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1初めて名前を呼ばれた日

『お嬢さんは、心疾患の可能性が高いです。』



私の家は父親だけ。母親は幼い頃に事故で亡くなった。父親に母親が亡くなった時のことを聞いても、機嫌が悪くなるだけだった。私は物心ついた頃から父親と二人で暮らしていた。意外と大きな家に二人で暮らしていた。生活習慣も良ければ家庭環境もよかった私が、なぜ心臓病になる?

ネットで調べたら、心臓病の大半は生活習慣と因果しているんだって。

私は何度も同じことを調べて何度も同じページを開いた。結果出てくるものは同じだというのに。

人はいつしか、死ぬ。いつ何で死ぬかは誰にも分からない。

でも、いつ死ぬかが分かる人がごく一部いるのだ。そんな人からメッセージを贈っておく。

それは‥‥。


【現在】

私は病室でウトウトしながら目を瞑った。目を瞑れば何も見えなくなる。この瞬間が幸せだった。何も考えなくて済むしどんな派手なものにも目がいかなくなる。自分だけの世界に入れるこの瞬間が好きだ。

しかし、これも束の間。すぐに看護師が部屋に入ってくる。


コンコンコン


「白夜さん!入りますねー!」

毎朝、看護師と共に担当の医師が入ってくる。私の医師と看護師は固定である。

毎朝毎朝いつもの二人が私の病室に入ってくる。看護師はいつも大きな機材をたくさん持ってきている。医師は聴診器だけをいつも首にかけている。それ以外は何も持ってこなかった。

彼の名前は朝倉涼。毎日毎日、私の心臓に聴診器を当てる。私の心音が正常か。

「うん、今日は大丈夫だね。」

先生はこのセリフ以外何も言わない。まるで裏に脚本家がいるかのようだ。先生は常に同じセリフしか言わない。回復しているときも、悪化しているときも。前までは、そんなくだらないことに関心を抱いていた。しかし、最近になって理由が少しわかってきた。

それはね、私は、死ぬことが決まっているからだ。



これは、ただの女子高生の私が、一人の医師に恋をした物語。

人の人生を見るのってつまらないと思う。でもね、短い人生だからぜひ見ていってほしい。

彼にも、私には言えない秘密があるから‥‥。



私は中学二年生の時から胸の痛みがあった。最初は違和感があるだけだった。胸に何か詰まってる感じ。

部活中も少しの痛みだったので、いつも通り参加していた。

でも、ある晩の日から、胸の痛みで起きるようになった。生理痛で起きるみたいな感覚。

この時、病院に行っていればまた違ったのかな、とも思う。私は気にせずに無理やり眠りにつこうとした。もちろん、父親にはこのことを言っていない。しばらくすれば収まるだろうと思っていたからだ。

しかし、徐々にめまいがするようになった。登下校中、授業中、部活中。何度も何度も失神した。

『ナイスショットー!空音すごいじゃん!』

『ありがと!‥‥うっ‥あぁ‥‥!』


バタン!


『空音?空音?!空音!』

失神すると、スーッと眠ってしまうような感覚になる。最初は苦しいんだけど、意識を失ってしまえば何も感じない。苦しみも、痛みも。

いつも目が覚めると保健室にいた。大体友達が連れて行ってくれるらしい。

でも、私は保健室が嫌いだった。保健室の先生って、何であんなに気が強いの?私がベッドから起き上がるといっつも奇怪な目で見てくる。

またあなた?

