泥で汚れた人形
システム:脱字修正。ラクガキ挿絵を追加。20230707
ウサギを追いかけようとして足を1歩踏み出した途端に、ヴィータはポチャンと湖に落ちてしまいました。泳ごうとしても水草が足に絡まって浮き上がるができません。赤い目を光らせた巨大魚が近づいてくるのが見えます。
息が出来ずにもがいていると、スポンっと暗い空間に投げ出されました。尻もちをついて1回バウンドした後に、ヴィータは『いたた』と言いながら立ち上がりました。何かを見つけたのか、目をごしごしと擦っています。
「あれはなんだろう? 」
丸テーブルに乗せられた紙芝居の舞台のようなものがスポットライトに照らされています。ヴィータは春に開催される祈年祭で、毎年、妹のクイニーにせがまれて見にいったことを思い出しました。懐かしく感じると同時に……切ない気持ちが泉のように湧き出しました。
「クイニー、いつも僕のためにスープを作ってくれた優しい妹クイニー……。独りにしてごめんよ……。ルディをウサギから取り返したら、すぐに彼女が持っている銀の鍵で生き返るからね。もう少し待ってておくれ」
零れ落ちそうな涙を押し込めて、テーブル傍にある木製のスツールに座りました。すると……どこからか吟遊詩人が奏でる曲と声が聞こえてきます。ヴィータはその声に耳を傾け、パラリとめくられた紙芝居を食い入るように見つめました。
湖面を歩いていた小さくて真っ白なウサギは花が咲き乱れる岸辺に辿り着きました。自分の身体と同じ大きさの人形をじっと見つめています。人形は服も髪の毛も泥で汚れていましたが、ウサギは白いふわふわ毛に包まれた頬をほんのり赤らめながら、人形をぎゅっと抱きしめました。
「なんて可愛らしい人形なのだろう……」
人形が困ったような口調で喋り出します。
「ウサギさん、私をそんな風に抱きしめては駄目よ」
「どうしてだい? 」
「だって、素敵なジャケットが泥で汚れてしまうわ」
「泥? そんなもの気にすること無いさ」
「駄目よ。ウサギさんの白くてふわふわの毛皮も汚くなってしまうわ」
「あははっ、よく見てごらんよ。勲章みたいでカッコイイじゃないか! 」
点々とついた泥を、ウサギは誇らしげに人形に見せました。細い髭を揺らしながら、にこにこと笑っています。人形の顔は無表情でしたが、頬がほんの少しだけ、ピンク色に染まっていました。
ふわっと吹いた風が彼らの足元にある青い花を揺らしています。人形は草むらのそこら中に咲いている花々に目を向けました。
「ねぇ、ウサギさん、あのお花が欲しいわ。いっしょに摘んでくれる? 」
「私がいっぱい摘んでくるよ! ここで待ってて」
ウサギは動きがぎこちない人形を柔らかい草むらに座らせると、ピョンピョンと跳ねていきました。忙しそうにせっせと花を摘んでいます。しばらくすると、ウサギは両腕に沢山抱えた花をぽろぽろと落としながら戻ってきました。
「全部、君にあげるよ! 」
「こんなにいっぱい、嬉しいわ。ウサギさん、ありがとう」
表情が変えられない人形は感謝の気持ちを伝えるために花を抱えているウサギの手をぎゅっと握りました。胸から『きゅんっ』という文字が飛び出したウサギは持っていた花を全てその場に落としてしまいます。ふわふわの真っ白い系に包まれた顔は秋の夕暮れのように真っ赤です。
そんなウサギの傍で、人形は歌いながら青い花で何かを作っています。ウサギが不思議そうに人形の手を見つめていると……あっと言う間に青い花冠が出来上がりました。青い花弁がキラキラと輝き、王冠と見紛う美しさにウサギはうっとりしています。
「なんて素晴らしい冠なんだろう……。こんなに美しいものを見たことがない! 」
「ウサギさん、この花冠を受け取ってくれる? 」
とても喜んだウサギはシルクハットをさささっと脱いで『かぶせてくれ』とねだりました。ふわふわ白い頭に青い花冠を静かに乗せた人形はウサギの黒豆のようなつぶらな瞳をじっと見つめると……魅了魔法にかかったようなため息を漏らしました。
「この湖のように青い宝石花のヴェロニカがよく似合うわ。ウサギさんの長いお耳も愛らしくて、とっても素敵」
「君のサファイヤブルーの瞳の方がもっと素敵だよ。やわらかい銀糸の髪も、その小さな唇も……」
人形は恥ずかしそうに少しうつむきました。ウサギは日差しに輝く銀糸のような髪に、青い花を刺して飾り付けました。華やかになった人形を見たウサギは感嘆の声を漏らします。
「とても綺麗だ……。青い宝石花から生まれた、お姫さまのようだよ」
「それならば、ウサギさんは王子さまね」
白いウサギは人形がスッと出した右手を取ると、彼女の手の甲にそっと口づけをしました。
