日報024:王都への道、出発の朝
辺境での十二日目の朝。
東の空が、ようやく白み始めた頃。村の中心広場には、既に出発の準備を整えた俺たち五人の姿と、それを見送るために集まった、村の仲間たちの姿があった。
俺は、この旅のために用意した、動きやすく、それでいて、みすぼらしく見えない程度の、丈夫な旅装束に身を包んでいる。隣には、全身を磨き上げられた騎士の鎧に包んだセシリア。彼女の表情は、警備最高責任者としての、厳しい緊張感に満ちている。その後ろには、古いが手入れの行き届いた革鎧を身につけた、ハンスとゲオルグが、それぞれの得物(ハンスは長槍、ゲオルグは手斧と投げナイフ)の感触を確かめるように、静かに立っていた。彼らの佇まいは、まさに歴戦の傭兵そのものだ。そして、村で唯一の馬と荷車のそばでは、若いトムが、緊張した面持ちで手綱を握りしめている。
荷車には、俺たちの旅の装備と共に、村の未来そのものである、トランの作った見事な化粧箱に収められた『森の雫』と『高品質回復薬』、そして、ずっしりと重いミスリルの袋が、厳重に積み込まれていた。
「慎一様」
村人たちを代表して、エリナが一歩前に出た。彼女の瞳には、不安と、しかし、それ以上に俺たちへの信頼が浮かんでいる。
「どうか、ご無事で。私達は、この村を、皆で必ず守り抜きます。そして、慎一様方の、ご武運と、商談の成功を、心よりお祈りしております」
彼女は、村の代理として、深々と頭を下げた。
「慎一様、セシリア姉さん!」
リリィが、騎士の敬礼をしながら、声を張り上げた。
「留守中の防衛は、このリリィにお任せください! 一匹たりとも、魔物を村へは近づけさせません!」
彼女の言葉に、自警団の若者たちも、力強く頷いている。
トランが、腕を組みながら、ぶっきらぼうに言った。
「道中、せいぜい、しくじるんじゃねえぞ。」
ガルフ、ジーク、バルドも、それぞれのやり方で、俺たちにエールを送ってくれる。子供たちの中から、一人の女の子が駆け寄ってきて、俺に、森で摘んだという、小さな花のしおりを手渡してくれた。
(……ああ。これが、俺が守るべきものだ)
俺は、その小さなプレゼントを、大事に懐にしまった。
「皆、ありがとう。必ず、この村をもっと豊かにするための、吉報を持ち帰ることを約束する。俺がいない間、エリナ殿とリリィ殿の指示に従って、村を頼んだぞ!」
俺は、全員の顔を見渡し、力強く言った。
「――では、出発する!」
俺の号令と共に、トムが、慎重に荷車を動かし始める。村人たちの「いってらっしゃい!」という声援を背に受けながら、俺たちは、ゆっくりと、しかし、確かな一歩を、王都へ向けて踏み出した。
俺は、荷車の御者台でトムの隣に座り、セシリアは、馬のすぐ前で先導する。ハンスは、先行斥候として、既に俺たちの数十メートル前方の森の中へと姿を消していた。ゲオルグは、荷車の側面を、警戒しながら並走する。完璧な布陣だ。
道は、すぐに、日の光も届きにくい、薄暗い森の中へと入っていった。古道、というだけあって、道は荒れ、木の根や石が、荷車の車輪を絶えず揺らす。
(これが、俺の、人生最大の『出張』か。失敗は許されない。だが、このメンバーなら、必ずやり遂げられる)
俺は、隣で緊張しているトムに、【癒しの笑顔(C)】で話しかけ、彼の緊張をほぐしながら、周囲への警戒は怠らなかった。【危機管理(EX)】が、常に、半径百メートル以内の、あらゆるリスクの可能性を探っている。
出発から、二時間ほどが経過した頃だった。先行していたハンスが、音もなく俺たちの元へ戻ってきた。
「セシリア様、慎一様。この先、二百メートルほどの地点で、谷川にかかる古い木製の橋が、半ば崩落しています。渡るのは、困難かと」
「……橋が? それは、自然に崩れたものか?」セシリアが、鋭く問う。
「いえ。切り口が、不自然に新しい。それに、周辺には、人のものと思われる足跡が、複数あります。……罠の匂いがしますぜ」
ハンスの報告に、その場の空気が一気に緊張した。
「なるほど、盗賊か」
俺は、セシリアが持っていた地図を広げ、指でその場所を示した。
「この地形……橋を渡りきった、あの岩陰。あそこが、絶好の待ち伏せポイントだ。おそらく、俺たちが橋を渡ろうとして、立ち往生したところを、一斉に襲う手筈だろう」
俺の【危機管理(EX)】による分析に、セシリアとハンスが、驚いたように目を見合わせた。
「……お見事です、慎一様。その通りでしょう」セシリアは、すぐに気を取り直すと、警備最高責任者として、即座に指示を出し始めた。
「作戦を変更する。ゲオルグ、お前は、西側から大きく迂回し、敵の正確な人数と、配置を探れ。トム、お前は、馬と荷車を、この先の茂みに隠し、絶対に動くな。慎一様も、ここに」
「いや」俺は、彼女の言葉を遮った。「俺も行く。おとりとしてな」
「なっ……! 無茶です!」
「危険は承知の上だ。だが、俺が前線にいることで、敵は、俺が『最重要人物』だと誤認し、油断する。それに、俺には俺の戦い方がある。信じてくれ」
俺の、有無を言わさぬ口調と、その目に宿る覚悟を見て、セシリアは、一瞬ためらった後、力強く頷いた。
「……承知、いたしました。ですが、決して、ご無理はなさらないでください」
作戦は、こうだ。俺とセシリア、ハンスの三人が、何も知らずに橋に近づき、立ち往生するフリをする。敵が姿を現した瞬間、迂回したゲオルグが、背後から奇襲をかける。そして、俺たちは、正面から、これを迎撃する。
計画通り、俺たちが橋の前で、荷車が通れない、と大袈裟に騒いでいると、案の定、岩陰から、五人の薄汚い身なりの男たちが、錆びた剣を手に、姿を現した。
「ヒャッハー! 運の悪い旅人さんよぉ! その荷物と、そこの女騎士を置いて、とっとと失せな!」
リーダー格の男が、下卑た笑いを浮かべる。
その瞬間、セシリアとハンスが、動いた。
「なっ!?」
盗賊たちが驚く間もなく、セシリアの剣が、雷光のように、リーダー格の男の剣を弾き飛ばす。ハンスの長槍が、的確に、他の二人の足元を払い、体勢を崩させた。
そして、彼らの背後から、ゲオルグが、音もなく現れ、残りの二人の首筋に、投げナイフの刃を突きつけていた。
戦闘は、一瞬で終わった。
俺は、その間、ただ、リーダー格の男の前に立ち、腕を組んで、彼らを冷徹に見下ろしていただけだ。だが、そのことが、逆に、彼らに「この男が、こいつらのリーダーだ」と、強烈に印象付けたようだった。
「さて、と」俺は、震え上がっている盗賊たちに、一歩近づいた。「お前たちには、聞きたいことが、いくつかある」
四十路の総務部長の、異世界での、最初の「業務交渉」が、始まろうとしていた。