そんな言葉を言いたげだったけど、一応先生だからなのかグッと堪えていた。


それから、私は父親に相談して行きつけの病院に行った。

そこでは、いくつかの簡易検査を受けた。30分ほどで終わってしまった。

先生から言われたことは一つ。それは、


『お嬢さんは、心疾患の可能性が高いです。』


言葉が出なかった。きちんと話を聞いていたつもりだった。

私は授業中真剣に話を聞くタイプだった。分からないことがあれば授業後に先生に聞きに行くほど。

傾聴力は誰よりもあると思っていた。

でも、心疾患かも、と言われた時は何も言えなかった。こういう時って何て答えるのが正解なのか。高校生の私にとって、何が正解なんて分からなかった。

その後、大きな病院でさらに詳しい検査を受けた。

一週間の検査の末、心疾患だった。

私の場合、どちらかというと遅めの発見だったらしい。もう少し早く病院に行っていれば、早期発見として治療の見込みがあったかもしれない。

先生の意味のない肯定に、私は苛立ちを覚えた。

もう、治せないらしい。キッパリと言われたよ。

映画で見るようなことが、現実で起きてしまったのだ。

先生は、父親と二人で話すと言って私を追い出した。車椅子で病院内を徘徊していると、一人のお爺ちゃんと出会った。

『こんにちわ。』

私はペコリと挨拶をすると、彼は驚いた表情でいた。

『君、どうしてここにいるんだい?まだ若そうじゃないか。』

『あぁ‥‥。』

『無理して言わんくていい。私はここの階に住んでいる山おじちゃんだ。気軽に遊びに来なさい。たまに気の強い嫁が来るが、気にしないでくれ。』

『あ、ありがとうございます。』

私は通りすがりの知らないお爺さんに病室をご招待された。彼は、一体誰なんだろうか。自分のことを山おじちゃんだなんて。自分のことをそう言うのか。

私は再び、慣れない体で車椅子を押した。



『白夜空音さんは、二十歳になるまでに亡くなる可能性が高いです。』



後から聞いた話によると、先生からそう言われたんだって。私は、長生きできる体じゃない。

父親は崩れ落ちた。私の父親は現役で看護師をしている。常日頃から病人と隣り合わせの生活をしている。だからせめて、家族といる時は病人のことを忘れるようにしている。なのに、身内にも病人が出てしまった。

私は、世界でいちばんの親不孝者だ。

でもね、私のことを責めることはなかった。私の前ではいつも笑顔だった。

余命のことを言われた時も、泣かずにきちんと要約して教えてくれた。泣きたいのは、そっちなはずなのに。

私は宮古島内で一番大きな病院に入院することになった。


【現在】

「空音ー!アイス買ってきたぞー!」

先生と入れ違いでお父さんが入ってきた。

「あ、先生いつもありがとうございます。」

先生は少しお辞儀をした後部屋を出た。先生も軽くお辞儀をした。


ガチャン


「お父さん!アイス溶けてる!」

父親は驚いた表情で中身を確認した。

「えー!ごめん!買い直してくる!」

「いーよ。冷凍庫に入れとくから。」

父親は何度も謝りながら冷凍庫にアイスを収納した。

父親が買ってきたのは私の大好きなスイカバー。果実が甘くて甘くて美味しい。私の一番の大好物だ。

「それじゃあ、お父さん仕事だから、また夕方来るね!」

私は手を振ってくる父親に手を振り返した。


ガチャン


また一人になった。いつもこうだ。

私はベッドから起き上がり、窓際に手をついて空を見上げた。今日の気温は丁度いい。薄い上着があれば最高の日だ。


カチッ


『今日の天気は、全国的に晴れ間が続くでしょう。』

私は暇つぶしに天気予報をつけた。天気予報士はよく当たる。ほぼ100%の確率で毎日の天気を的中させてくるのだ。ほんと、尊敬でしかない。

私はテレビの電源を切った。そして、点滴スタンドを手に持って扉に向かって歩き出した。


ガチャン


私は部屋を出た。いつまでも使い慣れない点滴スタンドを押しながら中庭に向かって歩いた。

道中には、たくさんの看護師に話しかけられた。

「空音ちゃん大丈夫?」

一人目。この人は佐野さん。私の専属の看護師だ。まだ若い人みたい。一昨年まで研修生だったんだって。この人とは一番年が近く、二人で話すこともある。唯一気が許せるお姉ちゃんみたいな感じの人だ。

