9今はただ、あなたといたかった
「いただきます。」
夕食の時間になり、独りでご飯をたいらげる。最近外に出る回数が少なくなってきている。しかし、吐く回数は増えている。
『本日のスペシャルゲストは!』
テレビから聞こえる高らかな声はテレビ越しの私を圧倒した。
元気な人たちを見ると、少し憎らしくなる。なんで私だけ?と。
「はぁ。」
ご飯を十分に残したまま、車椅子に乗って外に出た。
近くにいた看護師に声をかける。
「食器、お願いしてもいいですか?」
「分かった。」
看護師はその場での作業をやめ、スタスタと私の病室に走っていった。
私は車椅子を押しながらエレベーターに手を伸ばした。
ピンポーン
『ドアが開きます。ご注意ください。』
私は俯いたまま手首に力を入れた。
「よいしょ。」
「あれ?空音ちゃん?」
私の名前を呼ぶ声がした。声のする方に目を向けた。
「あ、小林先生。」
「久しぶりだね〜。どしたの?」
エレベーター内は、私と小林先生だけとなった。
「ちょっと、お散歩を。」
「へぇ〜。偉いなー。よし!先生が車椅子を押してあげよう!」
「大丈夫ですよ。自分で押せますから。」
「いやいや。押すの大変でしょ?」
「ま、まぁまぁ?」
「何だそれ!」
ピンポーン
私は目的の階に着いた。
「よいしょ。どこ行くの?」
「本当にいいんですか?それじゃ、大きな窓があるところまでお願いします。」
「大きな窓?あぁ!あそこね!」
小林先生はゆっくりと車椅子を押しながら目的地まで向かった。道中、私は何を話せばいいか分からなかった。でも、車椅子を押してもらうことはとてもありがたいことだ。
「ここで正解?」
見たことのある場所にたどり着いた。
「正解です。」
「ふぅ〜!暑いねー。」
先生はハンカチで汗を拭きながら隣に腰かけた。
流石に無言を貫くのは失礼かと思い、私は小林先生に話をふっかけた。
「あの、朝倉先生って何かご病気でもあるんでしょうか?」
私が一番気になっていることを聞いてみた。
小林先生は少し驚いた様子で喋り始めた。
「何でそう思う?」
「え、えっと、お二人が話しているのをサラッと聞いてしまったというか、なんというか‥‥」
「なるほどね〜。その通りだよ。言っていいのか分かんないけどさ、アイツ、“喉頭がん“っていう病気なんだ。」
「こうとうがん?」
「ここに菌が出来ちゃったの。」
小林は私の喉を指さして言った。その鋭い眼差しは、見たくなくても見えてしまった。
「今年の冬には手術をする予定でね。」
「手術?どんな‥‥ですか?」
「声帯を取り除く。」
「え?」
私は、思わず声を出して驚いた。
「それって‥‥」
「声が出なくなる。まぁそんなとこかな。」
私は、返す言葉がなかった。
「そんな落ち込まないで!もう、結構前から分かってたことだしね。」
なんで、そんなに冷静でいられるの?私はこんなにも驚いているのに。
「涼の前ではそんな顔すんなよー!あいつ、繊細ちゃんだからさ。」
「本当に、辛い。」
私は、心の声が漏れてしまった。
「え?」
「何で先生が病気にかからなきゃいけないの?先生は人を救う人なのに。なんで、医者が病気にかからなきゃいけないの。」
私は少し鼻を啜って泣いた。
「‥‥空音ちゃんらしいね。医者だろうが病気は平等なんだ。」
私は何も返す言葉がなかった。ただひたすらに泣いているだけだった。
「もう病室戻る?」
小林先生は車椅子を押してくれた。力強くて安定した押し方で安心する。
「はい。もうすぐ就寝時間なので。」
「もうこんな時間か〜。これから仕事だよー!」
「それは、お疲れ様です。頑張ってください。」
「うん。空音ちゃんも、お疲れ様。」
小林先生はそう言って部屋まで送ってくれた。私はお礼をして扉を閉めた。
「はぁ。」
