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異変(2)

 カノンの身に、なにが起きたのかを推察する鍵。

 今日のカノンに対する、3つの疑問点。


 ……疑問の一。


『From:カノン(『ワンダリング・ワンダラーズ!!』)(09-04-19:48)

 件名:フーガくんへ

 内容:こんばんは。お仕事お疲れさまです。

    ちょっと体調がすぐれないので、一旦ダイブアウトします。

    わたしのことは気にせず過ごしてください。

    フーガくんの拠点でもあるので、なんでも自由に使ってください。』


 彼女は、俺が来る前、最初のダイブアウトまで、いったい、なにをしていたのか。



 ……疑問の二。


『んっ。でも、早めに戻ってきてくれて、嬉しい』

『……まだ、けっこう、遊べる時間、ある、よね』

『明日もおしごとなら、あんまり遅くまでは、ダメだけど。

 昨日くらいの時間までなら、だいじょうぶ?』


 彼女のこの、時間認識のずれは、なんなのか。



 ……疑問の三。


 彼女は、俺のメッセージを受け取って、この世界に再び戻ってきたあと、俺が帰ってくるまで、いったい、なにをしていたのか。

 その空白の時間は、いったいなんなのか。



 これらの疑問は、実のところ、たった一つに集約される。

 つまり、こうだ。



 彼女は、俺がいないとき、なにをしていたんだ。


 なにを……しているんだ?



 *────



 疑問をまとめ終えて、沈み込んでいた椅子から立ち上がる。

 足に力は入らず、どこか頭もぼうっとしているが、頭は冴えている。

 頭だけが、冴えている。


「……。」


 脱出ポッドの片隅。 

 圧縮ストレージの扉。

 その中を覗き込む。


 そこにあるものは。

 1/10ほどしか残っていない、カオリマツの原木。

 5kgほどの玄武岩の岩塊1つ。

 大量に採っておいた、カオリマツの葉。

 そして、先ほど俺が採ってきた、20kgほどの岩塊。

 それだけだ。


 それ以外には、なにも増えていない。

 それ以外には、なにも減っていない。


 ……彼女は、なにもしていない。



 *────



 圧縮ストレージを出て、今度は分析装置を起動する。

 そして、その分析ログを見る。


 直前の分析ログは、昨日採ってきた、ウナギモドキのもの。

 それ以後、新たに分析されたものはない。


 ……彼女は、なにもしていない。



 *────



 分析装置を離れ、今度は製造装置を起動する。

 そして、その製造ログを見る。


 直前の製造ログは、昨日のウナギモドキを食べたときに作った、木皿のもの。

 それ以後、新たに製造されたものはない。


 ……彼女は、なにもしていない。



 *────



 製造装置を離れ、ハッチの傍に立っている衣類スタンドを見る。

 そこには、カノンと俺のレザーコートが、重なり合うようにして掛けられている。

 先ほどかけたばかりの、俺のレザーコートをどかす。

 そこには、カノンの革装備一式も掛けられている。

 先ほど俺を出迎えた彼女は普段着だったから、当然だ。


 彼女の革装備一式を検める。

 完全に乾いて、冷たくなっている。

 鼻を近づけて、匂いを嗅ぐ。

 そこには、洗浄室で洗浄したあとの、あのいい香りがしない。

 つまり、洗浄したばかりではない。

 恐らくカノンは今日、この装備を着ていない。


 そうして、衣類スタンドから横、脱出ポッドの外へと通じるハッチへと視線を移す。

 石材の採取へ向かおうとしたとき、俺はなにを思った。


『ハッチの構造上、雨の時に外に出ようとすると、ハッチの内側が濡れちゃうんだよな。』


 思い出せ。あのとき、ハッチの内側は濡れていたか?

 一度濡れて、そのあと乾いたような痕跡はあったか?

 なかったはずだ。もしあったのなら、俺は気づいていたはずだ。

 だってあのときも俺は、俺が来る前にカノンが外出したのか、気にしていたから。


 つまり。

 カノンは、俺が来る前、最初のダイブアウトまで外出していなかった。

 そして当然、俺が来たあと、次のダイブインのあとも外出していない。


 彼女は――なにもしていない。



 *────



「っ、ぅぐぅぅぅ――――っ!!」


 ふらふらと、椅子に向かって頭から倒れ込む。

 顔を座面に押し付けるようにして、圧し殺すは苦悶の叫び。


 そうであって欲しくはなかった。

 でも、その可能性が一番高いのだ。

 その光景を想像してしまったから。

 呻くのを止められない。止まらない。


「――ッ!!」


 彼女は、()()()()()()()()

 なにもしていなかった。

 彼女はただ、待っていただけだ。

 ひたすら待っていただけだ。

 俺を。俺が来るのを。

 この、雨音だけが響く、誰もいない脱出ポッドの中で。

 なにをすることもなく。


(……いや、ちがう)