「少し、外に出てきます。」

「行ってらっしゃい。気をつけてねー!」

「はーい!」

面倒見もよくて私は好きだった。

私は適当に返事をした。

再び目線を前に向けて歩き出した。

私はエレベーターの前まで行き、ボタンを押して待った。

この瞬間も、私は何か別のことを考える。すぐ隣にある点滴スタンドを見ると、あぁ、私は病人なんだと思ってしまうからだ。

なるべく、病気とは無縁なことを考えるようにしている。

彼氏欲しいなとか、課題やらないとなとか、平方完成ってどうやってやるんだっけとか。砕けた話題を一人で考え込んでいる。


ピンポーン


「下に行きまーす。」

エレベーターの中にはおばさん看護師がいた。彼女の名前は知らないけど顔は見たことある。そういう人がこの病院には溢れていた。

エレベーター内には鏡が設置してある。私はこの鏡を見るのが嫌いだ。自分の顔を見るのが好きじゃないからだ。

入院する前までは、毎日のように部活があって顔も引き締まっていた。自分で言うのは何だが、目もぱっちりで鼻先も綺麗だった。

なのに今は、痩せ細ってやつれた顔になっていた。口角も下がって疲れているような顔立ちになってしまった。


ピンポーン


「一階でーす。」

私は看護師に小さくお辞儀をしてエレベータの外に出た。

出てすぐ左に行くと広い中庭に繋がる。これが病室からの最短ルートだった。

点滴スタンドを押したまま外に出ると、室内とは違って暖かな空気が身体を煽った。疲れきった身体にちょうどいい気温だった。

流石の私でも外に出ないと辛い。長時間室内にいると、余計に息苦しくなってしまう。

中庭には数人の人がいた。全員年寄りだった。付き添いの看護師が一人いた。またあの人も見たことある人だった。

ここの中庭は、一人になるとどうしても行きたくなる。

私はいつもの茶色塗りされたベンチに腰掛けた。ここは目の前に大きな木があって木陰になっている。私の定位置なのだ。座り心地も完璧。

私は、点滴スタンドと一緒に持ってきた鉛筆と一枚のルーズリーフを膝の上に置いた。

これは、漫画を書くための材料だ。

いつも中庭で1ページの漫画を描いている。4コマ漫画ならぬ8コマ漫画だ。

これは完全に私の趣味である。子供の頃から漫画を読むことが大好きだった。特に好きなのは、父親が書いた、『友情』という漫画だ。

これは、二匹の蛙の話である。一匹はみんなから好かれている人気蛙。もう一匹はみんなから嫌われている不人気蛙。側から見たら正反対の二匹だが、この二匹はとっても仲が良かった。しかし、それをよく思わない二匹の住んでいる国の王様蛙がいた。王様蛙は二匹を呼び出して選択肢を与えた。二匹一緒にこの国を出て行くか、どちらか一匹が出て行くか。この国は島国であり、近くに島はない。人気蛙は一緒に出ていこうと言い出した。しかし、不人気蛙は自分だけが出ていくと行った。不人気蛙は、好かれていない自分が出ていけば全てが丸く収まると言った。二匹が揉めていると、王様蛙が明日の朝までに決断しろと言った。二匹は承諾して、各家に戻った。

次の日の朝になると、二匹とも姿を消していた。家来達は国中を探し回ったが、見つからなかった。家のものは全てそのままであった。

一体、二匹はどこへ行ってしまったのか。

ここで物語は終了する。

これが一冊のノートに漫画形式で描かれていた。

この物語が言いたいのは、周りにいる人間は大切にしなさい、ということだ。

人気蛙は国にいれば生涯幸せな人生だった。しかし、不人気蛙は二匹で出ていけば人気蛙が苦しい思いをしてしまうと考えた。

お互い、友人を第一に考えていたのだ。

私の父親は元々、絵を描くのを得意としていた。特に、動物を人間に例えて描く漫画が多かった。

私は、父親の漫画が大好きだ。絵も素敵だし細かく描かれている。私はよく、父親から絵の描き方を教えてもらっていた。

「はぁ‥‥。」

私は一呼吸ついた。そして、紙に向かってペンを走らせた。この瞬間が、人生で一番幸せな瞬間だ。漫画を描き始めれば全ての神経が絵に集中する。自分が余命宣告されていることなんて容易く忘れてしまうのだ。

