日報014:使者の出発と三事業の並行稼働
辺境での七日目の朝は、ひときわ澄んだ空気と共に訪れた。昨日の午後に急遽決定した計画通り、今日はいよいよ、この村の未来を左右する重要な一日となる。俺たちの手で築き始めたこの小さな共同体が、真の「村」へと飛躍できるかの分水嶺だ。
夜明けと共に、俺は全員を領主館の前に集めた。その中心には、これから単独で大役を担うガルフが、昨日までの粗末な身なりとは違う、引き締まった覚悟の表情で立っている。
「ガルフ殿。昨夜も話したが、改めて頼む。君の村の仲間たち、そして何より、この村の家屋を再生させる腕利きの棟梁を、この村へ導いてほしい」
「はっ、お任せください!」ガルフの声は、緊張で少し上ずっているが、その瞳には強い意志が宿っている。
「だが、ただ『来てくれ』と口で言うだけでは、今の生活を捨ててまで、この荒れ地に来る決断はできんだろう。人は、言葉よりも『確かな証拠』を信じるものだ。これを持っていってくれ。」
俺はセシリアに目配せし、彼女が運んできた小さな木箱をガルフに手渡した。それは、この辺境の森で手に入る硬い木材を、俺が【雑務処理(A)】スキルで簡易的に加工して作ったものだ。彼が恐る恐る蓋を開けると、中には緩衝材として詰めた乾いた苔に守られるように、透明なガラスの小瓶が鎮座していた。昨日蒸留器で試作した、最も香りの良い高純度の果実酒だ。朝日を浴びて、琥珀色の液体がきらりと輝き、蓋を開けただけで、甘く芳醇な香りがふわりと辺りに漂った。
「こ、こいつは……!?」
「この村の『未来』の、ほんの欠片だ」俺はガルフの目を真っ直ぐに見据えて言った。「この酒が、いずれこの村に莫大な富をもたらすことになる。そして、ここに来れば、安定した仕事と、安全な住居、そして飢えることのない食事が手に入る。君自身が、その何よりの証人だ。君の言葉で、皆を説得してきてほしい」
(ただの酒ではない。これは俺たちの技術力と、将来性を示す『デモンストレーション・サンプル』だ。交渉術(S)が告げている。飢えと絶望の中にいる人々には、漠然とした希望よりも、具体的で、理解しやすい『価値の証明』が何よりも響く)
ガルフは小瓶を、まるで宝物のように両手で包み込むと、決意に満ちた目で深々と頭を下げた。
「はい、慎一様! この命に代えても、必ずや皆を説得し、棟梁を連れて戻ります!」
バルドとジークが、無言で、しかし力強くガルフの肩を叩く。彼は一人、希望の小瓶を懐に、森の奥へと消えていった。その背中が見えなくなるまで、俺たちは静かに見送った。
「さて、と。我々も、ただ待っているだけではない。ガルフ殿が仲間を連れて戻ってきた時に、さらに発展した村を見せて、彼らの決断が正しかったと証明してやろうじゃないか!」
俺の言葉に、残ったメンバーの士気が上がる。今日は、昨日中断した三つの事業を、同時並行で進める。総務部長として、リソースの遊休など許されない。
「リリィ殿、バルド殿、ジーク殿! 農場チームは、開墾作業を再開! 目標は、第一区画の初期開墾を今日中に完了させることだ!」
「はいっ! 昨日休んだ分、倍働きます!」リリィが元気よく応え、二人の男たちと共に再び広大な農地へと向かっていく。彼らの力強い鍬の音が、村の新たな心音のように響き渡る。
「そして、セシリア殿。我々は蒸留器の本格稼働と、新製品開発だ。昨日採取した薬草の成分抽出を試すぞ」
「承知いたしました。いくつかの組み合わせを試せるよう、準備してあります」
俺とセシリアは、作業小屋へと向かった。蒸留器に火を入れ、昨日までのデータに基づき、さらに効率的なアルコール精製方法を試す。同時に、別の釜では、セシリアが騎士団の知識を基に選別した薬草を煮沸し、その蒸気を冷却していく。ポタリ、ポタリと、緑がかった透明な液体が滴り落ちてきた。鼻を近づけると、清涼感のある、体に良さそうな香りがする。
