日報019:最初の成果と、新たな課題
村全体が、まるで一つの生命体のように、それぞれの役割を果たすべく動き出していた。建設現場からは規則正しい槌音が、農地からは土を耕す力強い声が、そして森の方向からは時折、木を伐り出す音が聞こえてくる。その活気に満ちた光景を、俺は領主館のテラスから、満足げに眺めていた。
(素晴らしい……。これこそが、組織が機能している状態だ)
それぞれのチームが、それぞれのリーダーの下で、自律的に、そして高いモチベーションを持って仕事に取り組んでいる。俺がやるべきは、彼らの働きを信じ、そして、俺自身にしかできない仕事で、彼らの努力に応えることだ。全員が、それぞれの持ち場で、今日の目標を達成するために全力を尽くしている。ならば、俺もまた、この村の未来を切り開くための「成果」を出さねばならない。
俺は、全員の出発を見届けた後、作業小屋へと向かった。そこは、この村の技術開発の拠点。俺の、もう一つの戦場だ。目的は二つ。一つは、実用的な回復薬の完成。もう一つは、資金源の要となる高級蒸留酒の品質向上だ。
まずは回復薬からだ。セシリアが護衛任務に出る前に、彼女の騎士団の知識を基に準備してくれた数種類の薬草を手に取る。俺は、その中から特に治癒効果が高いとされるものを、マニュアルと、これまでの実験データに基づいた絶妙な割合で配合していく。これは、異世界の薬草学と、俺が持つ現代日本の化学的な思考、そして【異世界適応(固有)】スキルがもたらす直感が融合した、全く新しい試みだった。
釜に火を入れ、慎重に温度を管理する。沸騰させすぎず、かといって、ぬるすぎても成分が完全には抽出されない。蒸留を繰り返し、不純物を極限まで取り除いていく。一滴、また一滴と、冷却管から滴り落ちる液体は、どこまでも澄み切った無色透明だった。だが、小瓶に集めて鼻を近づけると、凝縮された生命力そのもののような、清涼で力強い香りがした。
【異世界適応(固有)】スキルが、その液体が持つ効能を、俺に直感的に理解させた。
(……できた。これなら、いける! 深い切り傷程度なら、数分で完全に塞がるだろう。骨折の治癒も早めるはずだ。ただ、失われた手足を生やすような、神業レベルの再生能力はない。あくまで『高品質な回復薬』の域か。だが、これだけでも、戦場や、危険な作業現場では、絶大な効果を発揮するはずだ)
俺は、完成したばかりの『高品質回復薬』を、大事に小瓶に詰め、棚に並べた。これで、村の安全性を、また一つ引き上げることができた。一つの成果に、俺は静かに頷いた。
次に、この村の経済の柱となるべき、蒸留酒に取り掛かる。原料となるのは、この森で採れた、強い生命力を持つ果実だ。回復薬と同様、精密な温度管理と、複数回の蒸留を経て、どこまでもクリアな液体が抽出されていく。豊かな果実の香りが、作業小屋に満ち満ちていた。
(異世界の果実が持つ、魔力や生命力が非常に強いためか、これだけ蒸留しても、その芳醇な香りの核が失われない。これは、大きな強みだ)
完成した液体を、テイスティング用の小さな杯に注ぐ。口に含むと、ガツンと喉を焼くような高いアルコール度数と、その奥から広がる、爆発的な果実の香りが鼻腔を抜けた。
「……なるほど。無色透明で、クセがなく、度数が高い。これは、元の世界で言えば、ウォッカやジンのようなスピリッツだ」
俺は、その品質の高さに満足しながらも、同時に、ある重大な課題に直面していることに気づいていた。
(確かに、品質は高い。だが、このままでは、酒に慣れないこの世界の人々、特に、洗練された味を求める王都の貴族には『強いだけの荒々しい酒』としか思われないだろう。これでは、彼らから大金を巻き上げるための『最高級品』としては、何かが足りない……)
では、何が足りないのか。
答えは、分かっていた。
(……『熟成』だ)
ウイスキーやブランデーがそうであるように、蒸留酒の本当の美味さと価値は、長い年月をかけて、樽の中でゆっくりと育まれる、複雑で、まろやかな風味にある。荒々しいアルコールの角が取れ、木の香りと混じり合い、絹のように滑らかな口当たりに変わる。それこそが、人々が対価を惜しまない、至高の酒だ。
「だが……」
俺は、頭を抱えた。
「そのためには、オークなどの木材で作られた『樽』に詰め、最低でも3年は寝かせる『時間』が必要だ。だが、今のこの村には、良質な樽を作る技術もなければ、何年も待っていられる時間もない……!」
王都への出張計画は、一刻も早く実行に移さなければならない。村の食料が尽きる前に、まとまった資金を確保する必要があるのだ。
(カクテルにして提供すれば、新たな文化として広まる可能性はある。だが、それは時間がかかる。今、必要なのは、一目で価値が分かる、圧倒的なインパクトを持つ『商品』だ……)
万策尽きたか。俺が、作業小屋の中を、もどかしく歩き回っていた、その時だった。
「……いや、待てよ」
ふと、俺の足が止まる。
「何を、元の世界の常識で考えているんだ。ここは、魔法があり、魔物がいて、俺のスキルが通用する、異世界じゃないか」
そうだ。常識が通用しないなら、常識外れの解決策があるかもしれない。
俺の脳裏に、あの埃まみれの倉庫から見つけ出した、古びた羊皮紙の束が浮かんだ。
『蒸留器の取扱説明書』
あの時、俺は蒸留器を動かすために、必要な部分だけを読み解いた。だが、もしかしたら、あの古文書には、俺が見落とした、この世界の常識を超えた「何か」が、まだ記されているのではないか?
「……それだ!」
俺は、藁にもすがる思いで、作業小屋を飛び出した。目指すは、領主館の書斎。あの古びたマニュアルを、もう一度、今度は一字一句、隅から隅まで、徹底的に読み解いてやる。
総務部長の、徹底した資料の読み込みと、リスク管理。その本領を発揮する時が来た。
俺の心に、新たな希望の光が、力強く差し込んできたのだった。