頭にはたくさんのアイデアで溢れていた。こっちを描いたらこう描く。どういうコマ割りにすれば読者は喜ぶかな?私の漫画を読む読者なんていないが、そういう気持ちでやったほうが上手く描ける。ただ描くだけでなく、誰かのために描いた方が早く上達する。

私は、絵のモデルになる人はいないかなと周りを見渡した。中庭には色んな人がいるなーと思った。

暖かな日に少しだけの木陰。何も考えなくていいって案外幸せなことだな。

この趣味は誰にも言っていない、秘密の趣味。一日に一枚、必ず書くようにしている。どんな場所でもいいから書くようにしている。これが私の日課だ。無論、漫画の内容は誰にも言わない。言ったらつまんないからね。

私は漫画に描く空を書くために空を見上げた。綺麗な青空が広がってると思いきや、少し雲行きが怪しくなってきた。徐々に視界が暗くなり、突然にして曇天雲が青空を覆った。


ポツ


そして一粒、二粒とポツポツと雨が降ってきた。こんくらい大丈夫だろうと思っていた。時間が経てばすぐにやむだろう。

私は再びペンを走らせた。

自分の頭を絵に被せるようにして雨から絵を守った。せっかくの絵が雨で馴染んでしまったらもったいないからね。

しかし、雨は徐々に勢いを増してきた。

「えぇ‥。」

私は言葉が出ずにいた。ただ降り注ぐ雨に見惚れていた。雨は悲しい気持ちになる。でも、同時にどうでもいい気持ちにもなる。何もかもがどうでもなって全てを投げ捨てる。時にはこんな気持ちも大事だ。


ザァーーー!!!!!


「うわっ!」

思いの外強烈な雨が降ってきた。

私は急いで立ち上がり、点滴スタンドと紙とペンを両手に持ち走り始めた。中庭から室内まではそれほど離れていないため、頑張って走れば着く。

「はぁ、はぁ、はぁ‥‥!」

走り始めてすぐに息切れがした。

私は疲れて無心に走っていた。

「はぁ!」

私は中庭に出たとことは反対の扉から中に入った。そこは、誰もおらず、廃墟のようになっていた。誰も使っていないところみたいだ。

「さいあく。」

入院服が濡れてしまった。勿論、漫画も濡れてしまった。

私は服を手で軽くはたいた。古びた床に水飛沫が飛ぶ。床は滑りやすくなってしまった。

私は息切れがしてしまい、その場に座り込んだ。

「はぁ、はぁ、はぁ。」

もう長いこと体を動かしていなかった。いきなり走ったから動悸がおさまらなかった。

私は描いた漫画を抱き抱えるようにして呼吸を整えないとした。

「白夜さん?」

苗字が呼ばれた。咄嗟に声のする方に目を向けた。

私の目線の先にいたのは、担当医の朝倉だった。毎朝毎朝検診をするあの人だ‥‥!

