日報021:祝杯と、次なる目標
領主館の書斎では、俺とエリナが、テーブルに置かれた一つの小瓶を、信じられないものを見るような目で見つめていた。古びた『熟成の小箱』が生み出した、奇跡の液体。それは、深く、艶やかな、赤みがかった琥珀色に輝き、凝縮された芳醇な香りが、部屋中に満ち満ちていた。
「すごい……。こんな綺麗な色の、お酒……」
エリナが、うっとりとため息を漏らす。
(計10MPで……10年熟成、か……)
俺は、歓喜に打ち震えながら、小箱を固く握りしめた。これだ。これさえあれば、時間そのものを支配できる。王都の、どんな気難しい貴族の舌も、唸らせることができる。俺は、この村の未来を切り開く、最強の切り札を手に入れたのだ。
俺が、その達成感に浸っていた、その時だった。
書斎の扉が、立て続けにノックされた。入ってきたのは、各チームからの報告者たちだ。
「慎一様! ご報告いたします!」
最初に飛び込んできたのは、鉱山チームのガルフだった。
「鉱山の入り口の補強、完了いたしました! これで、いつ落盤するかも分からねえような危険はなくなったはずです! 明日から、いよいよ本格的な採掘準備に取り掛かれます!」
「おお、ご苦労だった、ガルフ殿! 素晴らしい仕事ぶりだ!」
ガルフの報告に続き、今度は建設現場から、トランのチームの一人が報告に来た。
「慎一様! 棟梁からです! 初日でここまで進めば、三軒を修復するのに一週間の期限どころか、五日もあれば目途が立つ、とのことです!」
さらに、農業チームからも、リーダーとなったジークが、泥だらけの顔で、しかし満面の笑みで報告に来た。
「慎一様! やりましたぜ! 第一区画の開墾、目標通り、完了です! 明日から、ミーラの言う通り、カブの種をまきます!」
建設、鉱業、農業。村の未来を支える三つの柱が、初日から、俺の想定を遥かに上回る成果を上げていた。エリナも、その報告を羊皮紙に記録しながら、嬉しそうに微笑んでいる。
そして、夕暮れが迫り、誰もが今日の作業の終わりを意識し始めた、その時だった。
村の入り口で見張りをしていた自警団員の一人が、大きな声で叫んだ。
「調達チームが帰還したぞーっ!」
その声に、村中の作業がピタリと止まる。全員が、固唾を飲んで森の入り口を見つめた。
やがて、森の茂みから、セシリアとリリィを先頭に、調達チームが姿を現した。彼らは皆、疲労困憊の様子だが、その顔には、誇りと達成感が満ち溢れていた。そして、彼らの後ろから、ハンスとゲオルグが担いでくるものを見て、村人たちから、どよめきと、信じられないといった声が上がった。
それは、大人の背丈ほどもある、巨大な角を持つ鹿のような獣だった。
「ギンターの爺さんの罠が、見事に大物を捉えたんだ!」
リーダーであるバルドが、少し照れながら、しかし、その声には確かな自信を宿して報告する。彼の隣では、ギンターが満足げに髭を扱き、ミーラの籠からは、見たこともないようなキノコや木の実が溢れんばかりになっていた。
「「「うおおおおおおおっ!!」」」
次の瞬間、村全体が、今日一番の、地鳴りのような大歓声に包まれた。
今日の、そして、明日以降数日間の食料。何よりも確かな「成果」が、彼らの目の前にあった。
俺は、その熱狂の中心に立ち、声を張り上げた。
「皆、聞いたか! これが、我々の力だ! 今夜は祝杯だ! エリナ殿、一番良い肉と、採れたてのキノコを使って、盛大な宴の準備を! 今日は、全員、腹一杯食って、飲んで、英気を養うんだ!」
その夜、領主館の前の広場には、巨大な焚き火が焚かれ、村の歴史上、最も盛大な宴が催された。焼ける肉の香ばしい匂い、子供たちのはしゃぎ声、そして、大人たちの、未来を語り合う陽気な笑い声が、夜の闇に溶けていく。
宴もたけなわとなった頃、俺は、皆の注意を引いた。
「皆、聞いてくれ! 今日の、もう一つの成果を、皆に披露したい!」
俺は、エリナに手伝ってもらい、昼間に完成させたばかりの、琥珀色に輝く液体を、小さな杯に少しずつ注いで、大人たちに配ってもらった。
