本音を知った
ここで日記は終わっている。
あなたは後ろを振り返って、読み終わるのを待っていた様子の鐘を見た。鐘は俯いて目を閉じていたが、あなたの視線に気がついたのか顔を上げた。
「もうよろしいですか?」
あなたはこくりと頷く。
「いかがでした、あなた様の書いた日記は」
あなたは不思議に思う。鐘は一体何を言っているのだろう、と思っただろう。
しかし少し考えて、あなたはよくわかった。自分はこの日記を書いた人物であったことを。途端にスマホを懐かしく思さの原因がよくわかり、自分が昔選んだスマホカバーを見る。爪が食い込んだような跡が至るところにあった。これは全て陰鬱状態の時に苛立って入れたものだ。
鐘はこのスマートフォンの所有者が自分だったことに気付いたあなたに、ニコニコと話しかける。
「ここにはありとあらゆる知識と同時に、ありとあらゆる物語があります。スマートフォンの棚は誰でも気になるものですが、実際に触れるのはあなた様のようにスマートフォンの所有者だった方のみですよ」
あなたはまた納得した。
「さぁ、何か御所望が無ければ引き続きこの図書館を案内しますが」
御所望。それを聞いたあなたは少し考えて、一つ思いついた。すぐさま鐘に伝える。
ここにはありとあらゆる知識と物語がある。であれば、可能かもしれない。
「……翆様の本音を知りたい、ですか?あの時は翆様のほんの部分的なところしか見れなかったから……と。かしこまりました。では、案内いたします」
こうしてあなたと鐘は再び歩き出した。一体どのように本音が知れるのだろうか。今のように、スマートフォンで見れるのだろうか。はたまたこの膨大な本たちに書かれているのだろうか。ドキドキしている。
あなたは背表紙の色に統一感がない本が並ぶ本棚の間をずんずん進む。本棚の間が狭いわけではない、むしろ広い。学校の廊下よりも広い気がする。表現は変かもしれないが、おかげで比較的見渡しがいい。
しかしある時、そんな本棚の間に、一見奇妙なものが見えた。
ドアだった。
「こちらです」
鐘が指したのはこのドアだ。本当に、ただドアがあるだけ。木製で、アンティークなドア。
「このドアの先に、"本音売り"と呼ばれる商売人がいますのよ。本音でしたら、その方に聞いてみるのが一番でしょう」
さぁ、どうぞ。鐘はそういうが、いったいどうしたものかと困ることだろう。
しかしあなたは考えても仕方がない、と思ってドアを開ける。
ドアを開いた先にあったのはどこか禍々しい一室だった。
全体的に黒く装飾され、明かりは天井についている宝石のようなものが淡く光っているだけ。入って目の前にカウンターがあり、その奥で一人の青年が退屈そうに本を読んでいた。
あなたは入ってみる。すぐに青年はあなたに気がつき、「こんばんは」と声をかけた。
その青年は一言言えばどこか外国の民族、というような印象を受ける服装をしている。あなたは中華風なものに似ている気がする、と思う。
「ちょうど退屈していたところなんだ」
「あなたはいつも退屈しているでしょう」
鐘が店に入りながらそう青年に声をかけた。
「それだったらもっとお客を連れてきてくれないかな」
あなたはぽかんとしている。
「あぁ、申し訳ございません。この方が本音売りのドルジ様です」
「はじめまして、僕がドルジだよ」
図書館と言うほどなのだから、何か本を読んで知ることができるのかと思った。あなたがその旨を伝えると、鐘は苦笑いした。
「その方法もありますけれど、途方もない方法になりますのよ。一晩では足りませんわ」
さて、と仕切り直して、鐘はドルジに事情を説明した。
「ふーん……好きだったあの子の本音、ね。どうしてそんなことを?」
あなたは彼が突然いなくなったから、と伝えた。
「へぇ。まぁ、いいよ。ただし僕も商売人だ、当然お代がある。
それはね……」
一番にお金を想像してあなたは緊張することだろう。
「感情だ」
普段ならばかばかしいと軽蔑するが、今ここにいるのは異世界図書館。そんなこと言われても不思議でないな、とあなたは納得した。
しかし感情をお代として差し出すとはどういうことだろう。不思議に思うが、それよりも早く本音が知りたいために口を瞑った。
「納得してくれてよかった。それじゃぁ、そこの椅子に腰掛けて待っててね」
ドルジは突然靴を脱ぎ始めた。あなたは何事かと思ってカウンターの奥の方に目を凝らしてみると、ベッドのようなものがある。まさか、これから寝るとでも言うのだろうか。
「ドルジ様は特殊な夢を見る方でして。夢の中で誰かの本音を知ることができますのよ」
そうなのか、と一応納得する。夢の中で誰かが眠るというのは些か不思議なものだ。
そう思いながらも言われた通り椅子に座り、辺りを見渡しながら待つ。
部屋の中の黒さは天井、床、カウンターにまで及んでいる。ありとあらゆるところが黒い。かと言って冷たい雰囲気を受けるわけではなく、むしろ淡い光のおかげで温かいと感じるくらいだった。
商売をするために入眠する、そのためのこの黒さなのだろうか。確かに、黒いと眠りやすい気がする。
鐘はあなたの横で待っている。この図書館の主人の従者だと言っていたが、これでは自分が主人のようだ、とあなたは思うだろう。
そう思いながら待つこと数分ほど。
「お待たせ」
ドルジが起き上がってきた。あなたは嬉々とする。
「翆くん、だったね」
こくこく、と頷いた。
「あの子は本気で君のことを気味悪がっていたよ。というより、元々自殺しようと思っていたところで君の恋心が覚醒しちゃったわけだ」
あなたは衝撃で何も言えなくなった。
「あぁ、妹さんを思ってたのは本当だったみたいだね。しかも、君よりも妹さんを思う気持ちの方が強かったから、最初から君に向く視線は無かったかな。時々好きって言ったり、特別な日に会ったり帰ったりしてたのはあくまで親に怒られないためだったんだね。君が知りたがっていた部分は以上、それじゃぁお代の方なんだけれども……」
ドルジはあなたのことはお構いなしに話を進める。
「そうだね、愛情かな。君から取るにはぴったりのお代だ」
あなたは待ったをかけた。
それは嫌だ、愛情が自分から取れたらなにも無くなる、と自分でもわけのわからない否定をする。
「うーん、じゃぁ、憎しみ?」
それも嫌だ、と言う。
「ダメ。僕が決めるから。憎しみにしよう」
あなたは口を固く閉じて、驚いている。
「あぁ、もうそろそろ目覚めの時間ですわね」
鐘がそうあなたに声をかけた。
しかしそこまで言われるとあなたは諦めがついてしまったようで、驚きすらなくなった。
「では、本日はお疲れ様でした。また会える日を楽しみにしていますわ」
鐘が声をかけると、ぼんやりと意識が遠くなる。
夢から覚める時。あなたは、心の中がどこか清々しかった。