「あ、先生。」

「何してるのって、びしょ濡れじゃん。タオル持ってくるね。」

朝倉は小走りでどこかへ行ってしまった。あの人はなんだか不思議な人だ。

頭が良くて人に優しいことはよく伝わる。だけど、彼だけの異様な空気を纏っているような気がする。

この間だって、いつもは笑って患者と接しているのにいきなり一人で空を見つめていた。



『先生?』

私が話しかけると、我に帰ったようになる。この反応が、どうしても普通の人とは思えなかった。なんか、同志?みたいな。

『あぁ、白夜さん。こんなところで何してるの?』

『先生こそ、いきなり空なんか見上げて。』

『う〜ん。俺は空を見上げるのが好きなんだ。ぼーっと出来るっていうか、何も考えなくて済むしね。』

私は、上手く反応できなかった。

『あ、なるほど。それは、お邪魔でしたか。失礼します。』



先生はパッチリな二重目で鼻の筋がよく通ってる。悔しいくらいに顔が整っている。私も男に生まれ変わるとしたら先生みたいな顔になりたいと思っているほどだ。

‥‥って、私何考えてるんだろう。先生はただの先生。彼にとって私は一人の患者に過ぎないのだ。

はあ、疲れた。過去のことを振り返って考えるのは脳が疲れる。加えて今は、体も疲れている。もう、何か考えるのは辞めよう。

私は天井を見上げた。少しシミができた天井は、なんだか掃除したくなった。どうせ背が低いから届かないだろうけど。

先生なら届くかな?先生は身長があるからきっと届くだろう。

‥‥また先生のこと考えてしまった。脳が疲れるだけだ。

「‥‥白夜さん、無理しちゃダメでしょ。」

前を見ていると、いきなり後ろからタオルをかけられた。

私はタオルの合間をぬって上を見た。そこには、少し微笑んだ先生がいた。そして、優しく頭を撫でられた。

「こんな大雨の中、何やってたの。」

「‥‥日向ぼっこしてました。」

「日向ぼっこ。楽しそうだね。」

「ほんとは思ってないでしょ。」

「いやいや、医者をやってると、一見つまらなそうなものでも楽しく見えてしまうんだよ。仕事から逃げたいと思うからね。」

「それ、言っちゃっていいんですか?」

「うん。君には気を許せるからね。」

私はこの一言に、ドキッとしてしまった。ここまで普通に会話をしていたのに。

「‥‥それじゃ、部屋戻ろっか。」

先生は頭を撫でる手を止めた。その瞬間、心にぽっかり穴が空いたようになった。

先生を見ると、タオルを持って歩き出していた。

私はそれに続くように立ち上がった。先生が歩くのが早いってことは、知っていた。

「先生、待って‥‥!」

先生は足を止めてこちらを見た。少し首を傾げていた。

「ん?ゆっくりで大丈夫だよ。」

その声に、なぜか緊張してしまった。

「あの、ありがとうございます。」

私はお辞儀をした。


コツ、コツ、コツ、


こちらに先生が歩いてくる足音がした。今度は、怖くなった。怖くなってその場から逃げ出したくなった。

先生の威圧感に圧倒されそうになった。目を合わせていないのにこんなにも圧を感じるなんて。逆に凄すぎでしょ。

しかし、思ってた反応とは大分違った。

先生は少し間をおいて再び頭を撫でたのだ。

「どういたしまして。」

「え?」

私は思わず顔を上げてしまった。先生は真顔のままだった。

そして、すぐにそっぽを向いてしまった。

「俺は先に戻ってますよ。」

そう言い残して行ってしまった。

私は、先生がいなくなったことを確認した。そして、自分の手を頭に当てた。

「あたま‥‥撫でた‥。」

こんな感情は、人生で初めてだった。



心音の速さが普段よりも早い気がした。さっきからずっと、先生に頭を撫でられてから心音が早くなっている。これは、病気は関係ない。

‥‥疲れた。

考えることが疲れた。何か別のことを考えよう。


ピンポーン


私は、点滴スタンドを押しながらエレベーターを降りた。

「おかえりなさいーい!」

私のいる階は、エレベータを降りた瞬間にナースカウンターがある。

そこには、パソコンで何かをうっている佐野さんがいた。彼女はやはり、頑張り屋さんだ。上から目線だけどね。

「そういえば、お友達が来たわよ。」

「え?」

私はその言葉に一気に目が見開いた。急にやる気が満ちてきた。今ならなんでもできそうになってきた!

「本当ですか?!ありがとうございます!」

私は走りながら点滴スタンドを押した。

「こ〜ら!走らない!」

「すいませ〜ん!」

友達が、来ている!私の大好きな、友達が!