小林先生と認識はあったものの、二人きりでこんなに会話をしたのは初めてのことであった。
コンコンコン
「はーい。」
「今、一人?」
「先生。一人です。」
「よかった。」
先生は安心した様子で近くのパイプ椅子に腰かけた。
「何ですか?」
先生は口元を緩めて笑っていた。
「いや?別に。」
先生は優しい顔を浮かべながらこちらを見つめていた。
「何ですかこの時間。」
「俺得の時間。」
私は咄嗟に髪の毛で顔を隠した。
「何やってんだよ。」
先生は笑いながら腕組みをした。
「先生ってすぐに笑いますよね。」
「いいことやん。」
私は先生に釣られて笑った。先生も同時に笑った。特に面白いことがあったわけでもないのに、特に面白い話をしたわけでもないのに、二人でいるだけで笑顔で満ちてしまう。
「そろそろ就寝の時間か。戻るね。」
「‥‥はい。」
先生が戻ってしまう時の喪失感はきっと私にしか分からない。そんな時、私の身体は都合のいいように起き上がることができる。
「先生、待って。」
先生は私の方を見て慌てた様子で腕を掴んだ。
「危ない。むやみに立ち上がったらダメでしょ。」
私は先生の言うことなんて無視した。
そっと先生の腰に手を回した。
今はただ、先生と一緒にいたかった。
「空音?」
「‥‥ずっと抱きついてるって言ったら、嫌ですか?」
先生は黙ったまま私を強く抱きしめ返した。
「全然。」
先生の力は段々と強さを増していく。
この瞬間だけでも、お互いの恐怖なんて忘れられた。
「空音。俺、今日の夜いないから何かあったら看護師さんに言ってね。」
「分かりました。」
空音は少し寂しげな表情をした。俺は空音の頭を撫でて部屋を出た。
早歩きで悠二のいる耳鼻咽喉科へと向かった。
ピンポーン
そのままの足で一階に降りて、診察室へと急いだ。
ガチャ!
「ごめん、遅れた。」
「おーい!ちょっと遅刻!」
俺は謝りながら席についた。
「次はねぇからなー。」
俺は慣れたように口を開けた。
「うん、大丈夫。こっちで手術の準備始めてるから。」
「ありがとう。」
「ま、そんな落ち込むなって!今日はパァーッと飲もうや!」
今日は悠二と久しぶりに飲みに行く日だ。俺は、今日という日が楽しみで仕方なかった。
「着替えたらラウンジ集合で!」
そう言って悠二は荷物を片付けて部屋を出た。俺もそれについていくように更衣室に向かった。
キキィ
「今日は俺が予約したところなんだー。マジで楽しみにしておけよ!」
「はいはい。」
いつもは入り浸っている居酒屋に行く予定が、今日は臨時休業してしまったらしい。そこで、悠二がレクチャーしてくれた所に行く。
「先降りて行っててくれ。小林の名義だから。」
「はーい。」
俺は車から降りて店の中に入った。そこまで大きな店舗ではないが、入った瞬間に人の気配がドッと増した。
「こんばんはー!何名様ですか?」
「予約した小林です。」
「はい!こちらのお席へどうぞ!」
俺は案内された席に座った。メニューを見ていると、お会計所から大きな声がした。
「悠二さん?!」
「あれ?葉那ちゃん?驚いたなー!」
そこには、対応してくれたお店の子と悠二が親しげに話していた。
「涼涼!空音ちゃんのお友達の葉那ちゃん!」
「俺は、初めましてだなー。」
空音の友達なんて初めて会った。
「こちらの席にお座りください!」
「どーも。葉那ちゃんはここでバイトしてるの?」
悠二は馴れ馴れしく名前を呼んだ。
「いや、ここ、私の家で。」
「そうなんだー!通りで女将さんと良さげだったから!」
葉那という女の子は耳を赤らめながら悠二と話している。これは、まさか?んなわないか。
「ハイボールと枝豆お待ちいたします!」
彼女はスタスタと歩いて厨房に行った。
「空音ちゃんとは真逆の子だねー。」
「うん。」
彼女は少しばかりの汗を流しながら悠二の元にハイボールを運んできた。