日報023:出発への準備と、王都出張への号令
辺境での九日目の朝。
昨夜の祝宴の余韻が、村の空気の中に、まだ温かく残っていた。しかし、そこに浮かれた雰囲気はない。全員の顔には、共有された目標に向かう、引き締まった決意が浮かんでいた。
俺はまず、各チームのリーダーたち――セシリア、リリィ、エリナ、ガルフ、トラン、ジーク、そして、バルド――を、領主館の書斎に集めた。俺が不在の間、村の運営を担う彼らに、昨夜、セシリアとエリナとで練り上げた、より具体的な計画と目標を、正式に指示として伝達するためだ。
「皆、集まってくれてありがとう。昨夜、セシリア殿、エリナ殿と、今後の村の方針について、詳細な計画を立てた。今日から、この村は新たなフェーズに入る」
俺がそう切り出すと、リーダーたちの顔に緊張が走った。
「結論から言おう。三日後、俺は王都へ出発する」
その言葉に、部屋の空気が凍り付く。
「三日後……ですかい? そりゃあ、また随分と急ですな」トランが、腕を組んで唸る。
「ああ。食料の問題を、根本的に解決するためだ。そのためには、今、この村にある『資産』を、一日でも早く『資本』に変える必要がある。そこで、出発までの三日間、各チームには、王都での交渉を成功させるための、準備作業に全力を尽くしてもらいたい」
俺は、リーダーたち一人一人に、明確な目標を告げた。
「トラン殿。建設チームは、三日間で、一軒目の家屋の修復を完了させてくれ。村に、目に見える『成果』があることは、留守を預かる者たちの、何よりの心の支えになる」
「へっ、三日で一軒か。やってやろうじゃねえか」
そして、俺は懐から『高品質回復薬』の試作品が入った小瓶を取り出し、トランに見せた。
「それと、棟梁には、もう一つ、特別な仕事を頼みたい。この小瓶を入れる、最高の化粧箱を作ってほしい。王都の貴族が、一目でその価値を理解できるような、見事なやつをだ」
「……なるほどな。中身だけじゃなく、ガワも一流にしろ、ってことか。面白い。任せとけ。この村で手に入る、一番いい木材を使って、一世一代の傑作をこさえてやらあ」
トランは、その職人の目を誇らしげに輝かせた。
「ジーク殿。農業チームの目標だが。君たちが開墾を終えた第一区画に、明日から二日間で、カブと芋の種まきを完了させてほしい。我々が植えた麦の管理も忘れないでくれよ。それが終わったら、第二区画の土壌調査を開始してほしい」
「おう! 任せてくれ、慎一様!」
「ガルフ殿。鉱山チームは、三日間で、王都へ持っていくための、サンプルの『ミスリル鉱石』を採掘してほしい。品質は、最高純度のものを選び抜いてくれ」
「承知した。最高の『お宝』を、必ず見つけてみせるぜ」
「バルド殿。現地調達チームは、引き続き、日々の食料の安定供給を頼む。ただし、俺たちが留守の間は、決して森の奥深くへは行くな。村の周辺での、安全な採集を主とすること。これは、後でチーム全員に、改めて徹底させる」
バルドは、無言で、しかし力強く頷いた。
「そして、ミーラ殿の役割についてだが」俺はジークに向き直った。「彼女の植物に関する知識は、農業と調達、両方にとって不可欠だ。今日の午前中は、農業チームに専門家として参加してもらい、種まきに関する助言を頼む。それが終わり次第、午後は、バルドの調達チームに合流させてくれ」
「分かった! ミーラにもそう伝えておくぜ!」
「エリナ殿。君には、俺が不在の間の、村の統括代理を任せる。この三日間で、各チームが必要とする資材のリストアップと、俺たちの旅に必要な物資の準備を、完璧に整えてほしい」
「はい! 謹んでお引き受けいたします!」
「セシリア殿。君は、王都への出張における、警備最高責任者だ。この三日間で、護衛チーム(ハンス、ゲオルグ、トム)との連携訓練、そして、最も安全で、最短の移動ルートの最終選定を頼む」
「はっ! お任せください!」
「そして、リリィ殿。君には、留守中の村の、全防衛指揮を任せる。セシリア殿と連携し、村の防衛計画を完全に把握すること。そして、自警団の訓練を本格的に開始し、村の警戒態勢を一日たりとも怠らないようにしてほしい。君が、この村の『盾』だ」
「はいっ! このリリィ、命に代えても、村を、皆さんを、お守りします!」
リーダーたちとの綿密な打ち合わせを終えた後、俺は、彼らと共に、村人全員が待つ広場へと向かった。
「皆に、村の未来に関わる、重要な決定を伝える!」