ガチャン


葉那はな?!」

「あ!そら!」

部屋には友達の葉那が待ち構えていた。彼女は近くのパイプ椅子から立ち上がり、私の方に直進してきた。猪突猛進かのように。

「わっ!」

「びっくりした!」

彼女は私に思い切り飛びかかってきた。いきなりのことだと思うが、これはいつものことだから大丈夫。

「また来てくれてありがとー。学校どうだった?」

「授業が早すぎて追いつかないわ!」

「でも葉那って学年10位じゃなかったっけ?」

「それは前の期末だよ!今、そんな良いわけないじゃんー。」

私たちは喋りながら病室の中に入って行った。

「空音の部屋、完全に空音ワールドになってるよね〜。何でこんなに漫画が置いてあるのよ。」

彼女は本棚に並ぶ大量の漫画を見ていた。

「それは、漫画が好きだからに決まってるでしょ。」

「漫画ばっかり読んで、飽きないの?」

私は飽きない!と返事をした。

彼女はめんどくさそうに、はいはい、と返事をした。

「それでさ、クラスの伊藤がさ‥‥」

彼女と過ごしている時間は楽しい。いやなことは全て忘れられる。自分が、前の自分に戻ったようになる。

私は大きく口を開けて精一杯笑った。



しかし、私には面会時間というものが決まってた。葉那が入室してから二時間と決められている。

指定の時間になると看護師が部屋にやってきて知らせに来る。


コンコンコン


「はーい。」

「空音ちゃん?お友達の面会時間終わるから、また明日ね。」

葉那は少し不機嫌そうな顔になった。

「ほーい。」

そう言って荷造りを始めた。

私はその風景を見ると、もう終わりなんだと毎度悲しみを覚える。

いいじゃんずっと話してて……と、私は思う。

「じゃ、また来んね。」

葉那は学校の革バッグを肩にかけて椅子を立ち上がった。私は葉那とハイタッチをした。

そして、病室の入り口で彼女がこちらを向いた。

私はそれに向かって手を振った。

「またね!」

「また!」


ガチャン


葉那は閉まる扉から最後まで顔を覗かせていた。私はその姿にクスッと笑ってしまった。

葉那の顔が見えなくなった瞬間、一人になった寂しさで心が締め付けられた。

私は再び体をベッドに戻した。その間、佐野さんは色んな重機を動かしていた。

「今日は先生が来て検査をするからね。」

「分かりました。」

私はベッドに寄りかかって窓の外を見た。日が沈みかけていて綺麗な夕日が宮古島の街を照らしていた。

「今日はどんな話したの?」

佐野さんがぽつりと呟いた。

「今日は、クラスの友達の話をしました。その子は学校一イケメンと言われているらしいです。」

「そんな子がいるんだ〜。そういう子ってさ、すごいいい子の時とちょっと悪い子の二択じゃない?」

私は何度も首を縦に振った。

「そうなんですよ!うちの学校の場合、その子はすっごい悪ガキなんです。夜遊びをしてるって噂もあって。」

佐野さんは、そうなんだ〜、と言った。

彼女とはどこか気が合うのかもしれない。比較的若い人だから学校のことも話していると楽しいし。

しばらくの間、私たちは雑談をした。



もうそろそろ先生が来る時間かな?そんなことを思っていると、部屋の扉が叩かれた。


コンコンコン


「はーい。」

「入りますね〜。」

扉の先から、先生が入ってきた。首に聴診器を巻きつけていた。少しシワがある白衣がよく似合っていた。

先生は病室の扉を閉めて、こちらに向かってきた。そして、近くのパイプ椅子に腰掛けた。

「よいしょっと。それじゃ心音聞くね。」

先生は首から聴診器を外して耳と繋げた。そして、片方の手で耳を押さえながら、もう片方の手で私の胸に聴診器を当てた。


トクン、トクン


緊張で心音が早くなっているかもしれない。先生との距離が近いと、少しばかりだが心音が早くなる。

「うん、正常だね。」

一言、先生が言った。私は安堵した。

いつも聴診器で心音を聞くと、その後の一言に怯えている。何を言われるか、何か問題があったらどうしよう、と。