「ルディは僕の人形だ! こんな話、聞いていられるか! 」
憤慨したヴィータは紙芝居の主を怒鳴り付けると、『人形を返せ』と叫び、座っていたスツールを投げつけました。紙芝居の主の『止めてくれ』という言葉も聞かず、テーブルを蹴り飛ばして紙芝居の舞台を床に叩きつけています。
「泥棒ウサギめっ、絶対に許さない! 」
バラバラになった紙芝居の紙を1枚拾うと……ヴィータは怒りに任せて真ん中から破きました。ビリビリっという音が辺りに響いています。
その途端、全てのものが重力から解き放たれーーヴィータの身体がふわりと空中に浮かび上がりました。ヴィータは空気が動いているの感じて上空を見上げます。光源がある天井にゆっくりと身体が引っ張られているのが分かりました。あの光に吸い込まれたらどうなってしまうのだろうか……。
ヴィータはぞわっと鳥肌が立った腕をごしごしと擦りながら、ふわふわと浮いている紙を睨みつけています。この先どうなってしまうのかという恐怖よりも、ウサギに対する腹ただしさの方が勝っていました。ヴィータは光の中を泳ぎ1枚の絵を掴みます。
それは……ウサギが恐ろしい敵と戦いながら、美しい人形を抱きしめて庇っている様子が描かれていました。ヴィータはわなわなと震え……その絵に唾を吐くと、ぐしゃぐしゃに丸めて、光に向かって投げ捨てましたーー。
さらに手当たり次第に紙芝居を破いたヴィータは満足げな表情を浮かべました。細かく引き千切られた紙が空中のあらゆるところにばらまかれた風景を眺めて嘲笑っています。しかし……優越感も束の間、ゴゴゴゴゴという唸り音と共に、ヴィータは上空に吸い上げられ、水中に放り込まれてしまいました。
光が感じられない真っ暗な水中でヴィータは水面を求めて泳ぎました。口から零れた泡はふわふわとヴィータの傍で漂うだけで上下がさっぱり分かりません。ヴィータは焦りを募らせながら、両手で口を押えました。
ーーこのままじゃ、窒息してしまう! 死んでいるはずなのに、何でこんな目に合うんだ!!
眼前で蜃気楼のように景色がぼやっと輝いています。目を凝らすと、少し透けたクイニーが見慣れた家屋の裏にある池の傍でぷんぷん怒っていました。
「お兄ちゃん、カエルさんたちを虐めたら駄目っ。可哀そうでしょ? 」
「だけど、こいつらは毎晩毎晩、うるさく鳴いて僕の睡眠を邪魔するんだ」
「そんなことをしたら冥府に行った時に、罰を受けるわよ! 」
「あはは。クイニーそれは作り話だ。冥府なんてものはありやしないよ」
クイニーは悲しそうな表情で石を持つヴィータの右手を両手で握りました。
「ねぇ、お兄ちゃん。毎晩、音楽を聴いてるって思えばいいんじゃないかしら?」
「こいつらの声が音楽だっていうのかい!? 」
「そうよ、美しい求愛のメロディ……。素敵でしょ」
「クイニーはロマンチストだな」
「私はお兄ちゃんが冥府で罰を受けるのは嫌よ……。だからもう、石を池に投げないで」
これは走馬灯だとヴィータは悟りました。水中で苦しみはクイニーが言っていた『冥府の罰』なのかもしれない。ヴィータは薄れゆく意識の中でにっこりと笑っている妹を眺めました。
「ヴィータ、私の手を取って! 」
突如現れた白い手がヴィータに伸びています。ヴィータは急いでキラキラと光を放つ手を掴みました。すると、目にもとまらぬ速さで引っ張られ……気が付いた時には綿あめのような雲と青い空を眺めながら、新鮮な空気を吸い込んでいました。
「助けてくれてありがとう。君はだれ? 」
「私は光の王女。貴方の運命の相手です」
光の王女はニコニコと笑いながら、しっかりと握ったヴィータの右手を引き上げて目の前に彼を立たせました。彼女の言葉にヴィータは目を丸くしています。
「君が僕の運命の相手だって!? 」
「私たちは輝ける未来を共にする番い……。ずっと貴方を探していました」
湖面ぎりぎりで浮いたまま、光の王女に抱きつかれたヴィータはあたふたとしてしまいました。複雑な顔をしながらも、彼女の眩しい笑顔にドキッとして見惚れています。彼らは舞踏会でワルツを踊るように自由に飛び回り、笑い声を響かせました。
「まるで鳥のようだ! これは君の魔法? 」
「私と手を繋いでいれば、いつでも、どこでも、空の散歩ができますよ」
「君は素晴らしい魔法が使えるんだね。なんて楽しいんだろう! 」
ヴィータは人形のルードベキアを探すことをすっかり忘れて、はしゃいでいます。ふと、森と湖の間にある目が覚めるような鮮やかな青い花弁を揺らす花畑が目に留まりました。水面のようにキラキラと美しい輝きを放っています。
「まるでもうひとつの湖のようだ……。ねぇ、降りてみようよ」
