第9話 生涯の罪
生理がこない。
経験上、可能性が高いと幸奈ちゃんは言う。
正直テンパった。
そりゃテンパる。
今から学生になろうかという時、そして、23歳になったばかりの大人に毛が生えたような男だ。
数日間考えた。
もし妊娠なら時間はない。
そして、次に戻った時に意を決して幸菜ちゃんに言った。
「ねーさん、もしできてたら産んでほしいと思う。そして、結婚しよ」
よく考えた。
俺は幸奈ちゃん以外の女とこれから付き合う気なんてない。
俺にとって最高の彼女。
今は学生でも、いずれ結婚する。
ならば、今でもいい。
すぐに妊娠検査薬を購入して幸奈ちゃんはトイレに行った。
5分後…オレンジの線が出た。
しかし、ちゃんと確認する必要がある。
そのため、後日、2人で産婦人科に行った。
厳密に何週目とかは俺はよく分からない。
でも、妊娠してたと診察から戻った幸奈ちゃんが言った。
覚悟が…
決まった。
俺は両親に電話した。
合わせたい人がいる…
よくドラマで聞くようなセリフを本当に言った。
俺は両親に女の子を紹介したことがない。
これまで、彼女とか、そういう存在を親に知られるのすら嫌だった。
幸菜ちゃんを紹介するために説明した。
事情を大まかに伝えたが、どうやら怒っている様子だった。
バツイチや子持ちなど隠してもしょうがない。
もう差し迫った問題なのだ。
どうせならと、幸菜ちゃんだけでなく一希と一緒に実家に訪れた。
久しぶりに戻る実家だった。
俺たちは和室の応接室に通されて、そこに置かれたテーブルに両親と正面になる形で座らされた。
「何があったのか説明して」
と母の言葉で、俺は話し始めた。
こと細かくではない。
必要なことを端的に。
「私は許せません。大事に育てた息子が、あなたのような立場の人と一緒になるということが」
幸奈さん、あなたも息子を持つ立場の人。
私の気持ちは分かるはずです。
俺は初めて見た。
母親が他人に対して感情的になってる姿を。
俺の母は小学校の教諭。
子どもが好きでこの職業を選んだような人だ。
今は出来なくなったが、ネグレクトを受けてるような、色んな家庭の事情の子どもがよくうちに来てご飯を共にしたり、泊まったりもした。
そういう親に対して、憤りがあるものの、それを見せることはない。
感情的にならずに、せめて生まれてきた子どもたちを見守るのが私の仕事…と言っていた。
そんな母だから、彼女の中に堕胎という選択肢はない。
しかし、息子の将来が心配で仕方がない。
そのもどかしさから、母は幸菜ちゃんに感情的に厳しいことを言ってしまった。
幸菜ちゃんは終始泣いた。
いや号泣だった。
俺は幸奈ちゃんが号泣している姿を初めて見た。
一希は俺の後ろに隠れるようにして泣いていた。
母は、その場にいても立っても居れない様子で、応接室から出ていった。
そして、父が言葉を発した。
「なつ。お前はどうするつもりだ?」
「…俺は結婚したいと思っている…」
「そうか…。なら、今のままで良いのか?」
「いや、大学院を辞退して働こうと思ってる」
「そうだな…。そうするべきだ」
まず、生活地盤を固めろ。
そうして、もう一度来なさい。
そういう姿を見せれば、母さんも納得すると思う。
あとはお前たち次第だ。
そう言った。
父は学生期間が長く、母に食い繋いでもらっていた。
だから、こういう場合は、母に主導権がある。
強く出れない。
でも、反対ではない意思を向けてきた。
しかし、幸奈ちゃんは号泣し続けて、おそらくほとんど耳に入ってはいない。
そしてその後、僕らは実家を後にした。
帰りの車の中でもずっと泣いている。
声を掛けようにも、どの言葉であれ、慰めにもならず、また、他人事のような感じがして掛けれない。
その夜、いつものようにホテルに泊まった。
幸奈ちゃんは少し落ち着いていた。
俺はお腹を見せてと言った。
服越しでは、はっきり分からない。
でも、お腹を出すと、確実にいつもより膨らみがあるのが分かる。
それを触り、頬と耳を当てた。
特に何かが聞こえるわけじゃないが、ここに自分の子どもがいると思うと、すごく温かい気持ちになる。
しかも、好きでしょうがない相手の子どもでもある。
「ここにいるんだね…」
と再度優しく頬擦りをした。
「なつは男の子と女の子のどっちがいいの?」
「女の子がいい」
「そっかぁ」
「?ねーさんは男の子がいいの?」
「どっちでもいいよ。でも、お姉ちゃんのとこも男の子で、男ばっかりだから、女の子がいいかもね」
幸奈ちゃんは優しそうに、どこか悲しそうにそう言った。
俺たちは親子3人で今日を過ごした。
たぶん、この時には、もう幸奈ちゃんは決めていたのだろう。
数日後、幸奈ちゃんは堕胎すると俺に言った。
幸奈ちゃんは相当に傷ついていたのだ。
そして、もう一つの問題も抱えていた。
妊娠の時期と離婚の時期が微妙だった。
私生児問題と離婚後裁判問題になる可能性があった。
裁判になった場合、経済的にどうしようもない。
そして
あれほど母に強く言われて、産まれてくる子が望まれておらず、かわいそう。
当然、産んでしまえば、母は受け入れるだろう。
しかし、幸奈ちゃんはそういう発想はできない。
それほどに心が折れたのだ。
俺はそれでも産もうと言った。
だが、そんな俺の言葉に重みも強さもない。
ここで何を言っても現実を見ない者の戯言にしかならない。
承諾するしかなかった。
もう妊娠5ヵ月過ぎていた。
詳しくは分からないが堕胎手術は無理な段階らしい。
幸奈ちゃんは調べまくって一件、人工死産を出来る病院を見つけた。
その病院で同意書を書いた。
壮絶だった。
幸奈ちゃんが分娩室で苦しそうにしている。
余裕なんてまるでない。
大丈夫?
と声を掛けると
怒り散らして苦しむ。
普通に出産なのだ。
ただ、お腹の子はもう亡くなっている。
そういう薬を飲んでいた。
数時間後…
決して産声を上げない男の子を出産した。
箱を手渡された。
顔も見ることもできない自分の子。
涙は見せれない。
幸奈ちゃんはもっとつらいのだ。
費用は35万円くらいだった。
人工死産の場合、基本的に出産扱いとなり、死産届を提出する義務がある。
そうして市から30万円がおりる。
その後、2人で生まれてこれなかった子どもの入った箱を火葬場まで持って行き、そこで、火葬し、残った遺骨を水子塚にまつった。
幸菜ちゃんは
「ごめんね。ごめんね。ごめんね…」
と、ただただ泣いた。
枯れるほど泣いた。
「私達は許されないことをした」
生涯の罪だよ。
これを一生背負っていかなければいけない。
絶対に忘れてはいけない。
このままじゃダメなのよ、なつ。
このままなら別れるしかない。
今の状態のままならこの子は報われない。
別れるか、新たな生活をするか今すぐ決めて。
俺は、大学院入学を辞退して、新たな生活を始めるために同棲する事を決めた。
そして、急遽食いつなぐため、以前、アルバイトをしていたお店に頼み、正社員にして欲しいと頼んだ。
店長は承諾してくれて、僕はその店の正社員となり、幸菜ちゃんと同棲を始めることにした。