私の身体はそう長くは持たないから、怖くて怖くて仕方なかった。

「‥‥空音ちゃん?食事の支度してくるね。」

佐野さんがゆっくりと喋りかけてきた。私はその声に少々驚いてしまった。ただ佐野さんが喋りかけてきただけで驚いてしまうなんて。 

佐野さんは小走りで扉に行き、部屋を出た。


ガチャン


佐野さんが出ていってしまったため、病室には私と先生の二人だけになってしまった。

先生は頬杖をついたらままこちらを見つめてきた。

「‥‥なん、ですか?」

先生は何も言わずにこちらを見つめていた。

「なんでも。」

今度は少し微笑んだ。不甲斐にも、その笑顔に射抜かれたような気持ちになった。

私は、思わず目を逸らした。

「そう言えば!白夜さん、これ、置いてってましたよ。」

「びっくりした!」

先生はいきなり叫んだ。私は少々どころか普通に驚いてしまった。

そして、先生は私の書いた漫画を渡してきた。

「え、あ、ちょっと!」

私は思いきり漫画を奪い取った。

「何で持ってるんですかこれ?!」

「なんでって、君が置きっぱなしにしてたんじゃないか!」

私は、初めて自分以外の人に漫画を見られてしまった。恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない。

私は受け取った漫画を素早く近くの棚にしまった。

先生の方を見ると、めっちゃ笑顔で笑っていた。

「あっはっはっは!そんなに真っ赤にならなくてもいいじゃないか!空音の顔、真っ赤だよ!」

「え‥‥」

私は自分の頬に手を当てた。少し熱くなっていた。


プルルルル!


私が頬を触っていると、先生の仕事用の携帯が鳴った。

先生が電話に出た瞬間、部屋の中は一瞬だけ沈黙になった。

「はい、朝倉です。‥‥分かりました。すぐ行きます。」

電話の相手は、どうやら仕事仲間のようだった。すぐに行きますって、どこかに行ってしまうのだろうか。

私はひたすら先生の方を見つめていた。

「それじゃ、よく寝てね。」

先生はそう一言言って立ち上がった。


ガチャン


そして、あっという間に病室を出ていってしまった。私はキャスター付きの椅子に座り、病室の入り口から顔を出した。

先生は、白衣をちらつかせながら少し早く歩いていた。

「はぁ。」

その後ろ姿は、ずっと見ていられた。しかし、すぐそばの角で曲がって完全に見えなくなってしまった。

私は扉を閉めて、部屋の中に戻った。

キャスター付きの椅子は私のお気に入りだ。スーッとどこへでも行けてしまうからね。

そのままの勢いで、テレビをつけた。

『さ〜て、次のアーティストは‥‥』

テレビでは、今話題の音楽番組をやっていた。私はそれを見て、すぐにテレビを消した。音楽番組とか、バラエティ番組を見ると、罪のない人に無性にイラついてしまう。これは本当に悪い癖だと分かっている。

でも、自分が病院という閉じ込められた空間で生きているのに対して、彼らは堂々と歌ったり笑ったりしている。

何で私だけ?と悲観的になってしまう。

テレビはつまらないから別のことをしよう。

私はキャスター付きの椅子から立ち上がり、窓際に立って空を見上げた。

『空を見上げるのが好きなんだ。』

この気持ちもよく分かる。私も空を見上げることが好きだ。な〜んにも考えなくて済むから。

私の名前には、空という漢字が使われている。どんな意味かは知らない。自分の名前の由来なんて一度も聞いたことがなかった。そんなもん、きっと父親も忘れてるだろう。

私は、さっきまでいた先生との会話を思い返してみた。

……ん?待てよ、先生さっき、私のこと“空音“って言った?

『空音の顔、真っ赤だよ!』

マジかよ。

私は徐々に体温が上がっていくのを感じた。自分の名前を呼ばれただけで、自然とドキドキしてしまった。今日は、いい日になった。



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