時の流れ
陶器の割れる音が蔵のなかに響いた。
振りかえれば、娘が表情をゆがめて沈んでいる。
うっかり床に落としてしまったようだ。
「けがはないか?」
「……うん、だいじょうぶ」
「破片は危ないから、さわっちゃだめだぞ」
「でも、じぃじの」
壊れたのは、いつだったか親父がどこかで買ってきた代物だ。花をいけるものなのか、梅干しを保存するものなのか、用途すらわからないまま蔵にしまいこんだのも親父だ。
「気にすることはないよ。じぃじはモノを捨てられないくせに、無駄づかいの達人だから。きっと存在自体を忘れている」
どうして灰皿が15個もいるのか? どうして壊れた洗濯機が捨てられないのか? 親父に対する幼少時からの疑問を、きっと呪われているのだろうと結論づけて早20年、いまでは無心になって蔵の整理をできるようになった。
「もとにもどせないかな」
ほうきを持ってくる間に、娘がしゃがみこみ、大きな破片を指でつまんでいた。
「さすがに無理だろうね」
ほかにも大きな破片はあるが、粉々といってもいい状態だ。
破片をパズルのように合わせる娘に、父として諭すようにつげる。
「壊れていなくても捨てることになったはずだ。きっと、こうなる運命だったんだよ」
「うん、でも」
「そしてなにより、時間を巻き戻すことはできない」
しゃがみこみ、下を向いていた娘が、顔をあげた。
「過去に戻ることはできない。やり直すことはできない。だからこそ、今という一瞬を大切にしなければならない。たとえ失敗して、落ちこんでしまうことがあっても、それをいつまでも引きずっていてはいけない。自分の運命をつくるのは自分自身なんだ。明るい方へ、楽しい方へ気持ちを変えて、よりよい未来へと命を運んでいくことが──」
「ねえ、お父さん」
「ん?」
「時間って、巻いてあるものなの?」
時間を巻き戻す。
当たり前の表現として使ってしまったが、時間を、巻き戻す?
合っているのか?
間違ってないよな?
心清らかな娘と見つめあうこと数秒、父としての回答はうまれた。
「巻いてあるとも」
「どういうふうに?」
「……糸車みたいな感じに」
運命の糸という表現もあるのだから、たぶん間違っていない。
「糸車がくるくるまわって、時間を巻いているのかぁ。いままでおきたことが糸になって巻かれているなら、過去のぜんぶがどこかにあって、それじゃ未来は、もやもやした糸みたいなものなのかな? もうすでに、未来はどこかにあるのかな?」
「そうだね。未来はすでに存在しているのかもしれない」
たしか相対性理論がそんなことをいっていた気がする。
「未来は決まっているのかな?」
「どうだろう。すでに糸車として存在しているとしても、ひとつとはかぎらない」
「いくつもある?」
「ほんとうのところはわからないけどね。きっと、いくつもある未来の糸をひとつだけ選び、過去の糸と紡いでいるのが、いまという一瞬なんじゃないかな」
過去と未来が、今という瞬間に影響をおよぼしている。たしか量子力学とか素領域理論とかいうやつが、そういうよくわからないことを語っていた気がする。
「未来にも糸車があるなら、引っぱって時間を巻きもどせないかな?」
「どうだろう。引っぱり合いになったら、ぷつんと切れるかもしれないぞ?」
ニコニコしている娘とともに、蔵のなかにあるものを処分していった。
だいぶ中がすっきりしたころ、親父があらわれ、自室に保管していたらしい壊れたラジカセとVHSのビデオデッキを蔵のなかに運び入れようとしていたが、有無をいわせずに処分してやった。