 静寂の中で、俺を待っていたわけではない。

 たぶん、彼女には、その自覚さえない。


『戻ってくるの、早かったから』

『んっ。でも、早めに戻ってきてくれて、嬉しい』


 自覚があるなら、あんな反応にはならない。


『……あ、れ……? わた、し……?』

『あれ……? なん、で……?』

『ふ、ふーが、くんっ、わたし、わたっ、わたし――』


 自覚があるなら、あんなに取り乱したりはしない。

 強制ダイブアウトがはたらくほどに、錯乱したりしない。


「ぐっ、ぐぅぅぅううう――」


 椅子の背を掴む右手に力を込める。

 この感情を吐き出さんとばかりに。

 この衝動をどうにかせんとばかりに。

 だが――それで、どうにかなるわけでもない。


  ブチィ


 駄目だ。

 最後に見た、あの錯乱するカノンを思い出すと、心が壊れそうだ。

 呻きとともに顎を伝った涎を手の甲で拭えば、なぜか赤い色。

 血じゃん。くちびる切れてるじゃん。

 さっき頬を張ったときに口の中も切ったんだよな。

 この短時間で口の中も外も切るとか、なかなか身体張ってるな、俺のアバター。

 ありがとう、血の赤を見て、ちょっと冷静になったよ。

 俺がこんなんだと、(フーガ)まで損するよな。

 俺が(フーガ)にやつあたりするのはやめよう。

 あと、カノンと一緒に作った椅子にも。



 *────



 なにが起こったのか。

 どうしてこうなったのか。

 いったいこの状況は、なんなのか。


 だいたいわかった。

 わかってしまった。


 いまのカノンは、恐らく、ちょっとだけ、()()している。

 そして、その破綻は、俺がいるときは起こらないのだ。

 だから昨日までは、まったくその兆しを見せなかった。

 恐らくは彼女の中で、俺の存在によって、その綻びが繕われる。

 あるいは、見ないフリをしていられる。

 そしてたぶん、それは彼女にはどうしようもないことなのだ。

 なにせ、自覚がないのだ。

 彼女は、俺といないとき、「止まって」しまう。

 あるいは、「止まって」いたことになっている。


 ダイブアウトする直前の、彼女の顔色。

 くちびるは少し青みがかっていたし、顔色も悪かった。

 恐らく彼女は、この脱出ポッドの中で、止まっていた。

 とはいえ、彼女の身体が物理的に停止していたわけではない。

 彼女の情動だけが止まっていたのだ。

 だから、彼女の顔色は悪かった。

 なにもせず、なにも動かず、ただじっと、待っていたから。


 あの顔色からして、待っていた時間は恐らく1時間程度ではない。

 俺がメッセージを送り、ダイブインし、探索へと出向いたその直後くらい。

 そのあたりから、彼女は待っていたのだろう。

 そして、俺を待ち始めてほどなく、彼女は()()()()

 そして、俺がハッチをノックしたときに()()()()()


 その、止まってから動き出すまでの時間。

 それこそが、彼女が覚えていない空白の時間。

 彼女にとってなかったことになっている時間。

 これが、第二と第三の疑問の答え。

 彼女の時間認識のずれの正体。

 俺が帰ってくるまでの空白の時間の正体。


 そして……恐らくは第一の疑問の答えでもある。

 彼女は、俺にメッセージを送る前、最初のダイブアウトまで、いったい、なにをしていたのか。

 答えは、なにもしていない。

 恐らくはその時も、ダイブインしてからほどなくして彼女は「止まった」。

 そして、フルダイブシステムによる強制ダイブアウト処置で放り出された。

 そのときの強制ダイブアウトの理由は、よくわからない。

 止まっていることを、自覚してしまったのか。

 それとも「止まって」いた時間が長すぎたのか。

 ここに関しては、推察材料が少なすぎて、少々詰め切れないが――



「うぶっ――――」


 いかん、俺も限界が近い。

 脳も、精神も、ちょっとやばい。

 端的に言って吐きそうだ。


 椅子に突っ伏したままの顔を起こし、よろよろと洗浄室に向かって這いずる。

 吐くなら風呂場かトイレで。大人のたしなみだ。

 無事に洗浄室の扉を開き、その中へと這い上がる。

 ここなら吐いても大丈夫だろう。


 ……こんだけ、強迫的衝動(ストレス)で、吐きそうになっても。

 ニューロノーツ先生は、俺を叩き起こしたりはしないんだな。

 この程度では、強制ダイブアウト処理を行ったりはしないらしい。

 じゃあ、いったいカノンは。

 どれだけ激しい、衝動に――


 うっぷ……。


 ……。


 ……セーフ。


 いや、吐かないのかよ。

 案外吐かないもんだな。

 たぶんこの世界にも、嘔吐はあるはずだけど。

 前作にはあったし。


 吐き気を無理やり堪える術も知っているが……。

 困ったことに、吐き気を堪えやすい姿勢って、吐いても大丈夫な姿勢ではないんだよな。

 大抵吐いてしまった方が楽になるから、あまり役に立たない。

 飲み会の席とかで、たまに役立つだけだ。いまは要らない。


(……ひっ ひっ ふぅ――)


 ラマーズ法は吐き気を堪える方法ではない。

 まぁつまり、これくらいの冗談をかますくらいには余裕があるということだ。

 まだ、大丈夫だ。

 俺は、だいじょうぶだ。



 洗浄槽にもたれかかって気を抜くと、思考に白いもやが掛かっていく。

 ちょっと。ちょっとだけ頭を休めよう。15分くらい。

 りんねる単位時間で言うなら、あと5時間ほど。


 ……眠りはしない。

 俺は、午前3時までは、カノンを待たねばならない。

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