俺がそう言うと、ざわめいていた広場が、水を打ったように静かになった。俺は、王都への出張計画と、その目的、そして留守中の指揮系統について、自分の言葉で、全村人に伝えた。
俺の口から語られる、村の未来を賭けた壮大なビジネスプランに、村人たちは、固唾を飲んで聞き入っていた。
「……以上が、我々の計画だ! 俺がいない間、この村を率いるのは、エリナ殿とリリィ殿だ! 全員、両名の指示に、俺の指示と同じように従ってもらう!」
俺の言葉に、村人たちは、驚き、しかし、すぐに納得の声を上げた。この数日間の働きで、二人は、すでに村人たちの信頼を勝ち得ていたのだ。
その日から三日間、村は、王都への出発という、大きな目標に向かって、全ての歯車が噛み合うように、精密に動き始めた。
俺は、そのほとんどの時間を作業小屋に籠り、王都へ持ち込む商品の生産に没頭した。『森の雫』10年熟成物を、商人や貴族に売るためのサンプルとして、複数本生産し、『高品質回復薬』も、薬師ギルドなどへのアピール用に、複数本用意した。
そして、切り札として、MPを大きく消費し、一際美しい化粧箱に収めるための『森の雫』50年熟成物を、ただ一本だけ精製した。俺のMPが、みるみるうちに吸い上げられていく。全身の力が抜けていくような、強烈な疲労感。だが、それと引き換えに、『熟成の小箱』は、もはや直視できないほどの、太陽のような眩い光を放ち、その中には、深く、どこまでも透き通った、ルビーのような真紅の液体が満たされていた。
俺が作業をしているその間にも、村は目覚ましい発展を遂げていた。
建設現場では、トラン殿が率いるチームが、驚異的なペースで家屋の修復を進め、十一日目の夕方には、一軒目の家屋が、ほぼ完成していた。
エリナは、完全に村の『内務の責任者』として、その手腕を発揮していた。彼女は、各チームの進捗を把握し、必要な物資を的確に配分し、村人たちの間の小さなトラブルを、持ち前の優しさと、元村長の娘としての威厳で、見事に仲裁していた。誰もが、彼女を「エリナ様」と呼び、心からの信頼を寄せるようになっていた。
農業チームは、ジークとミーラのコンビが功を奏し、開墾したばかりの畑に、整然とカブと芋の種を植え終えていた。鉱山チームも、ガルフの指揮の下、安全な坑道を確保し、ずっしりと重い、最初のミスリル鉱石のサンプルを、俺の元へ届けてくれた。バルドの調達チームも、毎日、安定して食料を供給し続け、村の食卓は、日に日に豊かになっていった。
そして、セシリアとリリィは、調達チームの護衛任務の合間に、ハンスとゲオルグ、そして、自警団に志願した数名の村人に、厳しい、しかし的確な戦闘訓練を施し、村の防衛力は、着実に向上していた。
そして、十一日目の夜。出発の前夜。
俺は、王都へ向かう出張メンバーと、村に残る各チームのリーダーたちを、再び書斎に集めた。
テーブルの上には、この三日間で準備した、全ての「商品」が並んでいた。まず、トランが、誇らしげな顔で、完成したばかりの化粧箱を差し出した。見事な彫刻が施された、芸術品のような出来栄えだった。
俺は、その箱に、完成した『森の雫』と『回復薬』の小瓶を、一つ一つ、丁寧に収めていく。最後に、ガルフが採掘した、ずっしりと重いミスリルの原石が入った布袋を置いた。
これらが、俺たちの、村の、未来そのものだった。
「皆、聞いてくれ。これが、我々が王都で売る、村の未来だ」
俺は、最終的な行程と、各商品の交渉方針について、最後のブリーフィングを行った。
「移動手段だが」セシリアが口を開いた。「先日、皆が乗ってきた荷車と馬を使います。これがあれば、我々の体力を消耗させることなく、物資を安全に運搬できます」
(そうだ、ガルフが村の皆を連れてきた時、確かに荷車があったな。幸運(S+)か、あるいは、これも必然だったのか……)
全ての確認を終え、俺は、留守を預かる中心となる二人の女性リーダーに、改めて向き直った。
「……準備は、整った。俺がいない間、この村を頼んだぞ、エリナ殿、リリィ殿」
「はい!」「お任せください!」
二人が、力強く応える。
俺は、窓の外に広がる、静かな闇に包まれた村を見つめた。三日前までは、ただの廃墟だった場所に、今は、修復された家から、温かい光が漏れている。それは、この三日間で、俺たちが、村人全員で、灯した希望の光だった。
(この光を、絶やすわけにはいかない)
俺は、自らの決意を、新たにした。
明日、夜が明けたら、出発だ。
この村の、そして、ここにいる全ての仲間の未来を賭けた、四十路の総務部長の、人生最大の「出張」が、始まろうとしていた。