「なんだ、このいい匂いは……」
「なんて綺麗な色なんだ……」
村人たちが、ざわめいている。
「これは、この村の森の恵みと、我々の技術が生み出した、新しい酒だ。まだ名前はない。皆で、最初の味見をしようじゃないか」
俺の合図で、村人たちがおそるおそる杯を口に運ぶ。
次の瞬間、広場は、驚愕の声で満たされた。
「な、なんだこりゃあ!?」
「うめえ! こんな酒、飲んだことねえ!」
「口当たりは、絹みてえに滑らかなのに、腹の底から燃えるように熱くなる……!」
トランもガルフも、目を丸くして、自分の杯の中の液体を、信じられないもののように見つめている。
俺は、その反応に、満足げに頷いた。
「この酒に、名を付けよう。この森の恵みへの感謝を込めて、『森の雫』だ!」
「「「森の雫! オオオーッ!!」」」
新たな特産品の誕生に、村人たちは、再び歓喜の声を上げた。俺は、その光景に、王都での成功を確信した。
宴が終わり、人々が満足げな顔で眠りについた後、俺は、セシリアとエリナを、再び書斎に呼んだ。
俺は、テーブルの上に、『高品質回復薬』の小瓶と、『森の雫』の小瓶を置いた。
「皆の笑顔、見たか? あれが、俺たちが守り、育てていくものだ。そして、そのためには、この村を、誰にも脅かされることのない、盤石な場所にしなければならない」
俺は、二人に向き直り、決意を告げた。
「近いうちに、俺は王都へ向かう。この『高品質回復薬』と、十年物の『森の雫』、そして、明日から採掘を始める『ミスリル鉱石』の最初のひとかけら。これらを、我々が生きていくための、揺るぎない『資本』に変えるために」
俺の言葉に、二人は息を呑んだ。沈黙を破ったのは、セシリアだった。
「王都へ……。承知いたしました。ですが、慎一様、それは大きな危険を伴います。道中の安全確保はもちろん、これらの品々の価値を考えれば、道中、盗賊などに狙われる可能性も否定できません。護衛の人選と、移動ルートの選定は、慎重に行う必要があります」
彼女は、常に冷静にリスクを分析する。実に頼もしい。
次に、エリナが、心配そうな、しかし真剣な眼差しで口を開いた。
「慎一様がご不在の間、村の運営が大丈夫なのか……正直、不安はあります。ですが、それ以上に、慎一様ご自身の身が心配です。もし、慎一様が王都で何か問題に巻き込まれた場合、私たちが取るべき行動についても、予め、取り決めておくべきかと存じます」
彼女は、村の運営だけでなく、俺個人のリスク管理まで考えてくれている。
二人の的確な意見に、俺は深く頷いた。
「ありがとう、二人とも。君たちの言う通りだ。君たちの懸念こそ、俺が【危機管理】スキルで導き出すべき、最優先事項だ」
俺はエリナに向き直った。
「エリナ殿。君が、俺がいない間の村のことを、そこまで考えてくれているからこそ、俺は安心して村を留守にできる。君のその責任感と先見の明を信じて、俺がいない間の村の統括は、君に全権を委任したいと思う。信じているよ」
俺の言葉に、エリナは、その瞳に、村の全てを背負う覚悟の光を宿して、力強く頷いた。
「はい……! 慎一様のご信頼に、必ずやお応えしてみせます!」
そして俺は、次にセシリアへと視線を移した。
「そして、セシリア殿。村の『守り』をエリナ殿に託す以上、俺の『攻め』、すなわち、王都への道中の安全確保は、君に一任したい。君が指摘してくれた、護衛の人選、ルートの選定、不測の事態への備え。その計画の立案と実行の全責任を、君に任せる。この『王都出張プロジェクト』の、警備最高責任者だ」
俺の言葉に、セシリアは、これまで見せたことのないほど、真剣で、そして誇りに満ちた表情で、騎士の礼を取った。
「はっ! 謹んで拝命いたします。慎一様の身と、この村の未来を乗せた財産、このセシリアが、命に代えてもお守りいたします」
俺たちの前には、まだ無数の課題が山積している。だが、俺には、内政の要であるエリナと、防衛の要であるセシリアがいる。これほど頼もしいことはない。
村の存続を賭けた、次なる大きなビジネスの幕開けが、刻一刻と迫っていた。