「これは、鎮痛と殺菌効果のある薬草ですね。ですが……この、色と香り……! ここまで不純物なく、純粋に成分だけを抽出した液体など、王都の薬師でも作り出せません。王宮で見た最高級の傷薬ですら、もっと薬草の搾りかすが混じっていました……。慎一様、この技術があれば、本当に……病気の治療薬そのものを生み出す基盤になるかもしれません……」とセシリアが冷静に分析する。
「素晴らしい。そうなれば、販路は貴族向けの嗜好品だけではなく、薬師ギルドや神殿にまで広がる。まさにブルーオーシャンだ」
俺の頭の中で、予算管理(S)が凄まじい勢いでそろばんを弾いていた。
(よし、いいぞ。農業による『食料自給体制の確立』。蒸留器による『高付加価値商品の開発と販売』。そして、ミスリル鉱による『莫大な初期投資資金の確保』。この三つの柱が、互いを支え合い、この村を盤石なものにする。まさに経営の多角化。リスク分散とシナジー効果の創出だ)
午後は、農場チームの中からバルドとジークに一時的に抜けてもらい、昨日俺が選定した木材を、ミスリル鉱脈の入り口まで運んでもらった。ガルフが戻り次第、すぐにでも安全な坑道の補強作業に取り掛かれるようにするためだ。これも、危機管理(EX)に基づいた事前のリスク対策の一環である。
夕暮れが迫り、それぞれの作業を終えた俺たちが領主館の広間に集まり始めた、その時だった。
森の入り口を見張っていたリリィが、今までにないほど息を切らして駆け込んできた。
「慎一様! 大変です! ガルフさんが……ガルフさんが、たくさんの人を連れて戻ってきました!」
その報告に、俺たちは一斉に領主館の外へと飛び出した。
村の入り口には、誇らしげな顔で胸を張るガルフが立っていた。そして彼の後ろには、二十人近くの人々が、不安と期待が入り混じった表情でこちらを見ていた。男たち、女たち、そして親の服の裾を固く握りしめる、小さな子供たちの姿もある。皆、長旅の疲れと貧しさで、その身なりはみすぼらしく、表情は硬いが、その目の奥には、ガルフから聞かされたであろう「希望」の色が確かに宿っていた。
その集団の先頭に、ひときわ屈強な体つきをした初老の男が立っている。背には年季の入った工具袋。その鋭い目は、俺と、俺たちの背後にある、崩れかけた廃屋群を、まるで値踏みするように見据えている。彼が、ガルフが語っていた村一番の腕を持つ棟梁に違いない。
そして、その棟梁の隣で、不安げな子供の頭を優しく撫でている、一人の若い女性がいた。年は十八か十九ほど。質素な村娘の服を着ているが、その澄んだ瞳には、困難な状況でも他者を気遣う優しさと、決して折れないであろう、凛とした芯の強さが感じられた。
俺の人材配置(A)スキルが、彼女が非凡な「管理能力」と「献身性」を秘めていることを、即座に見抜き、脳内で警告音のようにアラートを鳴らしていた。彼女は、将来この村の運営に不可欠な人材になる。
棟梁が、俺に向かって一歩踏み出し、埃っぽい地面に唾を吐いてから、重々しく口を開いた。
「……あんたが、この村の責任者の佐藤慎一とやらか。話はガルフから聞いた。この酒も、確かにとんでもねえ代物だ。舌が焼けるかと思ったわ。だがな、目の前のこいつは想像以上にひでえ有り様だ。本当に、俺たち一家の、いや、ここにいる全員の暮らしを、あんたが保証してくれるってのか?」
移住者全員の視線が、突き刺さるように俺に集中する。彼らの人生そのものを賭けた、重い、重い問いだった。
俺は、集まった全員の顔をゆっくりと見渡し、そして、総務部長として幾多の修羅場を乗り越えてきた、自信と信頼に満ちた「癒しの笑顔(C)」で応えた。
「ええ、もちろん。ようこそ、皆さん。この村の新たな住民となる皆さんを、心から歓迎します。──まずは、皆さんの新しい家と、この村の復興計画について、ご説明しましょう」
四十路のおっさんによる、異世界スローライフハーレム計画。
辺境の村に、新たな血が流れ込み、真の「村づくり」という名の、壮大なプロジェクトが、今、まさに始まろうとしていた。