そう言って、ヴィータは光の王女の手を引っ張りましたが、彼女は顔を曇らせて行こうとしません。ピタっと空中で止まって、不思議そうにしているヴィータをじっと見つめています。
「今すぐにでも、ヴィータに見せたいものがあるのです。あそこに行くのは後にしましょう」
「僕に見せたいもの? 何だろう? 」
「行けば分かりますよ」
光の王女はくるりと青い花畑に背を向けて、ヴィータの右腕に手を滑り込ませました。ヴィータは疑問を感じることなく彼女と共に空を駆け抜け、青い湖が見える小さな城の前に降りました。城に続くアプローチの両側には色とりどりの花が咲いています。
ヴィータは城門のすぐ傍にある樹木の前で立ち止まると、たわわに実ったレモンの実にそっと触れて、爽やかな香りを吸いこみました。さらに自然とほころんだ顔をあちらこちらに向けています。
「なんて素敵な中庭なんだろう。このお城は……風変りだけどとても立派だね」
「ふふふ。ここは私とヴィータが住む城。気に入ってもらえると嬉しいです」
目を白黒させているヴィータに光の王女が優しく微笑んでいます。
「城の中で貴方の妹のクイニーが待っています。さぁ、行きましょう」
「待って。僕はオーディン王から貰った人形を探さないといけないんだ。そうしないと……」
心臓の辺りがぽっかり空いた胸に、ヴィータは右手を置いて悲しそうに瞳を潤ませました。光の王女は彼の手をおもむろに取ると、両手でぎゅっと握りしめました。
「ヴィータ、心配いりません。人形ならあります」
「どこに? 」
「レモンの木の向こうにある花壇です」
光の王女がスッと左手で差した先には、白い花びらで中央が黄色いノースボールが花壇いっぱいに咲いていました。慌てて駆け寄ったヴィータの瞳に椅子に座る人形のルードベキアが映っています。彼女は服だけでなく、銀糸の髪も、顔も……全て土まみれでした。
「こんなに汚れて可哀そうに……。ルディ、クイニーのところへ一緒に帰ろう。……ルディ? 」
髪の毛についている枯葉を取ったヴィータは訝し気な表情を浮かべました。何度も人形の愛称で呼びかけているのに、人形は無表情のまま返事をしません。ヴィータはイライラしながら人形の顔を覗き込みました。よく見ると土で汚れた人形の顔にひび割れが入っています。
「なんてことだ……器が壊れてしまったのか!? 人間になる魔法薬を切り株の魔女に頼んでいたのに……。あぁ、僕のルディ……」
ヴィータは悲しみに堪えきれず……左目から流れた涙を踏み折った白い花に落としました。人間になったルードベキアと暮らす夢は、夢物語で終わったしまったのだろうか……。ヴィータは首を横に振って人形を抱きかかえようと手を伸ばしました。
しかし、その手を止めて小刻みに震えていますーー。
「僕の命が宿っている右手が無い!! どこにいったんだ? 銀の鍵はあるのか? 」
人形のスカートのポケットに入っていたはずの銀の鍵がありません。大きな声で『どこだ!』と叫んだかと思うと、花壇に咲くノースボールの花を引っこ抜いて放り投げました。乱暴に扱われた証として、白い花びらが茶色い土の上に散らばりました。
「右手と銀の鍵はどこだ!! あれが無いと、僕は生き返れない! 」
システム:ヴィータは切り株の魔女に『人形を人間にする薬』を依頼しましたが……『宝石や金貨なんかじゃ、駄目だ』と断られてしまいました。珍しい果物や本を持って行ったりもしましたが、どれも首を縦にふりません。
あるとき、ヴィータは切り株の魔女の家に向かう途中、樹木の下に落ちていた小鳥を拾います。木の枝にある巣に戻そうとしましたが、親らしき鳥に突かれて上手くいきません。仕方なく、右手に乗せたまま、扉を叩きました。切り株の魔女は嫌そうな顔をしています。
『何度来てもお断りだ! 』と切り株の魔女は言いました。ヴィータは閉めようとする扉の隙間に足を入れて、左手で扉を掴んでいます。切り株の魔女はヴィータの足を踏みつけて、無理やりドアを閉めようとしていました。
『話を聞いてくれ』というヴィータの右手の上に乗っている小鳥を見た彼女は、にやりと不敵な笑みを零しました。
「その小鳥をくれるなら、お前が望む薬を作ってやろう」
「ま、まさかこの小鳥を薬にする気じゃ……」
「嫌ならお断りだ! 」
ヴィータはしぶしぶ小鳥を切り株の魔女に渡しました。彼女は『36日後に来い』と言って扉を閉めてしまいます。そして魔法で出した小さな柔らかいベッドに小鳥を乗せると……『かわいいでちゅねぇ。ご飯をあげまちょぅねぇ』と言いながら、小鳥の世話を始めましたとさ。
See You Next Week!