第12話 佐倉のぞみ
佐倉のぞみは神奈川県の横須賀市で生まれた。
幼い頃から口数が少なく、友達を作るのも苦手だった。
好きになれる遊びもなくてずっと孤独でいた。
それでも、のぞみが唯一楽しみにしていたのが早朝に放送されていた魔法少女アニメ『魔法のプリンセス』であった。
のぞみは『魔法のプリンセス』に救われていた。
そんなのぞみの六才の誕生日に、母が『魔法のプリンセス』に登場する[魔法deボール]というおもちゃをのぞみにプレゼントした。
孤独を感じていて楽しくない生活を過ごしていたのぞみだったが、大好きな『魔法のプリンセス』のプレゼントを受け取ったのぞみはとても嬉しい気持ちになった。
心の底では、周りの子たちと『魔法のプリンセス』の話をしたかった。
でも結局、放送が終了するまでその思いは形に出来なかった。
小学生になったばかりの頃、母が交通事故で命を落とした。
もともと心の弱かったのぞみはさらに自分の殻に塞ぎ込んでしまうようになった。
もちろん、友達もなかなか出来ずにいた。
学校に行くのは嫌だったが、入学式の時に父から「のぞみは優しい子だからきっと友達ができるよ。のぞみにとって、楽しい学生生活が必ず待っているはずだ」と言われて、それを信じ、風邪を引いたり体調が悪い日以外は学校に毎日通った。
……でも、それでもやっぱり小学校を卒業するまで一人も友達が出来なかった。
父が入学式の時に言った言葉だけを信じて学校に通い続けたのに結局最後の最後まで友達が出来なかった。
のぞみはこの現実にとてもつらい気持ちでいた。
でも、のぞみは父を憎む気持ちにはなれなかった。
何故なら、母が亡くなってから父は毎日毎日と一生懸命にのぞみを楽しませようとし続けてくれたからだ。
父はのぞみが学校から帰ってきて一人にならないように、母が亡くなったのと同時に夜勤の仕事に転職した。
毎日欠かさず朝ご飯と晩ご飯は必ず作ってくれ、のぞみと一緒にテーブルを共にした。
夜勤の仕事で寝不足であっても、のぞみにはつらい顔を何一つ見せなかった。
休日の日にも必ず外に遊びに連れて行ってもらっていた。
のぞみは動物が大好きで、それを父も知っていたから動物園や水族館によく連れて行ってもらった。
毎週一回、外食にも行かせてもらった。
お金がなかったのでファミレスばかりだったが、のぞみはそれでも嬉しかった。
のぞみは父が本当に大好きだった。
だけど、のぞみは父が無理をしている事に気付いていた。
父の目の下には常にクマが出来ていたし、いくら辛そうな顔を見せなくても疲れで顔が日に日にやつれていっているのがのぞみには分かっていたからだ。
でも、のぞみは敢えてそれを口に出さなかった。
辛い顔をのぞみの前では絶対に見せない父の気持ちを考えると言える訳がなかった。
のぞみは父の、のぞみへの深い愛情と優しさを無駄にしたくなかったのだ。
* * *
中学校に入学する時にのぞみは変わる決心をした。
のぞみは夜勤の仕事で体が弱ってきていた父に自分の元気な姿を見せたかった。
だから、空元気でも良いから明るく生きていこうと決めた。
学校では積極的に友達作りに励んだ。
小学校で6年間、一人孤独に学生生活を過ごしてきたのぞみに友達作りはとても困難を極めたが、本屋で『人とのコミュニケーション』や『友達の作り方』などのマニュアル本をたくさん買い、毎日読み漁っては使えそうな技術をどんどん身に付けて実践していった。
そして努力は実り、のぞみにはたくさんの友達が出来た。
最初の頃は無理やりに元気で明るいキャラを演じていたが、友達が増えるにつれてそれは『演技』ではなくなっていき、のぞみは自然と孤独の殻から抜け出して心の底から笑えるようになって、表面上ではない元気で明るい子に育っていったのだ。
父は元気で明るくなったのぞみの様子を見ていてとても嬉しい気持ちでいた。
のぞみが笑顔で学校から帰ってくるのを楽しみに夜勤の仕事をさらに頑張るようになった。
のぞみは勉強にも励んで、志望していた高校の受験に合格した。
父とのぞみは喜びを分かち合う。
のぞみも父も幸せな気持ちでいっぱいだった。
