうできると……」
「できる」俺は、彼の言葉を、冷たく遮った。「君たちの仲間五人は、この騎士一人と、傭兵二人に、瞬きする間に、無力化された。君たち十人が相手でも、結果は同じだ。無駄な血を流すか、賢明な判断を下すか。君が、リーダーとして、決めることだ」
俺の言葉に、リーダーの男は、ぐっと、言葉に詰まる。
俺は、ここで、最後の切り札を見せた。トムに合図し、荷車から、トランが作った、見事な化粧箱を、持ってこさせる。
「ちなみに、これが、俺たちが、これから王都で始める、新しい『ビジネス』の商品だ」
俺が箱を開けると、中から、美しい小瓶に詰められた『森の雫』10年物が、朝の光を浴びて、妖しい輝きを放った。その、明らかに高価そうな見た目に、盗賊たちの目が、釘付けになる。
「この道は、まもなく、このような高価な品を運ぶ、商人たちの荷車で、溢れかえることになる。君たちのような、小規模な『事業』が、存続できる環境ではなくなる。俺が提示する『退職金』は、これだ」
俺は、麻袋に入った、一週間分の食料を、彼らの前に、放り投げた。
「これを持って、立ち去れ。これは、交渉だ。そして、俺からの、最後の情けだ」
リーダーの男は、目の前の食料と、俺たちの圧倒的な戦力、そして、俺が持つ『未来』を、天秤にかけた。その時だった。
「グオオオオオオオッ!!」
森の奥から、地を揺るがすような、巨大な咆哮が響き渡った。
「……! 『森の主』だ……!」
盗賊たちが、恐怖に顔を青くする。
俺は、動じなかった。【危機管理(EX)】が、その咆哮が、まだ、十分に遠い距離にあることを、告げていたからだ。
「……聞こえたか? あれが、君たちが、この森で、常に怯えながら暮らさなければならない、現実だ。だが、俺たちは、いずれ、あれすらも、管理下に置く。さあ、どうする?」
リーダーの男は、天を仰ぎ、そして、深く、深く、ため息をついた。
「……分かった。あんたの勝ちだ。その食料、貰っていく。仲間たちにも、そう伝える。この森は、あんたにくれてやる……」
彼は、そう言うと、斧を、地面に投げ捨てた。
こうして、四十路の総務部長は、王国騎士団ですら手を焼いていた盗賊団を、一滴の血も流すことなく、食料という「退職金」で、完全に「リストラ」してみせたのだった。
盗賊たちが去った後、俺たちは、再び、王都への道を進み始めた。
それから、さらに数時間、順調に道を進んでいた、その時だった。
「……! 待ってください、慎一様!」
先行していたハンスが、血相を変えて戻ってきた。
「この先で、戦闘音! 人間のものじゃありません! 何か……獣と、魔物が争うような……!」
俺たちは、音を忍ばせ、現場へと急いだ。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
銀色の毛並みを持つ、巨大な狼型の魔物が、五体。その群れに、たった一人で、立ち向かっている、一人の少女がいた。
彼女は、猫のような、しなやかな耳と、一本の尻尾を持っていた。獣人だ。歳は、十代半ばくらいだろうか。手にした二本の短剣で、驚異的な速さで、狼たちの攻撃を捌き、反撃している。だが、多勢に無勢。その動きには、明らかに疲労の色が見え、肩や腕には、無数の切り傷が刻まれていた。
「助けるぞ!」
俺が言うより早く、セシリアが、剣を抜いて飛び出していた。
「はあっ!」
彼女の渾身の一撃が、獣人の少女に襲いかかっていた、狼の一匹の首を、正確に刎ね飛ばす。
「応ッ!」
ハンスとゲオルグも、左右から散開し、残りの狼たちに襲いかかった。
突然の、圧倒的な戦力の介入に、狼たちは、一瞬で、陣形を崩される。そして、数分後には、全ての狼が、地に伏していた。
残された獣人の少女は、短剣を構えたまま、警戒を解かずに、俺たちを睨みつけていた。
「……あんたたちは、誰だ? なぜ、助けた?」
俺は、ゆっくりと、両手を上げて、敵意がないことを示しながら、彼女に近づいた。
「俺は、佐藤慎一。ただの旅の者だ。君が、困っているように見えたから、助けた。それだけだ」
俺は、【癒しの笑顔(C)】を、全力で発動させた。
「……怪我をしているな。これを使うといい」
俺は、懐から、『高品質回復薬』の小瓶を取り出し、彼女に差し出した。
彼女は、俺の笑顔と、薬の小瓶を、訝しげに、しかし、興味深そうに見比べていた。やがて、彼女は、警戒を解き、俺の手から、小瓶を受け取ると、その中身を、自分の傷口に、数滴、垂らした。
すると、みるみるうちに、彼女の腕にあった生々しい切り傷が、光と共に、塞がっていく。
「なっ……!?」
彼女は、自分の腕を、信じられないものを見るような目で、見つめている。
「……すごい、薬。……それに、あんた、不思議な匂いがする。……強い、群れの、ボスの匂い……」
彼女は、そう言うと、ふらり、と、その場に、倒れ込んだ。疲労と、安堵で、限界が来たのだろう。
俺は、慌てて、彼女の体を、抱きとめた。
こうして、俺たちの王都への旅に、予期せぬ、新たな仲間が、加わることになったのだった。