何もかもが順調にいっていたのぞみは将来に希望が持てるようになり、高校を卒業して就職したら初任給で父を温泉旅行に連れていくという夢もできた。
―――しかし、予期せぬ出来事でその夢は崩れ去った。
のぞみが寝ていた深夜の二時頃、家の電話が鳴る。
電話の音で目を覚ましたのぞみは、ふらついた足取りで(こんな時間に誰からだろう?)と思いながらも受話器を取った。
「もしもし! 佐倉様の娘さんですか!?」
「あ、はい……」
「浅野病院の者ですが、お父さんが職場で血を吐いて救急車で当病院に運ばれました!!」
「えっ」
「とても危険な状態にありますので、今すぐ病院に来ていただけませんでしょうか!?」
のぞみは頭の中が真っ白になった。
父が血を吐いて危篤状態にあるという事実を受け入れる余裕はのぞみには無かったが、とにかく死にものぐるいで自転車を漕いで病院に向かった。
のぞみが病院に着き、案内された父のいる病室に入ると、信じ難い光景が目に映った。
父の顔に白い布が被されており、手と足には血の気がなかった。
「お父さん、嘘だよね?」
のぞみの父は過労で亡くなった。
のぞみは親戚の叔母に引き取られた。
叔母は必死にのぞみを元気づけようと励ましたが、のぞみはそれに応えられなかった。
のぞみは高校の入学を辞退して部屋に引きこもるようになった。
食事とお手洗い、入浴する時以外は部屋から出なかった。
「お父さんと温泉旅行……お父さんと温泉旅行……お父さんと温泉旅行……」
部屋ではずっとブツブツとそう呟いていた。
父がこの世を去った現実がのぞみには受け入れられなかったのだ。
しばらく日が経ってから叔母の説得もあってのぞみは引きこもり生活をやめた。
しかし、以前のように元気で明るいのぞみの姿はもう無く、幼い頃のようにまた孤独の殻に閉じこもってしまった。
のぞみにはもう夢も希望もなかった。
それからまたしばらく日が経ち、のぞみは行動がおかしくなった。
ある日を境に叔母や友達の前で異常なまでに元気で明るく振る舞うようになったのだ。
その『ある日』。
それは、のぞみが眠りの夢の中で父が出てきた日の事だ。
夢の中で父が「のぞみが元気で明るくいてくれたら、また会えるよ」と言ったのだ。
心が弱っていたのぞみは夢での父の言葉をすんなりと信じてしまった。
信じるしかなかった。
そうでないと、自分の心と精神を保てないからだ。
「元気で明るくしていたらまたお父さんに会える!」
のぞみは本気でそう思うようになった。
それからのぞみは中学時代のように、元気に明るく振る舞った。
むしろ、中学時代以上に周りに笑顔を見せるようになり行動的にもなった。
しかしそれは「お父さんにまた会える」というのが原動力であった。
そして、しばらく経ったある日のこと。
のぞみの夢の中にまた父が出てきたのだ。
父はのぞみに今まで一度も見せた事のない厳しい顔をして叫んだ。
「お父さんはのぞみの事が大嫌いなんだ! 愛していない! お前が交通事故にあえばよかったのに! どうして生きている! もう元気に明るく振る舞うな! 腹が立つんだよ! 二度とお父さんの目の前に現れるな!」
夢から覚めたのぞみはトイレに行き、吐いてしまった。
のぞみはもう何が何だか分からなくなっていた。
元気で明るくしているとお父さんに会える?
元気で明るくしているとお父さんは怒る?
お父さんはあたしを愛している?
お父さんはあたしを愛していない?
それからのぞみは精神状態がかなり不安定になり、元気になったり鬱状態になったりするようになった。
心配した叔母はのぞみを心療内科に連れて行った。
医師はのぞみを【双極性障害】と診断した。
ラミクタールという処方薬をもらい、叔母とのぞみは家に帰った。
のぞみはその夜にまた夢の中で父に会った。
昨晩とは違って、父は以前のような笑顔で言った。
「久しぶりにのぞみに会いたいな。のぞみの笑顔が見たいんだ。いつでも待っているからね」
朝、目を覚ましたのぞみ。
気分は爽やかで窓の外からは心地よい風が流れてくる。
そして、のぞみは決心した。
―――お父さんに会いに行こう―――




